カンダハール州

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カンダハール州
北緯31度0分0秒 東経65度45分0秒 / 北緯31.00000度 東経65.75000度 / 31.00000; 65.75000座標: 北緯31度0分0秒 東経65度45分0秒 / 北緯31.00000度 東経65.75000度 / 31.00000; 65.75000
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
州都 カンダハール
政府
 • 州知事 Toryalai Wesa
面積
 • 合計 54,844.5 km2
標高 989 m
人口
(2012)[2]
 • 合計 1,151,100人
 • 密度 21人/km2
等時帯 UTC+4:30
ISO 3166コード AF-KAN
主要言語 パシュトー語
座標は[4]

カンダハール州(Kandahār パシュトー語: قندھار‎)は、アフガニスタン南部のである。州都はカンダハール。カンダハール州の面積は約5万4845平方キロメートル(34州中3位)[2]、州の総人口は115万1100人(34州中6位)[2]、人口密度は21人/平方キロ(34州中26位)[2]

地理

アフガニスタン南部の河川

日本の関東地方の1.5倍ほどの面積の州である。州の北部はヒンドゥークシュ山脈、中南部にはレギスタン砂漠がある。山脈と砂漠の間にはアルガンダーブ川タルナク川ドリ川アルギスタン川が流れており、州都カンダハールの辺りに集まっている。州の8割は平地である[5]

歴史

冷戦終了後

1997年のアフガニスタンの状況。赤がマスード派、緑がドスタム派、黄がターリバーン

1992年、ムハンマド・ナジーブッラーが率いるカブールの共産党政権を倒したムジャーヒディーンはカブールに数ヶ月限定の暫定政権を作り、イスラム協会ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが大統領に就任した。しかし年末に任期を過ぎても辞職しなかった為、イスラム協会の主力部隊であるマスード軍をイスラム党英語版グルブッディーン・ヘクマティヤールなどが攻撃し、内戦が始まった[6]。1994年、カンダハール州に新勢力のターリバーンが突如現れ、カブールに向かって進撃し、ヘクマティヤール軍を敗走させた。この時はターリバーンは撃退されたが[7]、後年ムジャーヒディーンを北に敗走させ、カブールを含むアフガニスタン東部や南部を手中に収めた。

アメリカ同時多発テロ事件以降

2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起き、10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻し、有志連合北部同盟と共に戦闘を開始した。カンダハール州ではライノー作戦(10月)が実施され、カンダハールの戦い(10月)やSayyd Alma Kalayの戦い(12月)、Shawali Kowtの戦い(12月)が起きた。12月、ターリバーンはカンダハール州・ヘルマンド州ザーブル州をナキーブッラーやグル・アーガーなどに譲り渡して姿を消したが[8]、その後反撃を開始した。連合軍も対抗し、2003年にValiant Strike作戦を実施した。2004年10月、第一回の大統領選挙が実施され、カンダハール州ではハーミド・カルザイ(約91%)が最多得票を得た[9]。その後、治安維持は国際治安支援部隊(ISAF)が行うことになり、第三段階として2006年7月からアフガニスタン南部で活動を開始し、カンダハールに司令部を置いた。2007年、戦争は激しさを増し、自爆テロ無差別爆撃によってISAFや民間人に多数の犠牲者が出た[10][11]。カンダハール州では2006年にカイカ作戦(6月)やPanjwaiiの戦い(7月)やメデューサ作戦(9月)やファルコン・サミット作戦(12月)、2007年にフーバー作戦(5月)やカミン作戦(5月)が実施された。2008年にはGarmsirの戦い(4月)やArghandabの戦い(6月)やSarposa刑務所の襲撃(6月)、Wech Baghtu 結婚式誤爆事件(11月)が起きた。

第二回大統領選挙後

2009年8月、第二回の大統領選挙が実施され、カンダハール州ではハーミド・カルザイ大統領が最多得票(約74%)を得た[12]。2010年、第二回の下院選挙と州議会選挙が行われたが戦争は更に激しくなり、ISAFや民間人の死傷者が急増した[13][14]。カンダハール州ではShah Wali Kot 攻勢(6月)やバーワー作戦(12月)を実施したが、2011年にはカンダハールの戦い(5月)が起きた。2014年4月、第三回の大統領選挙が実施され、ザルマイ・ラスール元外務大臣が州内で最多得票(約54%)を得た[15]

行政区分

カンダハール州の郡

1市17を擁する[16]

  1. Kandahar
  2. Arghandab
  3. Daman
  4. Panjwayee
  5. Zhire
  6. Shah Wali Kot
  7. Khakrez
  8. Arghistan
  9. Ghorak
  10. Maiwand
  11. Spin Boldak
  12. Nesh
  13. Miyanishin
  14. Shorabak
  15. Maruf
  16. Reg
  17. Dand
  18. Takhta pul

経済

農業

カンダハール州の農作物 (2012年度)[17]
種類 生産量 順位
小麦 12万トン 15位
とうもろこし 3万1680トン 1位
大麦 8228トン 19位
ザクロ 4667トン 1位
グレープフルーツ 1190トン 7位
りんご 843トン 2位
468トン 1位
綿花 55トン 12位
アーモンド 20トン 26位

カンダハール州の農業収入は家計収入の約3割(28%)だが[5]とうもろこし(34州中1位)やザクロ(34州中1位)、りんご(34州中2位)や(34州中1位)の生産が全国的に見ても盛んで[17]グレープフルーツ(34州中7位)がかなり生産されている[17]

住民

民族

カンダハール州はパシュトゥーン人のドゥッラーニー部族連合バーラクザイ族ポーパルザイ族アリーゴザイ族、ヌールザイ族、アリーザイ族)の中心地であり、砂漠にはバローチ人がおり[18]、その他にパシュトーン人系遊牧民のコチが居る[5]

言語

カンダハール州の主要言語はパシュトー語(98%)であり、その他に少数のダリー語話者やバローチー語話者が居る[5]。識字率は7%である[5]

宗教

主な出身者

交通

パキスタンと国境を接しており、国境近くの街スピンボルダックを経てパキスタンのチャマンに入り、同国のクエッタへと至る。パキスタンのペシャーワルと同様にパシュトゥーン人の中心地である。

脚注

  1. ^ Afghan Biographies - Wesa, Torialay Tooryalai Weesa”. Afghanistan Online. 2015年2月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e Area and Administrative and Population”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月3日閲覧。
  3. ^ Topological Information About Places On The Earth”. topocoding.com. 2014年3月9日閲覧。
  4. ^ The U.S. Board on Geographic Name”. U.S. Department of the Interior. 2014年2月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e Ministry of Rural Rehabilitation and Development (2013年). “Kandahar Provincial Profile”. Islamic Republic of Afghanistan. 2015年2月24日閲覧。
  6. ^ ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』明石書店、2005年。ISBN 978-4750320700 
  7. ^ 高橋 博史 (1995年). “新たな紛争の構図―新勢力「タリバーン」の台頭 1995年のアフガニスタン”. 日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所. 2015年3月3日閲覧。
  8. ^ 山根 聡 (2001年). “ターリバーン政権の崩壊と暫定政権樹立 2001年のアフガニスタン”. 日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所. 2015年3月3日閲覧。
  9. ^ Kandahar Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年3月10日閲覧。
  10. ^ アフガン大統領、NATO・米軍の「無差別」作戦を非難”. AFP BBNews (2007年6月24日). 2014年2月22日閲覧。
  11. ^ アフガニスタン、2007年は自爆攻撃が多発、タリバン掃討作戦で犠牲者増大”. AFP BBNews (2007年12月18日). 2014年2月22日閲覧。
  12. ^ Kandahar Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年2月17日閲覧。
  13. ^ アフガニスタン駐留兵の今年の死者600人に、過去最悪のペース”. AFP BBNews (2010年10月26日). 2014年2月22日閲覧。
  14. ^ 2010年の民間人死者、タリバン政権崩壊後最悪に アフガニスタン”. AFP BBNews (2010年3月9日). 2014年2月22日閲覧。
  15. ^ 2014 Elections Results”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2015年2月24日閲覧。
  16. ^ Settled population of province by civil division Urban .Rural and sex -2013-2015”. Islamic Republic of Afghanistan (2015年). 2015年2月26日閲覧。
  17. ^ a b c Agriculture Development”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月5日閲覧。
  18. ^ Kandahar Province”. 海軍大学院. 2015年2月26日閲覧。

関連項目