オベリスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。侵入者ウィリアム (会話 | 投稿記録) による 2022年9月10日 (土) 14:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (+Template:混同 オダリスク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ナヴォーナ広場のオベリスク(Obelisco Agonalis

オベリスク(方尖塔[1]: obélisque[注 1]: obelisk[注 2])は、古代エジプト(特に新王国時代)期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。近代および現代においては、エジプトに依らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑である。その意味でメンヒルに類似する。

オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。日本語では方尖柱(ほうせんちゅう)と呼ばれることもある[2]

形状

ほとんどは四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に狭まった、高く長い直立の石柱である。大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。

先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっており、創建当時はここがの薄板で装飾され、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたとされる。また、その影を利用して日時計としての役割も果たした。

歴史

古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスベンベンを模式化したものと考えられている。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされた。

後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリス競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブールにも残っている。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられた。フランスコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られている。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿ルクソール神殿などにわずかに残るのみとなった。

エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもある。

現存する30本の古代オベリスク

現在、世界に現存する古代オベリスクは30本であり、内13本がローマに、7本がエジプトにある。近代や現代に建設されたオベリスクは、世界各地に無数に存在する。

象が台座のObelisco della Minerva
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

イタリア

ローマ
フィレンツェ
カターニア(シチリア島)
ウルビーノ

エジプト

ヘリオポリス
  • ヘリオポリス・オベリスク - カイロ郊外のヘリオポリス。高さ20.41m[3]
  • カイロ空港・オベリスク
カイロ
  • ゲジーラ島・オベリスク - カイロタワーの近く
カルナック
ルクソール

フランス

パリ
Luxor Obelisk (フランス)
アルル

イギリス

ロンドン
ウィンボーン

アメリカ

ニューヨーク

トルコ

イスタンブール

イスラエル

カイザリア

その他の小型オベリスク(屋内)

エジプト

ルクソール
  • ラムセス3世・オベリスク - ルクソール博物館内

イギリス

  • アメンホテプ22世・オベリスク - ダーラム大学内

オベリスク様建造物

アメリカ

アルゼンチン

ベネズエラ

ブラジル

日本

その他

未完成のオベリスク(エジプト)

エジプト

  • 未完成のオベリスク(切りかけのオベリスク) - 花崗岩の産地エジプトアスワンの石切り場にある。18-19王朝のもので、製作中にひびが入ってしまったために未完成のまま放置されている。重さ約1,170トン、高さは約40メートル。完成していれば世界最大のオベリスクとなった。

エチオピア

ステッレ(エチオピア)

ロシア

ギャラリー

脚注

注釈

出典

  1. ^ 落合直文「おべりすく」『言泉:日本大辞典』 第一、芳賀矢一改修、大倉書店、1921年、556頁。 
  2. ^ 松村明 編「オベリスク」『大辞林 4.0三省堂、2019年。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 古代エジプト神殿大百科 (2002)、59頁

参考文献

  • リチャード・H・ウィルキンソン 著、内田杉彦 訳『古代エジプト神殿大百科』東洋書林、2002年。ISBN 4-88721-580-0 

関連項目

外部リンク