ウィルバート・オードリー
Wilbert Awdry ウィルバート・オードリー | |
---|---|
生誕 |
Wilbert Vere Awdry 1911年6月15日 イギリス ハンプシャー州ロムゼー |
死没 |
1997年3月21日(満85歳没) イギリス グロスタシャー州ストラウド |
国籍 | イギリス |
職業 |
聖職者 作家 |
宗教 | キリスト教 |
配偶者 | マーガレット・エミリー・ウェイル |
子供 |
クリストファー ヴェロニカ ヒラリー |
受賞 | 大英帝国勲章 |
公式サイト | http://www.awdry.family.name/index.htm |
ウィルバート・オードリー(The Reverend Wilbert Vere Awdry OBE, 1911年6月15日 - 1997年3月21日)は、イギリスのキリスト教聖職者、汽車のえほんシリーズの作者(文章部のみ)。
ハンプシャー州ロムゼー出身。The Reverendは、司祭の敬称。OBEは大英帝国勲章のうちのオフィサー受勲者であることを示す)。
汽車のえほんが出来るまで
国教区牧師の息子に生まれ、少年時代に住んでいたウィルトシャー州(イギリス)ボックスの牧師館近くのグレート・ウェスタン鉄道(パディントン・ブリストル間)を通じて鉄道愛好家へ。文学を学ぶためオックスフォード大学で進むが、聖職に就くことに決め、神学も学ぶ。一旦イスラエルで教職に付き、そこでマーガレット・エミリー・ウェイルと出会う。
1936年に帰国して牧師となり、1938年に帰国したマーガレットと結婚、1男2女を儲ける(長男クリストファー、長女ヴェロニカ、次女ヒラリー)。
汽車のえほん
息子クリストファーが1942年にはしかにかかっていたとき、自らが少年時代に想像した機関車たちが、感情を持って話をする物語を語って聞かせた。いくつかのエピソードを話すうちに、詳細な点の矛盾をクリストファーに指摘されないようにメモ書きを作り出したのがきっかけで、物語は書きとめられることになり1945年5月最初の本「三だいの機関車」が出版された。翌年「機関車トーマス」が出版されると、以後「汽車のえほん」としてシリーズ化してほぼ1年に1冊ずつ出版された。挿絵は専門の挿絵画家が担当した。
1972年に「井戸は干上がった」と語って26番目「わんぱく機関車」の出版を最後に、一旦シリーズは終了された。その後、ブリット・オールクロフトによる1984年からのテレビシリーズ化(きかんしゃトーマス)と連動し、1983年から息子クリストファー・オードリーに続編の執筆・出版を行わせ、1996年までに14冊の続編が書き継がれた。1987年9月には「汽車のえほん」とは別にソドー島の歴史・地理学・言語・産業・地質学等を記した「THE ISLAND OF SODOR」(本邦未訳)を弟のジョージとの共著として出版している。
またタリスリン鉄道等の保存鉄道のボランティア活動にも献身的に参加した事でも知られ「汽車のえほん」にも「こうざんてつどう・スカーローイ鉄道」としていくつか描かれている。そのころ特に行動を共にした親友に、テディ・ボストン牧師がいる。
生前、華奢な体格から「やせぎす牧師(Thin Clergyman)」と、からかわれる事が多かった。この事もオードリーは原作22巻「小さな機関車たち」にて、題材として取り扱った。「汽車のえほん」作中にオードリー本人が出てくるのはこの巻と25巻「きえた機関車」のデューク探しのエピソードぐらいだが、牧師でありながら鉄道愛好家でもあった、という事実を社会一般に認めさせた。
晩年
「三だいの機関車」の出版から50周年の1995年には、イギリス国立鉄道博物館で記念展示会がひらかれ、文化人や偉人の名前などを命名しているイギリス国鉄クラス91電気機関車シリーズの91024号機(現在91124号に改番)が「レヴランド・W・オードリー号」と命名された。10月にはブライアン・シブリーにより伝記「The Thomas the Tank Engine Man」(本邦未訳)が出版された。
1996年に大英帝国4等勲士に叙せられたが、体調が悪く、ロンドンへは行けなかった。
1997年3月21日、グロスターシャー州ストラウドの自宅にて、老衰のため、安らかに死去(永眠)した。満85歳(享年87)。
タリスリン鉄道のナローゲージ(狭軌)鉄道博物館内には、オードリー牧師の書斎が復元され遺品が保存展示されている。