ダンスホール

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ダンスホール (Dance hall) とは、ダンスを楽しむための場所、またはその場所を提供する店舗をいう。ダンス教室やダンス練習場を兼ねたものもある。

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歴史

主なダンスホール

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歴史

東京四谷にあった国華ダンスホール。1920年代末
人形町のユニオンダンスホール。1920年代末

営業ダンスホールとしては、1918年大正7年)に花月園(現在の横浜市鶴見区)に開設されたダンスホールが最初である。その後、ダンスの流行と共にダンスホールは徐々に増加し、1933年昭和8年)には全国で約50箇所まで増えた。

1925年6月、警視庁はダンスホール入場者の住所氏名職業記載の台帳作成など取り締まり、このころダンスが流行し、東京府にホールが56あった[4]

1928年11月10日、警視庁はダンスホール取締令を実施し、18歳未満男女は入場禁止にした[5]

1940年10月31日、東京のダンスホールはこの日かぎりで閉鎖、各ホール超満員であった[6]

太平洋戦争開戦間際の1940年(昭和15年)にダンス禁止令が出され戦時中はダンスホールも閉鎖状態となった[7]

終戦後まもなく駐留軍兵士向けのダンスホールが開業したものの、一般の日本人は入ることができなかった。1950年(昭和25年)10月に埼玉県さいたま市に戦後初のボールルーム「ルーフ・ガーデン」がオープンすると、以降日本人専門のダンスホールが続々と開設されるようになった。しかし、風俗営業の増加とともにダンスホールとキャバレーの区別が曖昧になっていき、ダンスホールも規制の対象になった。東京都条例でも1954年(昭和29年)にはダンスホールとキャバレーの区別がなくなったが、1959年(昭和34年)にはダンスホールとキャバレー・ナイトクラブの区別が復活している[8]。昭和の時代には社交ダンスの流行などとともにダンスホールが全国に数多くあったが、近年では社交ダンス人口が減ったことでダンスホールも減少傾向にあり、東京都内にはダンスバンドが出演するダンスホールが1軒残るのみである。また、映画『Shall we ダンス?』のロケ地となった大阪市梅田のダンスホール「ワールド」も2001年1月末に閉館している。

主なダンスホール

  • ダンスホール新世紀(東京、鶯谷
    1969年(昭和44年)6月に鶯谷に移転開業した。東宝ダンスホールと共に半世紀近い歴史を持つが、東京都内のダンスホールはこの2軒を残すのみとなっている。また、映画『Shall we ダンス?』の舞台モデルになったことでも知られる[9][10][11]。かつてはSFCGの創業者であった大島健伸の父、大島正義が経営していた。2019年12月からは東宝ダンスホールが閉店するので都内で1軒となる。
  • 東宝ダンスホール(東京、有楽町
    創業は1969年(昭和44年)5月。東宝株式会社の関連会社、株式会社東宝エンタープライズが経営するダンスホールとして誕生した。日比谷劇場街の一等地にある。半世紀近い歴史を持つ日本を代表する格式あるダンスホールとして有名である。2019年11月末日を持って閉館した。
  • ダンスホール ムーンリバー名古屋
    かつて名宝会館内にあった「ムーンリバー」が2002年末に名古屋朝日会館朝日新聞名古屋本社が入っているビル)内へ移転し、以降は「ウインターガーデン」として営業していた。しかし、2013年10月28日CBCテレビ放送の『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』においてキンタロー。が同店の再移転をリポートしており、同年12月23日に名古屋朝日会館での営業を終了した。2014年1月6日には名古屋市中区の名古屋広小路伏見中駒ビル8階にてダンスショップをオープンし、さらに同年2月上旬に同ビル9階でかつての名称であるダンスホール「ムーンリバー」として営業を再開した[12]

脚注

関連項目