トハイ・ベイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』

これはこのページの過去の版です。しまあじ (会話 | 投稿記録) による 2012年4月12日 (木) 08:21 （個人設定で未設定ならUTC）時点の版 (参照: Template‐ノート:Citation)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アルフン・ドハン・トハイ・ベイ
リヴィウ包囲のトハイ・ベイ（『ルヴフ近郊のボフダン・フミェルニツキとトゥハイ＝ベイ（ウクライナ語版）』、ヤン・マテイコ画、1885年より）。
称号 ベイ
身分 ムルザ（ウクライナ語版）（クリミア・ハン国の貴族）
家名 アルフン家（カザフ語版）
民族 クリミア・タタール人（アルフン族（カザフ語版））
生没 1601年頃 - 1651年6月
死亡 ポーランド・リトアニア共和国・ベレステーチュコ（ウクライナ語版）
宗教 イスラム教
テンプレートを表示

アルフン・ドハン・トハイ・ベイ（クリミア・タタール語: Arğın Doğan Toğay bey, 1601年頃 - 1651年6月）は、クリミア・ハン国の軍人である。フメリヌィーツィクィイの乱の主要人物の1人。クリミア・タタールの名門貴族の出で、傑出した軍事指揮官にして政治家であった[1]。通常、トハイ・ベイ（Toğay bey）と呼ばれる。

しばしば軍を率いてポーランド・リトアニア共和国領内を席捲した秀でた軍人であり、クリミア・タタールの歴史のほか、ウクライナ史及びポーランド史において重要な役割を演じた。特に、共和国の衰退の始まりをなしたフメリヌィーツィクィイの乱では蜂起したウクライナ・コサックに加勢して共和国の弱体化に直接的な影響を与え、自身はその戦場に斃れた。ウクライナ語資料ではトゥハイ＝ベイ（Туга́й-бе́й[1]）、ポーランド語資料でもトゥハイ＝ベイ（Tuhaj-bej）、ロシア語資料ではトゥガイ＝ベイ（Туга́й-бе́й）と呼ばれる。

生涯

前半生

アルフン・ドハン・トハイ・ベイは、クリミア・タタールの名門アルフン家（カザフ語版）に連なる家系であるトハイ家出身の貴族であった[1]。アルフン家は中央アジアからクリミア半島にかけての広い地域に権力を持った貴族であったが、ハンや他の3つの有力貴族と共にクリミア半島へ入り、それら3家と共にハンを選出する資格を持つ4大貴族を構成していた。トハイ・ベイは歴史上、クリミアのアルフン家を代表する傑出した人物であった。

ベイは高官の称号であり[1]、トハイ・ベイという名前は「トハイ公[1]」という、厳密には個人名というよりは彼に対する尊称であった。ベイ・トハイ＝ムルザ（ウクライナ語版）[注 1]という称号は、オル・カプ（ロシア語版）県（サンジャク）（英語版）[注 2]の長官（サンジャク・ベイ（英語版））[注 3]に任命された際に授けられた[1]。オル・カプはクリミア・ハン国の本土であるクリミア半島を防衛する重要拠点であり、その地にはペレコープ地峡を守るオル・カプ要塞（ウクライナ語版）が築かれており、コサックら敵軍の侵入を阻んでいた。

トハイ・ベイは、オル・カプ県長官の任を1642年から1644年のあいだ、つまりメフメド4世ゲライ（ウクライナ語版）の治世に務めた。これは、国境警備と国家防衛を一任されるという、クリミア・ハン国にとってとりわけ重要な役職であった。諸公の中でただ一人、軍旗を掲げ3000人からなる個人の親衛隊を率いることが許されていた。トハイ・ベイは、1万5000人からなるオル・カプの守備隊と支援部隊、それにエディチュクリ（ウクライナ語版）[注 4]、ジャムブイルク（ウクライナ語版）[注 5]、イェディサン（ウクライナ語版）[注 6]、ブジャクの諸ノガイ・オルダを統括していた[1]。

オル・カプ要塞の任務において、トハイ・ベイの権威は揺るぎないものとなった。しかし、1644年のオフマーチウの戦い（ウクライナ語版）では、トハイ・ベイ率いるクリミア・タタール軍はポーランド王国軍を統べる王冠領大ヘトマンのスタニスワフ・コニェツポルスキ率いる共和国軍に大敗を喫し、およそ4000の兵を失った[2]。

20世紀ウクライナの歴史学者O・Y・プリツァーク（ウクライナ語版）によれば、トハイ・ベイはボフダン・フメリニツキーがイスタンブルに抑留されていた1620年から1622年の間に知り合ったという[1]。別の説によれば、敗北したオフマーチウの戦いで捕らえられた彼の親類の身代金についての話し合いのためにフメリニツキーがオル・カプを訪れた際、2人は知り合ったという。

1644年にメフメド4世ゲライが失脚し、イスリャム3世ゲライ（クリミア・タタール語版）がクリミアのハン（ウクライナ語版）になると、トハイ・ベイもオル・カプの長官の任から離れた。

フメリヌィーツィクィイの乱

『フミェルニツキのトゥハイ・ベイとの合流』（ユリウシュ・コサック（ポーランド語版）画、1885年）。タタール軍は右側。

1648年3月にイスリャム3世ゲライとコサックとのあいだで会合が持たれ、オル・カプのトハイ・ベイのクリミア・タタール軍によるコサック支援が決定された[3]。4月半ばには、トハイ・ベイは主君イスリャム3世ゲライの命により2万人[注 7][1]からなる部隊を率いてムィクィーティンのシーチ（ウクライナ語版）にいるフメリニツキーの救援に駆けつけた。3000から4000の兵を連れたトハイ・ベイの到着を待ち、 8000からなる同盟軍はシーチから出陣した[4]。

トハイ・ベイ率いるクリミア・タタールの騎馬隊は1648年4月から5月にかけて、フメリニツキー率いるコサック軍と共にジョーウチ・ヴォーディの戦いで共和国軍を破った。同盟軍はすぐに北上し、コールスニの戦い（ウクライナ語版）ではマクスィム・クルィヴォニースの軍が敵の背面を急襲して戦端を開き、トハイ・ベイの軍はすぐにこれに続いた[4]。コールスニの戦いを制した同盟軍は西進、一方のトハイ・ベイはハンの兄弟でありハンに次ぐ第二の位であるカルハ（ウクライナ語版）であったクルム・ゲライと共にリヴィウとザモシチの包囲に参陣した[5]。同盟軍は1648年9月から10月にかけて西ウクライナ最大の都市リヴィウを包囲して大枚の代償金を獲得した。同年12月にはザモシチを包囲して陥落寸前まで持ち込み、共和国政府に大幅に譲歩させた休戦協定を結ばせた[1]。

1651年6月に始まった共和国との決戦、ベレステーチュコの戦い（ウクライナ語版）で負傷し、これが致命傷となった[1][4]。フメリニツキーの第一の盟友であった[4]トハイ・ベイのほかにもカルハのクルム・ゲライが戦死、ハンであるイスリャム3世ゲライも負傷し、共和国軍の熾烈な砲撃によって大損害を被ったクリミア・タタール軍は総崩れとなった。タタール軍の撤収に驚いたフメリニツキーはこれを留めようとタタールの陣営に馳せつけたが、逆に捕らえられてしまった。司令官の突然の失踪によりコサック軍は混乱に陥り、この決戦で手痛い敗北を喫することになった[4]。

同時代人のミコワイ・イェミョウォフスキ（ポーランド語版）によれば、トハイ・ベイはベレステーチュコの戦い以前にザモシチの包囲中に死亡したとする[6]。しかし、今日の研究者の間では、トハイ・ベイはベレステーチュコの戦いで落命したというのが一般的な見解である[7][8]。一連の戦いを題材にしたクリミア・タタールの叙事詩でも、トハイ・ベイの死はベレステーチュコの戦いに設定されている。

歴史的役割

『フミェルニツキとトゥハイ・ベイの行軍』（ユリウシュ・コサック画、1885年）。

イスリャム3世ゲライは、先君に仕えていたトハイ・ベイを敵視していた。自身の権力強化を阻む最も影響力のある敵対者の1人であると考えていたハンは、コサックへの支援を約束したあと、自分はひとまず出陣せずにトハイ・ベイに先陣を命じた。これにより、ハンはトハイ・ベイを遠ざけることができたのである。さらにもし遠征が失敗に終わればその責任をこの言うことを聞かない家臣に押し付けることができたし、成功すればコサックからの信頼を得ることができると計算した。イスリャム3世ゲライは、コサックの力を利用してクリミア・ハン国をすでに衰えが目立ってきたオスマン帝国への隷属から解き放つことを計画していたのである[9]。

いずれにせよ、クリミア・タタールの、とりわけトハイ・ベイ率いた軍はフメリニツキーの勝利に大きく貢献した。クリミアの騎馬隊によって、ポーランド騎兵の優位は崩された。コサック歩兵とクリミア騎兵の協同は、共和国軍に対する作戦戦術上の優位を同盟軍にもたらした。緒戦で登録コサックが共和国軍から叛乱軍側に寝返ったのち、共和国軍はコサック歩兵と同等の歩兵戦力を失っていた。そのため、自衛のために騎兵を下馬させなければならなかった[1]。

コサック・タタール同盟軍の中でトハイ・ベイの率いた騎馬隊は、進軍の際には先陣の、戦闘の際には前衛（ウクライナ語版）の役割を担った。また、戦術的斥候任務も遂行した。それ以外に、フメリニツキーの求めに応じて、主君イスリャム3世ゲライの合意の下、トハイ・ベイは1648年の夏から1649年の春にかけて1万5000の兵を引き連れてドニプロー川付近のスィーニ・ヴォーディ（ウクライナ語版）の宿営に駐屯した。この駐留軍は、ウクライナ・コサックにとっての予備部隊の機能を果たした[1]。

一般に、トハイ・ベイとフメリニツキーの関係は友好的なものであったとされている[1]。これについてはとりわけ、フメリニツキーが1649年のペレヤースラウでのポーランド代表者らと会談した際に本心からの興奮とともに語った、次の言葉が知られている[5]。

……我が兄弟、我が魂、世界で唯一羽の猛禽[注 8]、我が望みのすべてを行う用意のある者。我らコサックと彼との友情は永遠のものだ。世界とてこの友情を引き裂くことはできない[注 9]。

関連作品

トハイ・ベイの娘婿、ジャン＝ムハメド＝エフェンディ（ウクライナ語版）はクリミア・タタールの詩人であった。彼は、1648年に『トハイ・ベイ』というダスタン（ウクライナ語版）（叙事詩）を書いた。その手稿は、1925年にクリミア・タタール人の文化復興活動家オスマン・ヌリ＝アサン・オフル・アクチョクラクル（ウクライナ語版）とユセイン・アブドゥレフィ・オフル・ボダニンスキイ（ウクライナ語版）によって発見された。

世界的にはむしろ、ポーランド文学（ポーランド語版）の中では最も知られた小説のひとつであるヘンルィク・シェンキェヴィチの『三部作（ポーランド語版） Trylogia』の第一作目、『火と剣もて（ポーランド語版） Ogniem i mieczem』（1884年）に登場することで知られる。シェンキェヴィチは、「トゥハイ＝ベイ」の死をベレステーチュコの戦いに設定している。この作品は何度か映画化されているが、イェジ・ホフマン（ポーランド語版）監督の『火と剣もて（ポーランド語版） Ogniem i mieczem』（1999年）が最も知られており、評価が高い。この作品では、「トゥハイ＝ベイ」の役はダニエル・オルブルィスキが演じている。

『三部作』の三作目、『パン・ヴォウォディヨフスキ（ポーランド語版） Pan Wołodyjowski』（1888年）には、トハイ・ベイの息子アズィヤ・トゥハイ＝ベヨヴィチ（ポーランド語版）（シェンキェヴィチが創作した人物で、主要な敵役を演じる）が登場する。これを映画化した『パン・ヴォウォディヨフスキ（ポーランド語版） Pan Wołodyjowski』（1968年）において、その役をダニエル・オルブルィスキが演じている。

シェンキェヴィチの小説のお蔭で、トハイ・ベイの名は後世のポーランドやウクライナ、クリミアでも広く知られるところとなった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「アミールの子」という意味で、貴族であることを示す称号。
  2. ^ 現在のウクライナ・クリミア自治共和国・ペレコープ村（ウクライナ語版）。
  3. ^ オル・カプのベイ、すなわちオル・ベイ。
  4. ^ 現在のウクライナ・オデーサ州にあった。
  5. ^ 現在のウクライナ・ヘルソン州からザポリージャ州に跨る地域にあった。
  6. ^ 現在のウクライナ・ヘルソン州からムィコラーイウ州、オデーサ州に跨る地域にあった。
  7. ^ 6000人という説もある。
  8. ^ ルーシの伝統的で、鷹や隼のような「麗しき勇士」の形容。
  9. ^ 原文引用:

    ...мій брат, моя душа, єдиний сокіл на світі, готовий зробити для мене все, що я захочу. Вічна з ним наша козацька приязнь, якої світ не розірве.[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Швидько, Г. К.. “ТУГАЙ-БЕЙ”, Підкова, І. З.; Шуст, Р. М. (1993).
  2. ^ Mała Encyklopedia Wojskowa. Vol. Wydanie I. Ministerstwo Obrony Narodowej. 1967. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明) （ポーランド語）
  3. ^ “Розділ XI. Хмельниччина і Запорозьке козацтво”, Голобуцький, В. О. (1994), с. 364.
  4. ^ a b c d e “Розділ V. Козацька ера. § 1. Козацька революція 1648-1657 рр. На терезах військового щастя”, Яковенко, Н. М. (1997).
  5. ^ a b c “Розділ V. Козацька ера. § 1. Козацька революція 1648-1657 рр. Дипломатія Хмельницького в пошуках виходу. Переяславська угода 1654 р.”, Яковенко, Н. М. (1997).
  6. ^ M. Jemiołowski (2000).
  7. ^ L. Podhorodecki (1987), s. 193.
  8. ^ W. A. Serczyk (1998), s. 339.
  9. ^ “Розділ XI. Хмельниччина і Запорозьке козацтво”, Голобуцький, В. О. (1994), с. 365.

参考文献

「https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=トハイ・ベイ&oldid=42052019」から取得