いろは歌

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いろは歌(いろはうた)とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文のこと。七五調今様(いまよう)の形式となっている。のち、手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は「いろは順」として中世から近世辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。

概要

現代に伝わるいろは歌の内容は、以下の通りである。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

古くから「いろは四十七字」として知られるが最後に「京」の字を加えて四十八字としたものも多く、現代では「」を加えることがある。四十七文字の最後に「京」の字を加えるのは、弘安10年(1287年)成立の了尊の著『悉曇輪略図抄』に「末後に京の字有り」とあって、当時既に行われていたようである。「京」の字が加えられた理由については、仮名文字の直音に対して「京」の字で拗音の発音を覚えさせるためだという説がある[1]いろは順には「京」を伴うのが広く受け入れられ、いろはかるたの最後においても「の夢大坂の夢」[2]となっている。

文脈の解釈

「有為の奥山」の場合

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず (中学教科書)  

文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に例えたものである[3]

中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。

しかし、文句の具体的な意味については諸説ある。表記により文章の意味は異なってくるが、前述の『悉曇輪略図抄』においては「いろは」は「色は」ではなく「色葉」であり、春の桜と秋の紅葉を指すとし、また四行目の「し」は「じ」で濁音に読み打消しの意であるとする。一方『密厳諸秘釈』は「し」を清音に読み、助動詞「き」の連体形「し」としている。17世紀の僧観応1650年 - 1710年)の『補忘記』(ぶもうき)では最後の「ず」以外すべて清音とするなど、この歌は古文献においても表記が確定していない。「夢」や「酔」が何を意味するかも多様な解釈があり、結局のところ文句の意味の確定した説明は、現時点で存在していない。

「初の奥山」の場合

最後に「ん」が入った状態で、全体で「48文字」として解釈する場合の内容。

色は匂へど
散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
初〔うゐ〕の奥山 今日越えて
浅き夢見し
酔ひもせすん
色(この世の森羅万象)というものは、香り高い状態で華やかに栄えている様であっても、
(やがて、いずれは)散ってしまう定めのもの。
この世は、誰にとってであれ、常なるものでは在り得ません。
初めての奥山を、今日、越えて行く
〔別解釈:初めての奥山というものは、誰にとっても今日初めて越えて行くものであり〕
(夢想に深入りせず)浅く〔別解釈:朝が来る〕夢を見ても、
酔いはせずに。

作者

作者については不明であるが、院政期以来卜部兼方の『釈日本紀』などには、いろは歌は空海の作であるとしている。しかしそれが史実である可能性はほとんどない。空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもあるが、何より最大の理由は、空海の時代には存在したと考えられている上代特殊仮名遣の「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行の(e)」と「や行の(je)」の区別もなされていないことである[4]。ただし破格となっている「わかよたれそ」に注目し、「あ行のえ」があった可能性(わがよたれそえ つねならむ)を指摘する説も出されている[5]

『いろはうた』の著者、小松英雄はなぜ空海が創作者とされたかについて、

  1. 書の三筆のひとりである。
  2. 用字上の制約のもとに、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいない。
  3. さらに、いろは歌はもともと真言宗系統の学僧のあいだで学問的用途に使われており、それが世間に流布したが、真言宗においてまず有名な僧侶といえば空海であることから。

といった理由を挙げている。また後述の暗号説を根拠に、空海よりさらに古い時代の柿本人麻呂を作者とする説や[6][7] 、讒言で大宰府に左遷された源高明が作ったなどの説も一部に存在するが、いずれも付会の域を出ない。

歴史

文献上に最初に見出されるのは承暦3年(1079年)成立の『金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)であり、大為爾の歌を収録する天禄元年(970年)成立の源為憲の著『口遊』(くちずさみ)には、同じく仮名を重複させない誦文であるあめつちの詞については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末~11世紀中葉に成ったものとみられる。

出土物

三重県明和町斎宮跡で、平成22年(2010年)に平仮名でいろは歌が書かれた4片の土器が発見された。これは平安時代の11世紀末から12世紀前半の皿型の土師器であり、出土物でひらがなで記されたいろは歌としては国内最古となる。4個の破片をつなぎあわせると 縦6.7センチ、横4.3センチほどになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨書で書かれている。繊細な筆跡と土器両面に書かれていることから斎宮歴史博物館では斎王の女官が文字の勉強のために記したと推定している[8][9]

また木簡では、岩手県磐井郡平泉町の志羅山遺跡で出土した「らむうゐの」「おく」と書かれた12世紀後半のものなどが存在する[10][11]

金光明最勝王経音義のいろは歌

文献上の初出である『金光明最勝王経音義』とは、『金光明最勝王経』についての音義である。音義とは経典に記される漢字の字義や発音を解説するもので、いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われている。ここでの仮名は借字であり、7字区切りで大きく書かれた各字の下に小さく書かれた同音の借字一つ乃至二つが添えられている(ただし「於」(お)の借字には小字は無い)。

以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須 — 『金光明最勝王經音義』

それぞれの文字には声点が朱で記されており、それぞれの字のアクセントが分かるようになっている。小松英雄は各文字のアクセントの高低の配置を分析して、漢語の声調を暗記するための目的に使われたのではないかと考察している。

手習い歌としてのいろは歌

いろは歌は、大矢透『音図及手習詞歌考』の題にもあるように、手習い歌としてひろく用いられた。大正時代、3,065の寺子を対象に行われた調査では、いろは歌を手習い歌に用いていたところは2,347箇所におよび、それに亜ぐ「村名」(近隣の地名を列挙するもの)より850箇所も多い[12]

明治時代以前の平仮名は多数の字体(変体仮名)を有するものであったが、いろは歌が手習いに用いられるときの字体は、そのばらつきがほとんどないことが知られている[13]。その字体はほとんどが現代の平仮名と一致するものであって、「え」「お」「そ」のみ異なる。そのため、山田孝雄は、現代の平仮名の成立にこのいろは歌の字体が影響したことを指摘している[14]

その他

鳥啼歌(とりなくうた)

明治36年(1903年)に万朝報という新聞に、新しいいろは歌(国音の歌)が募集された。通常のいろはに、「ん」を含んだ48文字という条件で作成されたものである。一等には、坂本百次郎の以下の歌が選ばれ、「とりな順」として、戦前には「いろは順」とともに使用されていた。

とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんかしを
そらいろはえて おきつへに
ほふねむれゐぬ もやのうち
鳥啼く声す 夢覚ませ
見よ明け渡る 東を
空色栄えて 沖つ辺に
帆船群れゐぬ 靄の中


暗号説

巷間の一部に、いろは歌の作者が折句で暗号を埋め込んでいるとする俗説が古くから流布している。暗号とからめて表面上の文意にも二重三重の異なった意味なども指摘される。『金光明最勝王経音義』など古文献の一部では、七五調の区切りではなく、下のように七文字ごとに区切って書かれていることがある。この書き方で区切りの最後の文字を縦読みすると「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となる。これをもっていろは歌には作者の遺恨が込められており、源高明を作者とする説が出た。しかし大矢透はこれを「付会」としている[15]。また作者は高明ではなく柿本人麻呂であるとし、同じく五文字目を続けて読むと「ほをつのこめ(本を津の小女)」となる(本を津の己女、大津の小女といった読み方もある)。つまり、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」といった解釈もある。

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ
いろはにへと
ちりぬるわか
よたれそねな
らむうゐおく
やまけふえて
あさきゆみし
ゑひもせす


人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』は、本来いろは(仮名)47文字が赤穂浪士四十七士にかけられたとされているが、それは、この暗号が広く知られていることを前提として書かれたとする説をとなえる者がいる[16]。江戸時代は、この読みは偶然と言う考えが主流だったが、縁起が悪いので教育に用いるべきではないと言う意見もあった。

地名でのイロハの例

脚注

  1. ^ 大矢透『音図及手習詞歌考』(大日本図書、1918年)、87頁以降。
  2. ^ 京の夢とは朝廷で官位を極める「出世」、大坂の夢とは商売で財を築く「富貴」の夢。夢物語をする前に唱える諺。
  3. ^ 小学館 デジタル大辞泉
  4. ^ 『音図及手習詞歌考』
  5. ^ 亀井孝「いろはうた」『言語』、1978年12月。
  6. ^ 篠原央憲『柿本人麻呂いろは歌の謎』(三笠書房、1986年)
  7. ^ 篠原央憲『柿本人麻呂いろは歌の謎』(三笠書房、1986年)
  8. ^ 斎宮跡:出土土師器の破片にいろは歌 平仮名としては最古 (毎日新聞、2012年1月18日付)、土器にひらがな「いろは歌」…国内最古 (読売新聞、2012年1月18日付)
  9. ^ 斎宮跡から日本最古の「いろは歌」ひらがな墨書土器が出土しました! 斎宮歴史博物館
  10. ^ 木簡データベース
  11. ^ いろは歌墨書木簡一覧
  12. ^ 乙竹岩造『日本庶民教育史』(1929。臨川書店、1970、下、p. 968)
  13. ^ 矢田勉「いろは歌書写の平仮名字体」『国語と国文学』72巻12号、1995年。
  14. ^ 山田孝雄『国語史 文字篇』(刀江書院、1932年)。
  15. ^ 『音図及手習詞歌考』89p
  16. ^ 小松英雄『いろはうた』、1979年、38頁

参考文献

:(中公新書、1979年) ISBN 4-12-100558-9
:(講談社学術文庫、2009年) ISBN 978-4-06-291941-8

関連項目