ダルエスサラーム
ダルエスサラーム Dar es Salaam | |
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ダルエスサラーム(2015年) | |
位置 | |
タンザニアにおけるダルエスサラームの位置 | |
座標 : 南緯6度49分12秒 東経39度16分12秒 / 南緯6.82000度 東経39.27000度 | |
行政 | |
国 | タンザニア |
州 | ダルエスサラーム州 |
市 | ダルエスサラーム |
市長 | イサヤ・ムウィタ |
地理 | |
面積 | |
市域 | 1590.5 km2 |
標高 | 55 m |
人口 | |
人口 | (2018年現在) |
市域 | 5,147,070人 |
その他 | |
等時帯 | 東アフリカ時間 (UTC+3) |
ダルエスサラーム(Dar es Salaam)は、タンザニア最大の都市で、かつての首都。
ダレサラームとも呼ばれる[1]。通称ダール。現在の法律上の首都はドドマであるが、実質的な首都機能は、経済の中心地となっているダルエスサラームにある[2]。 人口は515万人。鉄道など交通の中心地で、ザンジバルほかへのフェリーが発着する。気候は熱帯性で、海岸のため湿気が多い。最高気温は年間を通じ30℃前後、最低気温は20℃前後である。降雨量は1年に1100mm。
人口増加が著しく、2050年に1597万人、2075年に3749万人、2100年の人口予測では7368万人を数える超巨大都市となる予測が出ている[3]。
歴史
1865年もしくは1866年に、対岸にあたるインド洋上の島ザンジバル島を支配するザンジバル・スルタン国(ブーサイード朝オマーンのアラブ人王朝)のスルタン、マージド・ビン・サイードによって建設が始まり、彼の離宮が置かれ、ダルエスサラームの名が与えられた(「平和の家」「平和の地」を意味するアラビア語のダール・アッ=サラーム(دار السلام dār as-salām)に由来するものとされる)。マージドは、農業・商業の発展のためにアラブ商人やインド商人をここに住まわせた。[4]
1870年にマージドが死んだ後一時的に寂れたが、1887年にドイツが進出し、1895年、ドイツ領東アフリカの首都がバガモヨから移され、東アフリカ・インド洋地域における基地となった。1905年、マジ・マジ反乱(1905年 - 1908年)。
第一次世界大戦でドイツが敗北すると、ダルエスサラームを含むドイツ領東アフリカはイギリス委任統治領タンガニーカとなり、イギリスによりダルエスサラームはタンガニーカの政治・経済の中心都市として位置付けられた。これにより、他のイギリス支配地域と同様に、ダルエスサラームにもインドから数多くの移住者を受け入れることとなった。
第二次世界大戦後、スワヒリ系ムスリム住民を中心とした人々によるタンガニーカの独立を目指す運動の中心地となり、1961年にタンガニーカは独立を達成した。1965年にタンガニーカ共和国がザンジバルと合邦してタンザニア連合共和国が成立するとダルエスサラームが首都となる。
1973年に法律上の首都はタンザニア内陸部のドドマに移された。それに伴い国会がドドマに移転されたものの、官公庁や中央銀行をはじめとする主要な機関のほとんどが現在も残っているため、首都機能を担う都市は実質的にダルエスサラームであると見なされている。
1978年1月、市内でコレラが蔓延、多数の死者が出た。政府は感染拡大を封じるためにダルエスサラームを始めとした感染地の交通を遮断。物価が急上昇するなど市民生活の混乱も生じた[5]。
地理
気候
ダルエスサラームの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 31 (88) |
31 (88) |
31 (88) |
30 (86) |
29 (84) |
29 (84) |
28 (82) |
28 (82) |
28 (82) |
29 (84) |
30 (86) |
31 (88) |
29.6 (85.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 25 (77) |
25 (77) |
24 (75) |
23 (73) |
22 (72) |
20 (68) |
19 (66) |
19 (66) |
19 (66) |
21 (70) |
22 (72) |
24 (75) |
21.9 (71.4) |
降水量 mm (inch) | 66 (2.6) |
66 (2.6) |
130 (5.12) |
290 (11.42) |
188 (7.4) |
33 (1.3) |
31 (1.22) |
25 (0.98) |
31 (1.22) |
41 (1.61) |
74 (2.91) |
91 (3.58) |
1,066 (41.96) |
平均降雨日数 | 8 | 6 | 12 | 19 | 15 | 6 | 6 | 7 | 7 | 7 | 9 | 11 | 113 |
平均月間日照時間 | 248 | 196 | 217 | 150 | 217 | 210 | 217 | 279 | 270 | 279 | 240 | 248 | 2,771 |
出典:BBC Weather [6] |
行政区画
ダルエスサラーム州は、5つの県で構成されている。
経済
- タンザニア銀行・・・通貨タンザニア・シリングを発行するタンザニアの中央銀行。建物はツインタワービルとなっており、ダルエスサラームの景観を形作る一要素となっている。
- ダルエスサラーム証券取引所・・・株式市場には16社が上場している。(2011年4月現在)[7]
交通
空港
- ジュリウス・ニエレレ国際空港・・・タンザニアの国際線・国内線の起点となる空港。
鉄道
港湾
市内交通
- 路線バス/乗り合いバス・・・他のタンザニアの都市と同様、ダラダラと呼ばれる小型バスが市内の主要な交通手段となっているが、特にダルエスサラームはダラダラの路線数が多く、市街地全体を網羅している。
- DART・・・2016年5月10日に運行開始となったBRT。1路線が運行中[8]。
教育
- ダルエスサラーム大学・・・タンザニアの最高学府。
スポーツ
サッカー
ダルエスサラームをホームとするサッカークラブがある。
文化
料理
観光
出身者
姉妹都市
関連項目
脚注
- ^ タンザニア連合共和国ダレサラーム上水道整備計画基本設計調査報告書. -(国際協力事業団、1984年1月)
- ^ DTAC タンザニア観光情報局タンザニア基礎知識,2020年1月21日閲覧
- ^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century”. Global Cities Institute (Working Paper No. 4) .
- ^ James R. Brennan, Andrew Burton, Lusuf Lawi (2007). "Dar es Salaam: histories from an emerging African metropolis"; The emerging Metropolis: A history of Dar es Salaam, circa 1862–2000: The founding of Dar es Salaam, 1862-87., African Books Collective. pp. 13. ISBN 9987449700.
- ^ コレラで死者160人 交通閉鎖の強硬策『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月18日朝刊、13版、23面
- ^ “Weather Dar-es-Salaam”. BBC News
- ^ ダルエスサラーム証券取引所、DSE
- ^ (英語)“EDITORIAL: Yes, BRT can be made much more efficient, lucrative”. THE CITIZEN. (2018年9月16日) 2018年9月19日閲覧。