チャック・コナーズ

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チャック・コナーズ(Chuck Connors, 本名: Kevin Joseph Aloysius Connors, 1921年4月10日 - 1992年11月10日)はアメリカ俳優作家、そして野球バスケットボールのプロ選手である。身長は6フィート5インチ(約197cm)。
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来歴

ニューヨークブルックリン区生まれ。本名のケビンという名を好まず、「レフティ」や「ストレッチ」にしようとも考えていたが、野球選手時代に、一塁にいたコナーズが投手に「ボールをこっちに投げろよ」(Chuck it to me)と叫んだことから、他の選手やファンがこれはうってつけだと考え、この一塁手の名前はチャックとなった。

スポーツ選手としての才能があり、奨学金を得て、私立のアデルフィ・アカデミーに通い、1939年にそこを卒業すると、ニュージャージー州サウスオレンジにあるシートンホール大学に進んだ。しかし大学には2年しか在籍しなかった。第二次大戦中の1942年に召集され、戦争が終わるまでの殆どを、ケンタッキー州フォートノックスキャンベル陸軍基地、及びニューヨークのウエストポイントで、戦車整備の任務について過ごした。軍属であるにもかかわらず、コナーズはプロの野球選手としてプレイもしていた。1946年に復員してからは、BAA(現NBA)が新設した、プロバスケットボールチームのボストン・セルティックスでプレイし、春になるとMLBブルックリン・ドジャースのキャンプに参加した。様々なマイナーリーグでの経験ののち1949年にドジャース入りしたが、1試合しか出場機会がなかった。1951年にシカゴ・カブスに入り、66試合に一塁手もしくは代打として出場した。1952年には再びマイナーリーグ行きとなり、カブスのトップファームであるロサンゼルス・エンゼルスでプレイした。シカゴ・ベアーズにも在籍したが、こことは反りが合わなかった。アメリカのプロスポーツ史上、MLBとNBAの両方でプレイしたのは、コナーズを含めてわずかに12名である。

プロスポーツで身を立てるのが難しいと判断したコナーズは、俳優の道を目指すことにした。ハリウッドの近くで選手生活を送っていたこともあり、MGMの演出家の目に留まって、1952年にキャサリン・ヘップバーン主演の映画Pat and Mikeに出演。翌53年にはSouth Sea Womanバート・ランカスターとも共演した。多くの映画やTVドラマに出演したが、中でも1958年に米ABCで放送開始された『ライフルマン』は代表作と言える。ニューメキシコ州ノースフォークで、妻に先立たれたルーカス・マッケインは、息子マークを育てながら、小さな農場を守っていた。ならず者には容赦なく、マッケインのウィンチェスター銃が炸裂する。0.3秒の早撃ち、アクロバチックな曲撃ち、目の高さではなく腰のあたりでぶっ放すライフル連射などの様々なガンファイトを披露する一方で、父子愛もきちんと描かれた作品だったこの作品で、銃の達人にして子どもを育てる男やもめを演じてからは、似たような役を振られることが多くなり、短期間のシリーズものにも出演するようになった。NBCが1965年から1966年にかけて放送した、南北戦争後の世界を描いた『荒野の流れ者』、『アフリカ大牧場』や『ルーツ』などである。また、映画『フリッパー』にも出演した。 1991年に、オクラホマシティにある西部劇俳優の殿堂に名を連ねた。

1992年、肺癌による肺炎のため、71歳で死去。ヘビースモーカーであったと言われる。
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エピソード

  • 1970年代に、NBCの野球中継で失態を晒し、悪い意味で有名になったことがある。著名人を解説者に呼ぶので有名なこの中継の全国ネットで、コナーズはうっかり「ファック」と口にして、実況担当者や視聴者を驚かせた。
  • ゴルフ、読書、水泳、釣り、詩を書くこと、野球などと幅広い趣味を持ち、慈善事業や政治活動にもいそしんでいた。共和党の支持者で、リチャード・ニクソン元大統領とも交流があった。

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主な出演作品

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脚注

  1. ^ a b c Chuck Connors(I) - Biography IMDb
  2. ^ 番組ガイド:ライフルマン:【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】
  3. ^ チャック・コナーズ(Chuck Connors)のプロフィール - allcinema