カレー (フランス)

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Calais
  
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ノール=パ・ド・カレー地域圏
(département) パ=ド=カレー県
(arrondissement) カレー郡
小郡 (canton) 4小郡庁所在地
INSEEコード 62193
郵便番号 62100
市長任期 ナターシャ・ブシャール
2008年-)
自治体間連合 (fr) Communauté d'agglomération du Calaisis
人口動態
人口 74,336人
2009年
人口密度 2219人/km2
住民の呼称 Calaisiens
地理
座標 北緯50度56分53秒 東経1度51分23秒 / 北緯50.948056度 東経1.856389度 / 50.948056; 1.856389座標: 北緯50度56分53秒 東経1度51分23秒 / 北緯50.948056度 東経1.856389度 / 50.948056; 1.856389
標高 平均:? m
最低:0 m
最高:18 m
面積 km2 (335ha)
Calaisの位置(フランス内)
Calais
Calais
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カレーフランス語: Calaisオランダ語: Kales、西フラマン語: Cales)は、フランス北部パ=ド=カレー県の都市。ドーバー海峡(カレー海峡)の海底を英仏海峡トンネルが通りイギリスフォークストンと結んでいる。

近代からグレートブリテン島大陸ヨーロッパを結ぶ玄関口として重要視され、フェリー港や貿易港として栄えてきた。しかし、最近では40 km離れた位置にあるダンケルクにその役割を奪われつつある。

地理

カレーは、イギリス海峡が北海と交わる地点に面している。イングランド王国 / イングランドへ発つとして、長い間栄えてきた。コミューンの中心部や北と西は、数箇所のによって守られている。

歴史

古代ローマ時代から、ブリテン島を結ぶ中継地として栄えてきた。百年戦争中の1347年、長期間の包囲の末、イングランド軍によりカレーは占領された。サン・ピエールと5人の市民が、イングランド王のエドワード3世の前に出頭し他の市民を救った。この逸話はロダン彫刻カレーの市民』の題材となっている[1]。百年戦争の敗北で、1453年以降カレ-は大陸における唯一のイングランドとなり、下院議員を送っていた[2]1558年1月7日ギーズ公フランソワがイングランドからカレーを奪還した。16世紀末には一時スペイン帝国領となるが、1598年にヴェルヴァン条約によってフランスに返還された[3][4]第一次世界大戦第二次世界大戦では戦地となり、街は破壊された。

2015年初頭に、市有地18 ha難民キャンプが整備された[5]。当初、数百人だった難民の数は、イギリスへの密入国を目指す中東アフリカからの難民や移民らが集まったことで3,500人に増加した[5]。この難民キャンプは「ジャングル」と呼ばれており、不衛生な環境と食料不足が懸念されている[5]

スポーツ

サッカークラブ、カレーRUFCCalais RUFC)の本拠地。2000年のフランス・カップで、仕事を掛け持ちする選手ばかりの4部リーグ所属ながら、2部のカンヌを1-1(PK4-1)、1部のストラスブールを2-1、ボルドーを延長戦の末3-1で破り決勝まで進出[6]。決勝のナント戦でも前半34分に先制ゴールを決めたものの後半に追いつかれ、試合終了間際にPKを決められ1-2で敗れた[6]

姉妹都市

脚注

  1. ^ Elsen, Albert Edward; Jamison, Rosalyn Frankel; Barryte, Bernard; Iris & B. Gerald Cantor Center for Visual Arts at Stanford University (13 March 2003). Rodin's art: the Rodin Collection of the Iris & B. Gerald Cantor Center for Visual Arts at Stanford University. Oxford University Press. p. 65. ISBN 978-0-19-513381-3. http://books.google.com/books?id=30gpesJe3gwC&pg=PA65 2012年2月5日閲覧。 
  2. ^ Smith, William (1833). A new history and survey of the cities of London and Westminster, and the borough of Southwark. published by Effingham Wilson, 88, Royal Exchange. p. 321. http://books.google.com/books?id=zSIHAAAAQAAJ&pg=PA321 2012年2月5日閲覧。 
  3. ^ La Citadelle”. Calais.ws. 2012年2月5日閲覧。
  4. ^ Crowe, Eyre Evans (1830). The history of France. Printed for Longman, Rees, Orme, Brown, & Green. p. 368. http://books.google.com/books?id=x-bQAAAAMAAJ&pg=PA368 2012年2月5日閲覧。 
  5. ^ a b c 渡辺泰之「トンネルの先の将来 夢見て 仏・カレー 渡英狙う3500人 劣悪な衛生環境 課題に 密入国強行 事故も多発」中日新聞2015年9月13日付朝刊、国際10版5ページ
  6. ^ a b No.908 一発勝負の魅力(カレー)”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (2012年11月21日). 2015年5月5日閲覧。