Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/フィクション関連

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ファンタジー作品からの記事リンクについて[編集]

相談なのですが、ファンタジー作品の多くで、スライムドワーフエルフミスリルオリハルコンといった設定はよく使われていますよね。ゼウスアテナオーディンシヴァなどの世界の神話の神々も下敷きとして良く利用されています。しかし、わざわざ「トールキンを下敷きにしている」「○○神話を下敷きにしている」と明記するような出典はどの作品でもなかなか見つけられないように思います。

完全異世界のファンタジーで、その世界の神々の名として各神話から拝借したキャラクター名がついており、そこに各神話への記事リンクが設定されていると非常に違和感があります。(例:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)一方で、聖闘士星矢などでは「ギリシャ神話を題材にしたストーリー」として概要に説明があるのでまだよいのかな?と思えてしまったり。「○○はエルフの少女で」などとさらっと書いてあるのはそんな違和感なかったりと、リンクつける、つけないの線引きが独自研究になりそうな気がしたのでこちらに諮りたいです。

こういう場合「記事リンクは張るべきではない」なのかなと思っているのですが、どこかに指針などありますでしょうか。--えーす会話2017年5月25日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

コメント 個人的には……マニアックな元ネタ探しならばともかく、エルフ、ドワーフ、ミスリルといった単語が登場するライトファンタジー作品が、一つのジャンルを形成していて、それらのジャンルの元を辿るとトールキンのファンタジーを源流にしている……といった内容は、「Wikipedia:独自研究は載せない」の例外に当たる「特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合」に含めてよいと考えます。その辺のレベルまで難癖をつけていくと、出典に「トールキンを下敷きにしている」という記述があっても、「はァ? そのトールキンとかいうのが、1892年生まれ1973年没の、1954年から出版された『指輪物語』の作者であるJ・R・R・トールキンという人物と同一であるという出典はどこに書いてあるんですか?」という難癖もつけることが可能になってしまい、ウィキペディアの検証可能性が成り立たなくなってしまいます。
もちろん一般教養レベルでないマニアックな元ネタや、こじつけの疑いがある元ネタ探しに見える内容となるとこの限りでなく、独自研究になるでしょうから、その辺は線引きも必要かと思います。--Kanohara会話2017年5月25日 (木) 09:04 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。「設定としてエルフ、ドワーフを使ったりしていることについて、特に出典が要らない」ことは納得できる回答でした。もやもやの一部は晴れた気がします。一方で違和感が残っているのは、そうやって使われ、ファンタジーで元ネタとは似付かわないオリジナル設定がされているキャラクタ、物事について、元ネタへの記事リンクを張ることの可否、です。
まだ、地球上のとある町・時代が舞台のような「その世界でも一般的に各神話があるという前提」ならわからなくもないのですが。例えば、上記の ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか での神々の名をもつキャラ群から各神話の神々へのリンクであったり、例えば日本も無ければ侍も居ないような異世界SFの物語で「マサムネ」の名だけ借りたミサイルだったり組織だったりが登場したとして、そこから正宗へリンクが張られる、という(今作った架空の)ケースです。元ネタとしてはおそらく合っているんでしょうけれど、「言及されていない元ネタをわざわざ示す」ことは、それが合っていても独自研究なのでは?と感じます。―-えーす会話2017年5月25日 (木) 10:36 (UTC)[返信]
中々興味深い話題で、本来であればもっと文章を煮つめて、思ってることをコメントしたいのですが、時間がないので急ぎ足で思うことをコメントします(なので途中わかりにくいところがあると思いますがご容赦ください)。
まず、2つの異なる話題・観点が混ざっているように思います。内部リンクという形での語句の紐付けと、「元ネタは○○」という文章説明がされるパターンは分けて考えるべきだと思います。内部リンクの場合、Wikipedia:記事どうしをつなぐに明記される通り「内容に関連するリンクだけを作成」(第一チェック)、単に言語・言葉として同じなのではなく「文脈上、概念としても同じ」(第二チェック)という2点で、大概はふるいに掛けられるように思います(これが出来てない記事が多すぎる)。
「元ネタは○○」系については、まず、当然、明示的な出典があれば問題ないでしょう。明示的な出典がない場合は、制作側が、読み手が「元ネタは○○」と認識することを前提としているか否かのテストをしてみるべきです。例えばパロディ系のギャグ作品において「○○にもぶたれたことないのに! 」という台詞があったら、これは間違いなく元ネタはガンダムなわけです。読み手がガンダムを知っていると期待しているからギャグになるわけです。また、ドリフターズにおいて、ナチス式敬礼をしているチョビ髭の中年オヤジの肖像画に関して、「天才的な演説と人心掌握術」とまであれば、これはもうヒトラーしかない。もちろん、それは叙述トリック的な意図を持っていてあとで覆されるかもしれないが、しかし、叙述トリック的な意図があるってことは、まさに制作側が、読み手がそう思うことを前提として描写したという何よりの証だろう。もし、読者がそう読み取るだろうという期待を一切否定して、明示的な出典がなければ独自研究だというなら、ルフィの性別が男だということすら書くのが大変になってしまう。
そうした観点があることながら、一方では元ネタがオリジナルでない可能性もある。例えば、RPGでバハムートという名前のドラゴンがいた時、「元ネタはイスラム教のバハムート」と説明したら不適切だろう。まず、D&Dの可能性が強いが、D&Dの影響を受けたFFの方が元ネタかもしれない。エルフだって、まずトールキンが思い浮かぶけど、著者にとってはロードス島戦記の方かもしれない。逆に20代の大半にとっては「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」は、元ネタはコードギアスだと思ってるだろうけど、実際はフィリップ・マーロウ。
そうした誤謬はあるにしても、フィクションの記事で執筆しようと思ったら、まずは「制作側が読者がどう読解することを前提としているか」という観点をまず持つことが重要なのではないかと思います。そうした観点を無視した知識自慢さんは、本来的にはウィキペディアには向かない。--EULE会話2017年5月25日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
なんか極端な気もしますが、キャラクタの性別は一次資料が出典で問題ないでしょう。パロディに元ネタがあるのは自然なことですが、制作者が作品内の表記に出典をつけていないのは「制作者による読者の想定層」の話であって、それと「Wikipedia の閲覧者」に向けた記事の出典は別の次元の話だと思います。それが印象的なシーン・設定なら2次資料で拾われるでしょうし、拾われないなら記事に取り上げるような話ではないのだと思います。例えばドリフターズではキリストを暗示するような記述があったと思いますが、一次資料から作者の意図を汲んで「キリストを暗示している」と記事に書くべきではないでしょう。
一方では元ネタがオリジナルでない可能性もある~」というのは「内部リンク先を考慮する必要がある」という話でしょうが、私が気にしているのは「どれが正解なのか以前の話」で「名前だけ借りたようなケース」です。ちょっとサンプルを探してみましたが、ドラゴンボール孫悟空孫悟空 (ドラゴンボール)への内部リンクであって、孫悟空(西遊記)へのリンクではありません。記事 孫悟空 (ドラゴンボール)内で 「西遊記』の孫悟空からとった命名である」と示されています。
さて、「孫悟空 (ドラゴンボール)」が単独ページを持つほどの記事量でなかった場合、それはドラゴンボールの記事内の登場人物欄で説明されますよね。そこで「西遊記』の孫悟空からとった命名である」と説明がされるでしょう。ここでさらに"出典がない" または ″わざわざ示さない″ ような場合。ドラゴンボールの作品説明内の「孫悟空」というキャラ名について、孫悟空(西遊記)のリンクを張るべきでしょうか?そこに内部リンクはそもそも張るべきじゃないですよね?という提起です。 --えーす会話2017年5月25日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
もう少し思考サンプルを挙げてみたいと思います。ドリフターズ (漫画)の記事で 島津豊久 が戦国武将の記事に内部リンクされているのは問題ないように思えます。これは(二次資料もあるでしょうが)歴史上の島津豊久が異界へ漂流をするストーリーですから、リンクがついてても個人的にはまだ納得できるかな、と思えます。一方で下記のケースだとどうでしょう?
  • 宇宙SFもので、ナス・ヨイチという射撃の名手が出てきたとして、これに那須与一への内部リンクが張られている。
  • 学園もので、ムサシとコジロウというライバル関係の2名が登場し、二刀流を使ったり、燕返しという技を持ってたりする。しかし普通の学生であって転生という設定でもなんでもない。彼らの名から宮本武蔵佐々木小次郎のリンクが張られている。
  • 異世界ファンタジーもので、その世界の神々の名にアポロン、ロキ、タケミカヅチが出てきて、彼らの名からアポロンロキタケミカヅチへリンクが張られている。
これらについて元ネタはこれですよ、と出典の説明文をわざわざ書くのもおかしいだろう、という感じはしていたのでそれらが要らないだろうことは Kanoharaさんの回答で納得できました。ですが、出典が要らないことと、キャラ名からの内部リンクを張ってよいこととは別なのでは? と考えています。別物ですから。一方で、 島津豊久 のケースとの線引きが(私の)独自研究になってないか不安にも思っています。--えーす会話2017年5月26日 (金) 03:15 (UTC)[返信]
似たような案件で文豪ストレイドッグスという漫画があります。実在の作家の名前が登場人物名として使用され、能力名に代表作の題が用いられていますが、漫画の設定とは一切関係ありません。しかし内部リンクがはられているのにモヤモヤします。--Sazanamiya会話2017年5月26日 (金) 06:39 (UTC)[返信]
コメント文豪ストレイドッグス』に関しては、出典付きで「元ネタが文豪」とあるので、一応リンクのセーフラインではないかと考えますが、出典があることあるので項目名からリンクを外し、説明文の中で「元ネタは[[○島☓]]」としてもいいのではないかと思います。同じように神話や歴史人物がキャラクター化されている場合は、えーすさんの指摘されているように、「元ネタではあるが、該当人物としての設定ではない」ケースに関しては、個々のキャラクターに個別の出典がなくても「戦国時代をモチーフに」・「三国志を題材に」・「色々な神話の神々がキャラクター化され」といった出典がある場合には、項目名ではなく説明文中に「元ネタは[[○島☓]]」・「[[○島☓]]をモチーフとしたキャラクター」とするといったようなルールの制定を別個議論した方が良いのではないかと思います。--ジャムリン会話2017年5月26日 (金) 09:44 (UTC)[返信]
私見では、『文豪ストレイドッグス』は、概要の2行があれば各登場人物の説明文にも要らないように思えます。出典としてわざわざ書くまでは不要で、キャラクタ説明として文の中に「太宰治をもとに~」とあるならそこにリンクをつける感じでしょうか。
ルーリングに関しては、Wikipedia:記事どうしをつなぐ#リンク作成の注意点 か、ここWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述 あたりでですかね。パターンがいくつか分けられそうです。ちょっと書き出してみて、線引きをするか、まとめてアウト、セーフとみるか。
一騎当千 (漫画)』や『Fate/stay night』は、、、A?のようなAでないような?? 他にわかりやすい分け方、説明のつけ方、どなたか思いつきますでしょうか。--えーす会話2017年5月26日 (金) 12:26 (UTC)[返信]
コメント 『ドリフターズ (漫画)』がAなら『Fate/stay night』もAなんじゃないですかね? まあ、NHK大河ドラマのような史実を元にしたという体裁のフィクション作品と、『るろうに剣心』のように「歴史の裏で密かに繰り広げられていた知られざる戦い」という体裁を取る超人バトル漫画と、『Fate/stay night』のように史実上や神話上の人物が異世界や現代に召喚されて荒唐無稽な戦いを繰り広げる作品は、それぞれ趣が違いますけれど。まあ結局のところ、こればかりは記事の体裁にも依存し、記事ごとにケースバイケースとしか言いようがなく、迷ったら個々のノートで議論するしかないのではないか、と思いますがどうでしょうか。
個人的な経験では、『アニメ三銃士』のアラミス(男装の麗人)について言及する必要があったとき、アレクサンドル・デュマによる原作の登場人物に関する記事である「アラミス」にリンクを張るかどうか迷って張らなかった経験があります。この場合は、張るならアニメの記事の登場人物セクションに張るべきですね。--Kanohara会話2017年5月27日 (土) 07:46 (UTC)[返信]