ブザンソン

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Besançon

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) フランシュ=コンテ地域圏
(département) ドゥー県
(arrondissement) ブザンソン郡
小郡 (canton) 6
INSEEコード 25056
郵便番号 25000
市長任期 ジャン=ルイ・フッセレ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) Grand Besançon
人口動態
人口 116 353人
2012年
人口密度 1,789人/km2
住民の呼称 Bisontins
地理
座標 北緯47度14分35秒 東経6度01分19秒 / 北緯47.24306度 東経6.02194度 / 47.24306; 6.02194座標: 北緯47度14分35秒 東経6度01分19秒 / 北緯47.24306度 東経6.02194度 / 47.24306; 6.02194
標高 平均:281 m
最低:235 m
最高:610m
面積 km2 (6 505ha)
Besançonの位置(フランス内)
Besançon
Besançon
公式サイト besancon.fr
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ブザンソンBesançon)は、フランスの東部にある都市で、フランシュ=コンテ地域圏首府ドゥー県県庁所在地である。ドゥー川によって環(リング)上に形づくられている。都市は、ガリア・ローマ(gallo-romaine)時代以降、重要な役割を果たしている。地理的な条件とその特有の歴史によって、軍事的な場所(駐屯軍)、政治的なセンターと宗教的な首都市となっていった。フランスの最初の緑の都市と宣言されて、フランシュ・コンテの中心都市であるブザンソンは、周知のように、社会的・環境的革新(イノベーション)によって 生活の水準の高さを享受している。また、ブザンソンは、芸術・歴史の都市に分類され、ユネスコ世界遺産への登録の候補リストに載っている。

概要

主な産業は精密機器産業と時計産業である。避暑地としても有名。

歴史

古代ローマ時代、ブザンソンはウェソンティオ(ラテン語:Vesontio)と呼ばれ、ガリア人の一派であるセクアニ族が本拠を置いていた。

ガリア戦争中の紀元前58年には、当時ローマのガリア総督であったガイウス・ユリウス・カエサルスエビ族出身のゲルマニア人アリオウィストゥスがこの「ウェソンティオ」近郊で戦ったことでも知られている。

気候

ブザンソンは、2つの気候的な影響を受ける。一つは(雨が降る日が多く大量の降水量である)海洋性の気候であり、もう一つは乾燥して暑い夏と寒さの厳しい冬(霜と雪の多い)大陸の気候である。概してブザンソンの気候は非常に変わりやすいことが特徴である。年間降水量は1108mm。

ヴォーバンの砦
タウンホール

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年
95 642 113 220 120 315 113 283 113 828 117 733 117 080 116 353

参照元:1999年までEHESS[1]、2004年以降INSEE[2][3]

経済

ブザンソンの経済は、主要企業の倒産が生じた1970年代まで伝統的な時計製造業と繊維産業が占めていた。80年代以降には、そうした時計産業は高級品に特化することで命脈を保っている。90年代以降のブザンソンは、情報産業やバイオテクノロジーを始めとする様々な分野においてフランスでも主導的な地位にある。失業率は2005年には8.1%であり、2006年12月には7.9%と推定される。この失業率は国家平均(8.6%)より僅かに低い値となっている。

文化と遺産

ブザンソンは、1986年2月14日以来「Ville d'Art et d'Histoire 」に認定されている。

ブザンソン国際指揮者コンクール

ブザンソン国際音楽祭の開催期間中に行われる、国際的にも名声と伝統ある指揮者コンクールである。

姉妹都市

出身有名人

関連項目

脚注

外部リンク