Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源

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こだわりすぎは、良くないです。[編集]

しかし、いつまでもそれにこだわっていると、書かれない記事関係ののファンの人たちから断られ、Wikipediaは、不利になります。なので、少しでも多くの人から見られたいのであれば、個人ブログの情報も、受け入れたほうがWikipediaも結果的に活気であふれよくなると思います。どうですか?--コンテナ好き会話2022年3月26日 (土) 08:46 (UTC)[返信]

Youtubeの本人動画は出典として適切か?[編集]

題名の通り、質問があります。WikipediaのYoutuberの記事の中で、本人の動画を出典としているものが見受けられます。これは適切なのでしょうか?忘れてしまったのですが、以前どこかの記事のノートにて、Youtuber本人の動画を出典するのはよくないとの指摘があったのを思い出しまして。どなたかご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたいです。--有栖川茜会話2022年4月24日 (日) 13:29 (UTC)[返信]

  • コメント 大雑把に言うと2つのポイントがあります。「それは本当か」(信頼性の問題)と、「本当であったとしても百科事典に書くに値するようなことか」(特筆性の問題)の2つです。「youtubeでの自己発信情報」の場合、この両者について、問題になるということです。
  • 一般論としては、適切な査読を経た「信頼できる情報源」の場合、「それは本当か」について独自で裏を取った情報源が「信頼できる」と言うに値します。もしも仮に、芸能ニュースサイトみたいのがあって、そこで「Aさんがyoutubeでこういうことを言っていた」みたいなニュース記事があった場合には、それは「こういうことを言っていた」事自体は事実であろうと推定できますが、「その中身が本当なのか」については未検証、信頼できるとは言えないということになるでしょう。これはyoutubeの芸能情報でなくても、たとえば事件事故などで「警察の発表」をそのまま報じるニュースなどにも適用できます。その報道機関が、警察とは独自に調査し裏を取っているかどうかが、一つの判断基準になるでしょう。(その場合、その独自調査が信用できるのか、という問題は別に検討する必要があります。)
  • 「百科事典に書くに値するか」は、別に検討する必要があります。これも一般論としては、「ニュース」系の情報源は、とにかく何でもかんでも速報するという性格があります。したがってそれだけでは「百科事典に書くに値する」とはいえないかもしれません。(極論すると、新聞やニュースには天気予報欄とかがあり、「6月13日の○地区の予想降水量は2ミリ」みたいな話も「情報源が有る」ことになってしまいます。もちろん、通常はそんなことはいちいち百科事典に残す必要はないとみなされるでしょう。歴史的な大雨みたいな場合にはまた話は変わります。)
  • 近年のyoutubeに関連する「情報源」に関して言うと、(コトバは悪いですが)有象無象のネット情報サイト、みたいのがあり、そこではしばしば「youtubeの中身ほとんどそのまま書いただけ」みたいになっています。一般的にみると、それはたとえ「第三者情報源」だとしても、十分な独自検証がされているとは到底考えられないし、実質的な宣伝誘引目的で「第三者」と言い難かったり、百科事典に掲載するに値するような情報の選別が行われているとは思えなかったりで、百科事典の情報源としては不十分とみなされるでしょう。
  • 逆に言うと、十分な時間が経過し、十分な調査検証査読が行われ、然るべき信頼できる出版社から刊行されたようなものは、情報源にふさわしいでしょう。ただyoutubeについてそうしたものがどれぐらい期待できるかというと、そう多くは無いのでは。ごくごく一部のトップクラスのyoutuberで、たとえば『現代用語の基礎知識』とかに掲載されるような域になれば、とか。おそらくそれは片手で数えるほどしかいなくて、youtubeに熱心な関心がある方からすると、情報の鮮度や情報量、正確性がまったく不十分だと感じられるようなものでしょう。基本的に「サブカルチャー」分野はそういうものです。(あとは、私はこの分野には疎いのでまったくわかりませんが、適切な情報源があるならば。)おそらくWikipedia内の実態としては、そうした「規則」にとらわれずに有象無象の情報をいくらでも書いているページというのが山ほどあり、その分野の執筆者にとってはそれが常態化している(みんなやってるからいいだろ的な)という面はあるだろうと思います。ですが、適切にルールに照らすと、その「常態」は本当はだめなんだよ、という感じですね。--柒月例祭会話2022年6月13日 (月) 03:54 (UTC)[返信]
  • 本人動画は適切か、という問いだと範囲が広いですが、場合に依るのではないでしょうか。例えば、ある人が広く批判を浴び報道もされた後で、YouTubeの動画で反論ないし釈明をした、というような場合、報道を記載すると共に本人側の主張も簡単に「Xはこれに対し……と釈明した」というように併記することはWP:NPOVにも即した方法だと思います(余りに本人の主張を長々と書くのは問題ですが、手短かにまとめることができていれば)。 --2001:240:242C:20A:201C:F0C9:DEEA:F849 2022年6月15日 (水) 12:36 (UTC)[返信]

Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシングによる出版物の扱いについて[編集]

Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング(Amazon KDP)による出版物(以下、Kindle本)について、Wikipedia:信頼できる情報源としての扱いを確認したく、ここで提起します。

事例として、状態量における出典の扱いが問題になりました。追加された記述の出典がKindle本でした。編集者にKindle本は出典としては不適切である(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)ことを説明しましたが納得されていないようです。

また、過去の削除依頼(最近では[1][2]など)でもKindle本は自費出版物と同様の扱いであり特筆性を示す根拠とは見なされていません。

ここで、改めてKindle本がどのような出版物であるのか、概略を説明すると、

したがって、これらを合わせて考えれば、Kindle本は適切な査読システムを持たないと言えます。また、上記記事の編集者とのやりとりの中で、出版に際して費用がかかっていないので自費出版物ではないという意見が出ましたが、販売される毎に販売価格に応じてAmazon KDP側が所定の費用を差し引いて著者に支払われるので、実質的には出版費用を後払いしているだけのように思えます。

つまり、私の考えは、Kindle本はWikipediaでは自費出版物と全く同等の扱いであって信頼できる情報源にはあたらない、というものです。この点がはっきりすれば、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に書かれている通りであり、記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えませんから、今後同様の事例が発生した際、Kindle本の扱いをめぐって無用の議論が発生することが避けられます。

皆様からの意見をいただきたいと思います。(本ノートの過去ログも含めて同様の議論を探しましたが見つけられませんでした。見逃しがありましたら申し訳ありません)--みそがい会話2022年5月18日 (水) 12:36 (UTC)[返信]

(追記)ここでいうKindle本とは、他の出版社の既出版物をKindleマーケットで販売するものは含みません。Amazon KDPのみで扱う本を指しています。--みそがい会話2022年5月19日 (木) 11:48 (UTC)[返信]

  • 「Kindle本はWikipediaでは自費出版物と全く同等の扱い」これはほぼ議論の余地がないものと思います。同意します。「出版に際して費用がかかっていないので自費出版物ではない」という相手方の反論も確認しましたが、これはルールの精神を理解していないwikipedia用語でいうところの「Wikipedia:法律家ごっこ」であり、改善が見られないようであればしかるべき手段を取らなければならないように思います。
「記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えません」これには同意しません。自費出版物には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」という例外規定が設けられてますから、作者がこうした人物であることが立証できる限りにおいては使用できます。ただし推奨はされませんし、発見次第、より適切な出典に置き換えられるべきではあります--おいしい豚肉会話2022年6月12日 (日) 02:45 (UTC)[返信]
@おいしい豚肉さん 特筆性の証明にはならないでしょう。特筆性の証明は、「対象と無関係な」情報源によってなされるわけですから。前半部分の、記事の記述の出典として使える場合があるというのは正しいと考えますし、他の出典に差し替えたほうがベターということにも同意します。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年6月13日 (月) 02:04 (UTC)[返信]
おいしい豚肉さん、紅い目の女の子さん、コメントありがとうございます。
先ずは、お二方とも「Kindle本は自費出版物と同等の扱い」であるという点では同意されていると思います。
次に、おいしい豚肉さんが上げている点については、既に著名である(Wikipediaとして何らかの特筆性が立証できる)人物のKindle本(自費出版物)である場合は記事の出典として用いることも「可能」である、ということだと思います。方針やガイドラインで示されている通り、基本的には自費出版物ではなく別の出典が求められています。この点は方針やガイドラインの記述内容の解釈に準じるので、私の「記事の記述や人物の特筆性を立証するための文献としては使えません」という記述は強すぎる表現だったと思います。(これは、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源:二次資料としての使用では二次資料として使用できませんからその意味では適した記述ですが、Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源とはマッチしないという意味です。当然、自分自身の特筆性を示すための情報源としては使用できませんが。)
そこで、ここでいうKindle本は自費出版物相当である旨をWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に明記したほうが良いのではないか、ということを考えています。その点についてはいかがでしょうか。ご意見をいただければと思います。--みそがい会話2022年6月14日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
  • 出版元(amazonパブリッシング)の学術上の権威はこの場合関係ありません。権威ある筆者が査読のある形態のもので出版したものであるならばwikipediaにおいて権威ある引用元として容認される可能性があります。著作権が切れた過去の書籍(青空文庫)なども、その引用元(青空文庫)の記述が適正であるということがさらに権威ある媒体で検証可能であるかぎり、wikipediaの引用元として参照されることもありうるでしょう。なにしろwikipedia読者にとってweb上で参照しやすいという点で親切だからです。「出版元の権威」と「筆者の権威(あるいは筆者が記述した内容に関する権威)」について混同すべきではありません。Kindle本は権威がないので一律に排除されるというルール設定には反対します。なお「自己公表された情報源」項目をもういちどしっかり最後まで読み込んでいただくことをお薦めします。自費出版本は「一律にすべて排除される」主旨とは一切書いて無いはずです。例えばわたくしの愛読する穂積陳重先生の法窓夜話は自費出版本でしたが一般に権威ある書籍としてしばしば学術論文で引用されています。--大和屋敷会話2022年9月28日 (水) 23:05 (UTC)[返信]

「ないです」と「ありません」[編集]

  • おもわぬ編集に上記の点についてコメントさせておいてください。「です」は主に名詞に下接し断定の助動詞「だ」と同様に使用されており、形容詞に「です」がつくのは耳障りだという指摘は戦前からもあったようですが、【昭和27年(1952)に文部省が出した敬語の指針(「これからの敬語」)では「大きいです」や「小さいです」といった形容詞終止形に接続する「です」も「平明簡素な形として認めてよい」とされ、今日のように違和感なく用いられるようになっている】点を指摘させておいてください。尾谷昌則「「書かないです」と「書きません」」(法政大学国文学会2012-07)p.35[3]--大和屋敷会話2022年9月28日 (水) 22:35 (UTC)[返信]
大和屋敷さん、おはようございます。参考になる情報をありがとうございます。ということは、1952年の時点で、「形容詞」や「ない」の直後に「です」を付ける表現には違和感がある、と感じていた日本人がいた、ということですね。→誤用?慣用?「グレーな」日本語との付き合い方←こちらのサイトにもあるように、「形容詞のすぐあとに『です』を付けるのは、違和感がある」「同意していただける方も多いのではないか」とあり、「です」の使い方に違和感があるという方は普通におられる模様です。このサイトの作者が書いておられるように、「違和感があるかどうか」です。私の場合も同じで、「読んでいて、聞いていて、どうしても違和感がある」から、「ないです」を「ありません」に修正した、それだけのことです。繰り返しますが、「正しいか否か」ではありません。「違和感が生じるから」です。形容詞や否定語「ない」のすぐあとに「です」を付ける言い回しは、読んでいて、聞いていて、違和感がある。もっと言うなら、「気持ちが悪いから」です。私自身、こういった「です」の使い方はなるべく避けるよう気を付けています。
「『「形容詞」+「です」』や、『ないです』の使い方は認められている」とはいっても、「ありません」「ございません」といった言い回しが使われなくなった、受け入れられなくなったというわけではないのですから、「ありません」で問題ないのではないでしょうか?ましてやウィキペディアのような真面目なサイトで「ないです」とかいう使われ方を見ていると、とても気持ちが悪いし、なんというか、子供っぽい表現に聞こえるからです。繰り返しになりますが、1952年の時点で、こういった「です」の使われ方があったが、同時にそれに違和感を覚えていた日本人がいたということなのですから、本来ならこういう使い方は受け入れられてはいない、ということを暗に示しているのではありませんか。--ラッツ会話2022年9月28日 (水) 23:28 (UTC)[返信]
例を挙げると、「~せねばなりません」とは言っても、「~せねばならないです」とは言わないでしょう。「分かりません」とは言っても、「分からないです」と言うのは違和感がある。同様に、「存じません」とは言っても、「存じないです」とは言わないし、「持っていません」とは言っても、「持っていないです」とは言わない。「ありません」とは言っても、「ないです」とは言わないし、「書きません」とは言っても、「書かないです」とは言わない。少なくとも私はこういった安直な「です」の使い方は避けるよう気を付けています。以前、私の会話ページに書き込んだ方で、「~かもしれないです」で文章を終わらせた人がいたのですが、「かもしれません」のほうが日本語として自然です。少なくとも、私自身、「かもしれないです」なんて奇妙な言い方を使ったことは一度もありません(→ここで「一度もないです」とは言わないよう気を付けています)。どうしても「ない」の直後に「です」を使うのなら、助詞の「の」か「ん」を介在させます。「ないのです」とか、「辛いんです」とか。「ん」を使った場合は少し砕けた表現に聞こえますが、それでも「ないです」に比べれば自然な表現であり、違和感はほとんど覚えません。
こちらの雛形、Template:存命人物の出典皆無には、「この存命人物の記事には、出典がまったくありません」とあります。もしもここの文章が「出典がまったく無いです」となっていたら、私の場合、もはやそこから先の文章を読む気が失せるでしょう。いくら「認めてよい」とはいっても、この文脈で「ないです」なんて表現が受け入れられますか?好ましくはないでしょう。私もまた、ここで「好ましくないです」なんて使わないよう気を付けています。--ラッツ会話2022年9月28日 (水) 23:55 (UTC)[返信]
私が上記に書いた「受け入れられなくなったというわけではないのですから」を「受け入れられなくなったというわけではないですから」と、助詞の「の」を抜かした場合、途端に違和感が生じます。それだけではなく、文章の微妙なニュアンスまでが変わってしまいます。
引き続き例を示すと、「なかったです」というぐらいなら「ありませんでした」と言うべきでしょう。過去時制「た」の直後に「です」を付ける表現も、違和感があるというだけでなく、子供っぽく見えます。「です」の歪な使い方が本当に目立ちます。「『です』を付けさえすれば丁寧なニュアンスが出せる」とでも思っているのでしょうか?なお、名詞や形容動詞(※形容詞ではない)の直後に「だ」「です」を付けるのは何の問題もありません。「その人物の名前は織田信長です」とか、「そこに立ち入るのは危険だ」とか。何度も述べているとおり、「違和感があるかどうか」です。「正しいかどうか」ではありません。「その表現を読んでいて、聞いていて、何か引っかからないだろうか?」なのです。私の場合、「ないです」という表現に違和感を覚えた、心の中で強い拒否反応が現われた、読んでいてどことなく気持ち悪くなった。だから「ないです」を「ありません」に修正した。それだけのことです。--ラッツ会話2022年9月29日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
    • コメントある意味かしこまった表現が必要と思われるウィキペディアの方針文書ですが、だからこそ個人的な感覚に基づいて変更すべきではないと考え、編集の取り消しを行いました。ましてやこの文書は「どういった情報源が、ウィキペディアの編集に際してふさわしいものか」を説明する文書です。その文書を、50年前以上の文書をちょこっと出した以外には個人的な経験と感想を長々と書き連ねてそれらしい根拠があるように見せかけて編集する、それも指摘を受けて後出し的に表明するのは、「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨」している文書の編集を行う方法としてそれこそ推奨されるものではありません。事前にノートで意見を提起し、合意を形成する形で取り組むべきものだったと思います。なおこの行動は「ないです」という表現をこの文章で使うことを肯定するものではありません。--VZP10224会話2022年9月30日 (金) 23:39 (UTC)[返信]
    • コメント ルールの説明なので、基本的には「ちゃんと伝われば良い」のでは。過度に修辞にこだわる文章ではないので。いずれにしても文面改訂のための手続き論としてはVZP10224さんの仰る通りです。
    • 「自身の意見は書くべきではありません。」と「自身の意見は書くべきでないです。」でもめるのであれば、いっそ「自身の意見は書かないでください」とでもしてはどうでしょう。
    • 「書くべきではない」と「書かないべき」とでは、とりようによっては意味の違いがあります。「べき」には義務とか当然だという意味合いがあり、これに否定の語を接尾すると部分否定のようなニュアンスが生じます。「Aすべきではない」(Aを推奨はしないよ=するなとはいってない)。ですが今回の信頼できる情報源に関しては「○○するな」というのが言いたいことなわけで、「自分の意見を書いてはいけませんよ、ダメです」という話です。--柒月例祭会話2022年10月1日 (土) 09:03 (UTC)[返信]
      • 返信 (柒月例祭さん宛) 「書かないべき」という表現は一般的に日本語文法上誤りとされており、「書くべきではない」が「書くことを禁止する」という意味(したがって「部分否定のようなニュアンス」というのも誤り)です(参考:「しないべきだ」は問題あり。誤りとする辞書も - 毎日新聞校閲センター)。㭍月例祭さんによる日本語の独自研究はたいへん興味深いですが、記事や方針に反映しないようにお願いします。--106.150.143.99 2022年10月5日 (水) 02:27 (UTC)[返信]
        • コメント お示しいただいた情報源からも、「書くべきではない」と「書かないべき」とでは、とりようによっては意味の違いがある、ということが裏付けられました。そして「書かないべき」という表現を認める少数派意見と、これを認めないという意見があり、対立があることも裏付けられました。ありがとうございます。日本語は時代とともに変化するものですが、重要なルールに用いる上では、その文書にあるように、「べき」(べし)という表現を避けて「表現を全体的に変更する」(たとえば、「自分の意見を書いてはいけません」のように)改めるのがベターだなと改めて思います。--柒月例祭会話2022年10月7日 (金) 07:50 (UTC)[返信]
          • コメント あの、いまさら申し上げるようなことでもないかもしれませんが、情報源はちゃんとお読みになったほうが良いですよ。そちらに記載されているのは、「すべきでない」という表現には禁止のニュアンスがあるので、禁止の意味で使いたくない方々が「しないべきだ」を使っているという情報です。つまり柒月例祭さんの解釈とはむしろ逆です。「書くべきではない」を全面的な禁止の意味で受け取らないのはおそらく日本中で柒月例祭さんだけですので、禁止の意味で「書くべきではない」を使うのは何ら問題ないということになります。--159.28.240.89 2022年10月7日 (金) 09:42 (UTC)[返信]
            • コメント また、ついでに指摘しておくと、この文書には「べき」(べし)という表現を避けたほうが良いと書いてあるのではなく、「しないべきだ」という表現を避けたほうが良いと書いてあるのです。この点でも柒月例祭さんは正しく読解できていらっしゃらないようです。--159.28.240.89 2022年10月7日 (金) 09:47 (UTC)[返信]
  • コメント 「文法上許容されるか」は最低条件であって、「正しい文法に従っているとされる文」の中にもくだけた口調と改まった言葉遣い、子供っぽい言い方と格式高い表現などさらに細かな分類ができます。私としては「ないです」はやはりフォーマルとは思えず、回避できるのであればこのような文章においては使うべきではないと考えます。--Izayoi2000会話2022年10月2日 (日) 04:06 (UTC)[返信]

自然科学に関する情報源の規定の解釈について[編集]

カスミサンショウウオの生息地に関する指定文化財の名称変更があり行政上の告知があったので編集したところ、学会の分類の名ではないとリバートされました。この利用者はPJ:BIOのガイドにおける「専門的でない資料」の禁止あるいは回避に関する明文化の提言を提起し、その理由に「科学では一般向けの出版物からの引用を避ける」を使った自説を展開されましたが、全く賛同を得られませんでした。カスミサンショウウオの生息地の指定文化財の名称は変更されているので同氏に対処を求めたものの行政上の告知は削除されたまま全く対処されず、かわりに私の会話ページでテスト投稿と発言されました。生息地が指定文化財になっていて名称変更があり行政上の告知をもとに変更したものを「科学では一般向けの出版物からの引用を避ける」に反するテスト投稿とされました。

生息地に関する指定文化財の名称変更は自然科学の問題ではありません。テスト投稿と言われたため編集をあきらめ、同氏に対して対処を求めていたものの、この利用者は無期限ブロックされたようです。

以上の経緯から下記の通り文面の一部を変更することを提案します。

現行)そのため、一般向けの新聞や雑誌の情報源はたいてい、科学や医学の記事に対しての情報源として信頼できません。

変更)そのため、一般向けの新聞や雑誌の情報源はたいてい、科学や医学に関する叙述での情報源として信頼できません。

現行では科学や医学の記事とそうでない記事を分け前者の記事では一般向けの新聞や雑誌の情報源を避けると解釈できますが、例えば動物の記事にある民俗や習俗との関係は自然科学の問題ではないので記事単位で考えるのは不都合かと思います。この人間との関係に関連する叙述に関する点は既に冒頭の議論でも指摘されています。そのため記事単位ではなく叙述ごとに自然科学や医学に関する叙述か否かを判断し、自然科学や医学に関する叙述では一般向けの新聞や雑誌の情報源を避けると変更することを提案します。--Hiaanaa7会話2023年2月6日 (月) 01:24 (UTC)[返信]

  • コメント お示しの文面変更をどうするのかというのはひとまずノーコメントとして、「科学では一般向けの出版物からの引用を避ける」云々についてはご指摘の通りと思います。つまり、生態とかの生物学的記述については専門的な情報源を重視するのはわかりますが、「生息地の指定文化財の名称」をはじめとした人文的な記述については「科学専門情報源」以外を情報源とするのでよいでしょう。
  • ただし別問題として「WP:NOTNEWS」的な観点で、新聞類(ニュースサイトを含む)の使用は要注意といったところです。--柒月例祭会話2023年2月6日 (月) 02:45 (UTC)[返信]
  • 報告 告知・節名が「単位」云々とあり、それだとセンチとかフィートとかの話だと誤解されると思うので、告知文・節名称を変更しました。--柒月例祭会話2023年2月6日 (月) 04:48 (UTC)[返信]
    • 返信 適用の判断基準が記事か叙述かの違いを「単位」と表現したものの、メートル法や尺貫法の議論でないと端的に表現するのに悩みました。自然科学に関する規定の適用を記事ごとの大きなかたまりではなく叙述ごとに判断する解釈に沿うようにする提案です。告知と節名称の件について了解致しました。--Hiaanaa7会話2023年2月6日 (月) 06:59 (UTC)[返信]
  • 報告 プロジェクト‐ノート:生物#告知)自然科学に関する情報源についての変更についてでの告知を行いました・・・とりあえず一つだけなんですが、「自然科学」というと幅広い(PJだけで18分野ある)のでどこまで告知を広げるかというのはありますが、まあ全部やったほうがいいのは確かと思いますけども・・・--柒月例祭会話2023年2月6日 (月) 07:10 (UTC)[返信]
  • コメント (話に乗っておいていまさらですが)今回のご提案ですけど、既に「人文的な叙述についての情報源は“一般向けの新聞や雑誌の情報源を避ける”必要はない」という認識がある、(したがってルール改訂の必要はない)という気もします。ご経験なさったカスミサンショウウオの件は2020年1月頃のことのようですが(?)、お示しのように既に2020年11月のPJ生物での合意形成で、専門的な情報源以外は認めないという見解は否定されています。少なく見積もっても「生物」分野では、いまさら解釈を議論する必要は無いようにも思います。
  • 「生物」以外の自然科学分野全体にはまた別問題かもしれないですが、たとえば天文分野のGAでは太陽#人類の太陽認識と観測で神話とかの話題では『世界神話事典』とか人文的な情報源が使用されていて、なんの問題にもなっていません(当たり前)。生物(植物)分野のGAザクロでは、ザクロ#人間との関わりあたりでは食用文化の観点で『たべもの語源辞典』とか、絵画の題材という観点でNHK世界美術館紀行とかが情報源になっていて、別になんの問題も起きていません(当たり前)。なので、あえて今、文面を変えるまでもない、という気もします。--柒月例祭会話2023年2月6日 (月) 07:34 (UTC)[返信]
  • コメント 端的に言えば柒月例祭さんとほぼ同じ意見です。改めて文面変更しなくても現状の適用でなんの問題もありません。
ところで発端となった Hiaanaa7 さんの編集とはこちらだと思いますが、はっきり申し上げて、この編集であればリバートされて当然と考えられます。
「生息地に関する指定文化財の名称変更は自然科学の問題ではありません。」という Hiaanaa7 さんのコメントはまったくその通りです。ですから、もし「東広島市の天然記念物「カスミサンショウウオ」は、指定名称が「アキサンショウウオ」に変更された」という解説文であれば、その出典として東広島市のページを使用することにはまったく問題ありません。しかし、あなたのこの編集のどこに「生息地に関する指定文化財の名称変更」の解説があるのでしょうか。出典としては用いられていますが、本文にはまったくないですね。
そして東広島市のページを出典としている箇所は「従来のカスミサンショウウオは9種に分割された」、「カスミサンショウウオは九州地方に生息するHynobius nebulosusのみを指すこととなった」、「またこれにより近畿地方に生息する種にヤマトサンショウウオの学名が新設されたが、ヤマトサンショウウオは従来カスミサンショウウオの異名とされていた」など、いずれも学名や標準和名に関する話題であって、まさしく出典として「専門的な資料」を必要とする記述です。
つまり、ご提案通り「科学や医学に関する叙述での情報源として信頼できません。 」と修正したとしても、まさしくHiaanaa7 さんの編集は「科学や医学に関する叙述」(学名や和名の変遷)に対して「東広島市のページ」という一般向けのページを情報源として利用しているのですから、「信頼できません。 」ということになります。ご自分の編集を正当化するために提案されたようですが、むしろこの提案は、Hiaanaa7 さんの編集が適切でなかったという根拠を強化することになるのですよ。--Loasa会話2023年2月6日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

自分の編集を正当化するために提案したものではありません。もし自分の編集を正当化しているならカスミサンショウウオでの編集に執着していたでしょうが、リバートされた後、私よりも編集の経験がある人に指定文化財の名称変更も含めて対処していただけるならと要約欄に書いて編集から手を引きました。しかし「テスト投稿」と言われるだけに終わりました。自分がベテラン編集者でないことは自覚していますし、カスミサンショウウオでの編集が良くなかったとすれば率直にお詫びします。当時、生息地に関する指定文化財の名称変更の情報を得て、名称が混乱しないよう命名関連の件を一つの記事でどう扱い指定文化財の名称変更の情報をどう反映させるか、他の市町村にも例があるなら東広島市の例だけを挙げるのはごく一部の事例になってしまわないかなど考えていたように思います。

ご案内の2020年11月のPJ生物での「合意形成」から、人文的な叙述で人文的な情報源が排除されるような問題点はみられないという共通認識になっているようです。そうあれば現状では冒頭の点は杞憂ですから、この共通認識・状況に変化がない限り、本提案を保留とし終了したいと思います。--Hiaanaa7会話2023年2月6日 (月) 17:26 (UTC)[返信]

AIアルゴリズムが生成した文章の取り扱いについて[編集]

最近話題になっているchatGPTですが、グーグル等の検索エンジンのシェアを奪いそうとの話もありましたので、jawpでもAIアルゴリズムが生成した文章(以下、AI文と略します)の取扱いについて協議しておいた方がよいと考え、議題を提起します。私はWikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用に「AI文を出典にできない」という主旨の追記が必要と考えていますが、具体的な文面の検討とその合意形成よりも先に方針についてご意見を頂きたいというのが本提案の目的になります。

chatGPTの利便性については「従来のネット検索に比べて手軽で、素早く、簡単に情報が得られる」という評価があり[1]、既にグーグルの株価にも影響が出ているようです[2]。また、私の知る範囲でもSNS等でchatGPTについて好意的な評価を目にすることが多くなってきました。そのため、jawpにもAI文を出典とした執筆を行う利用者が増えてくると予想します。AI文の問題点については、

  1. AI学習は、実際に学習されるわけではなく情報を統計的な方法で模倣しているだけで、事実の捏造やヘイト・偏見を含む文章が作成される事が確認されている[3]
  2. AI学習に用いられた情報源について、正確性・新しさ・情報の偏り等の信頼性を検証できない。また、電子化されていない資料は情報源にされない。
  3. AI学習にjawp等が利用された場合の出典ロンダリングの可能性が排除できない。
  4. AI文は自然な文章で正しい情報であるかのように誤解させ、その特徴ゆえに検証を著しく困難にさせる[3]
  5. AI文の再現性が疑わしく、検証可能性を満たさない。

などが挙げられると思います。以上の理由により、AI文は信頼できる情報源ではないと明記し、AI文を出典とした執筆を制限すべきと考えます。ご意見をお願いいたします。--あずきごはん会話2023年3月27日 (月) 12:08 (UTC)[返信]

【追記】ご意見を頂きありがとうございます。全て目を通していますが、逐一返信することは控えますのでご了承ください。2週間を目途に一旦意見集約を行いたいと思います。引き続きよろしくお願いします。--あずきごはん会話2023年3月28日 (火) 15:05 (UTC)[返信]

コメント AIが人間と遜色ない文章を作るようになってきているのは事実で、将来的にはAIの文章を人間がウィキペディアに取り込まずとも、AIが生成した百科事典のコンテンツが、ウィキペディアを質量の両面で上回ることになるとも考えられます。「その時」がいつ来るかですが、私の予想では今年中(2023年末まで)には到来するのではないかと予想しております。
現時点だけではなく、「その時」までのことも考えると、人間の文章もAIの文章も区別せず同様に扱うのが好ましいのではないかと思量します。つまり、AIが生成した文章をウィキペディアの編集者がそのまま転載するのは無出典記述として認められないとする一方、AIを援用したものであっても信頼できる情報源から発せられた文章であるなら、その文章をウィキペディアの記述の根拠とすることは認められるべきだと考えています。理由として、以下2点を挙げておきます。
  • 文章そのものだけで、AIが生成した文章なのか、そうでないのかの判断は困難であること。とくにAIを援用して人間が書いた文章の存在や、将来的にAIの技術が進化していくことを想定すると、その困難さは容易に想像できると思います。
  • AIが生成した文章であっても、それを編集し掲載する人間が存在し、そう言った人間の介在によって「信頼できる情報源」となりうると考えられること。これはAIが登場する以前も同様で、論文の査読やマスメディア記事の編集責任などが、信頼できる情報源たらしめているのと同じことです。
--Tamago915会話2023年3月27日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
コメント もちろん、AIの生成した文章を「AIに尋ねたところ、このように発言した」として出典に利用するのは、無名の何者かによるTwitterやSNS、ブログ、掲示板、Wikiサイトの投稿、あるいはネットやリアルの知人や手近な通行人に質問したインタビューの内容をウィキペディアに公開するのと同様に、検証可能性を満たさないでしょう。
ですがAIを執筆補助のためのツールとして使用すること、例えばAIにウィキペディアの原稿っぽい構成の文章の執筆を依頼し、出力された内容を直接ウィキペディアに投稿したりせず、人間のAI利用者が自力で出典を探し出してきて裏を取った上で各文に出典を追加し、事実誤認や裏取りがができなかった箇所を修正し、出力された文章が何者かの著作権を侵害していないことを確かにするため、自分の言葉に書き直して投稿する……ようなことは全面禁止する必要がなく、容認されてよいと考えます。--Kanohara会話2023年3月27日 (月) 16:27 (UTC)[返信]
  • コメント 方向性として賛成なのですが、「AIに信頼できる情報源を提供させた場合」を考えなければならないと思います。この点で、例えば「AIの出力した文章は正確性が保証されていないのでそのまま用いることはできません。必ずAIが提供した情報の情報源を直接確認してください。」のような文案であればよいと思います。同じ機械学習が絡む機械翻訳関係においては、WP:DP#G-3に「機械翻訳は正確性の問題が発生する」とあります。これと同様のことがAI全般に言えるのではないかと思います。
ChatGPTは使ったことはないのでわかりませんが、Bing AIはその記述に出典をつけて提供します。出力文を参考にするのではなく、「出典を提供するツール」としてのみ用いることは可能だと思います。ただし、ご懸念の通り「出典ロンダリング」が実際に観測されました。これはWikipediaをWeblioとWikiwandというサイトが転載していることから起こるもので(合法ですが汚い)、結果的に出力結果はWikipediaの記事を超えるものではなくなっています。そもそもWikipediaの記事が玉石混淆なものなので、質の低い記事を学習すれば質の低い結果を出力するポンコツAIになってしまうのではないかと思います(電子化されていない書籍は多いので、この点でAIは人間を超えられないでしょう)。--Sethemhat会話2023年3月27日 (月) 23:48 (UTC)[返信]
コメント方向性は理解します。他の方のコメントとも重複しますが、生成AIの今後の進化や多様な用途を考えると、制限や禁止という方向ではなく、出力された文を編集者自身で検証するよう求めるというのが妥当かと考えます。--巴悟会話2023年3月28日 (火) 05:55 (UTC)[返信]
コメント おおむねKanoharaさん、Sethemhatさん、巴悟さんに賛成いたします。SethemhatさんとWP:NORの真似ですみませんが、「AIの出力した文章は、信頼できる(または評判の良い)情報源ではないのでそのまま用いることはできません。必ずAIが提供した情報の情報源を直接掲載してください。」というような文案はいかがでしょうか。
なおご存知かもしれませんが、Bingと似て非なるPerplexityというAIは、ユーザーが英文を送信すれば、ほぼ常に出典付きで回答します。各回答ごとに、URLも個別で保存されて誰でも閲覧できます。こんな風に[4]。AI文は広く浅く調べ物をする時に便利ですし、将来的にはこのようなURLを出典として使用できる可能性もあるんじゃないかと思います。しかし、たとえ“信頼できる情報源に基づくAI文”であっても、AI文がWikipediaで信頼できる情報源と認められるには、方針で言う「主流の新聞など」のニュースに匹敵する能力を持つAIか、あるいは今よりずっと改良されたAI―AGIか何か―が必要なんじゃないかなとも思います。--33メルメル会話2023年3月28日 (火) 08:24 (UTC)[返信]
コメント 前の発言の捕捉です。仮に「AIが生成した文章でも、編集者自身が探し出してきた信頼できる情報源を出典として追加した上で記事に使用したり、ノートページでの論争の解決案を提示させたりする用途に使ってよい」という方針で運用する場合、著作権やAIの利用規約にも配慮する必要があると考えます。世の中に出回っているAIはChatGPTだけではなく、また将来的に新しいサービスも登場するかも知れず、例えば、生成された文章の商用利用を禁止していてCC BY-SA 3.0で受け入れらないサービスも登場するかもしれませんし、どこかの誰かが著作権を有する文章を質問の回答として出してくるSiriGoogle アシスタントの検索結果のようなものを「バーチャルアシスタントだってAIの一種だ。これもAIの生成した文章には違いない」と主張して使われたりしないよう、ガイドライン文書には注意を払う必要があると思います。--Kanohara会話2023年3月31日 (金) 23:36 (UTC)[返信]
著作権に関しては2023年3月に書かれたm:Wikilegal/Copyright Analysis of ChatGPTがあります。ウィキメディアで生成系AIの出力結果を利用しようとするとき、訓練データに由来する誰かが書いた文書の一部がたまたまそのまま出力されていて結果的に著作権侵害をしてしまうこともありえる(ただしそうでないこともある)ので注意が必要だ、というような内容だと思います。情報源としての信憑性について述べたものではないと思います。このため「信頼できる情報源」の方針からは脱線かもしれませんが、すでに著作権関係の発言もあったので、以上の点も関連情報として残しておきます。--whym会話2023年4月27日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
情報 英語版の方でChatGPTなどの大規模言語モデル (LLM) に対応した方針文書の作成が進んでいるようなのでぜひそちらもご覧ください: en:Wikipedia:Large language models。使用は禁止されないが出力された内容は詳しく精査されなければならない、記事にLLMが使用された場合にはその旨を記載することが必要、多くのリスクや落とし穴があることからLLMを使用予定のタスクに元から精通している人以外は利用すべきではない、というような内容らしいです。--Takenari Higuchi会話2023年4月1日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
コメント 議題は「AIの出力した文章を出典とすること」について述べられていますが、上記コメントにある英語版の草案を読む限りでは「AIの出力した文章をそのまま利用・掲載すること」の懸念の方が高いのではないでしょうか。--火乃狐会話2023年4月1日 (土) 16:42 (UTC)[返信]

提案 @Tamago915:@Kanohara, Sethemhat, 巴悟, 33メルメル, Kanohara, Takenari Higuchi, and 火乃狐:(敬称略)たくさんのご意見有難うございました。予定の2週間が経ちましたので、一旦まとめさせていただきたいと思います。まず、この議論の間にも開発社CEOサム・アルトマンの来日[4]、イーロンマスクが開発中止を提言[5]、国際的な枠組みの検討[6]などの関連ニュースが相次ぎました。なかでも教育現場から挙がった危惧の声[7][8]はjawpが直面する課題と類似するもので、早急にルール作りが必要という認識を新たにしました。

皆さまからお寄せいただいたご意見もルール作りそのものに反対する意見はなかったと認識しております。当初私が提案した内容は、将来的に「AIの方が信用できる」などの理由で編集を強行する利用者が現れることを想定して一定の規制を設けるという主旨でしたが、お寄せいただいたご意見はそれよりももっと広い範囲(条件付きでの利用容認も考慮)を包括するルール作りが必要という方針で一致していたと受け止めています。同時にそうした包括的なルール作りまでは私の手に余ると思っていたのですが、Takenari Higuchiさんにご教示いただいたenwpのガイドライン草案en:Wikipedia:Large language modelsは、挙げられた課題を概ね網羅する内容でした。そこで、今後のルール化作業について

  1. まず、enwp草案を翻訳し、たたき台としてのWikipedia:大規模言語モデルの利用(仮題)を私論として作成。
  2. 然るべき期間コメント依頼をしつつ、jawpへのローカライズ等の改訂を行う。(第一目標)
  3. 可能ならガイドライン化を目指す。(第二目標)

の方針・スケジュールで進めることを提案します。ただ恥ずかしながら提案者である私の語学力が壊滅的でして、心苦しいのですがプロジェクト:プロジェクト関連文書/翻訳依頼にて翻訳の協力を仰ぎたいと思っています。しかしながらあまり長い期間放置されるのも如何かと思いますので、依頼開始時から1か月間で請負っていただける方が現れないのであれば、稚拙な訳を披露しつつ問題がある場合はWP:DP#G-3に基づく版指定削除で切り抜けたいと思っていることも併せて容易いただきたいと思っています。

以上の提案について、3日間でご意見が無いようでしたら、作業を進行したいと思っております。引き続きよろしくお願いいたします。--あずきごはん会話2023年4月11日 (火) 12:34 (UTC)[返信]

  • 報告 - 宣言通りに翻訳依頼をしました。--あずきごはん会話2023年4月15日 (土) 08:42 (UTC)[返信]
    すみません。コメントを出された3日間後にはなっていますが、プロジェクト:プロジェクト関連文書というのが非常に僻地であり閲覧者が見込めないため、WP:翻訳依頼にも私の方で依頼を提出しておきました。「ウィキメディア財団サイトのコンテンツやプロジェクト運営文書などの依頼はプロジェクト:プロジェクト関連文書/翻訳依頼に出してください。」とある一方、依頼欄が設けられている異常な仕組みとなっていますが、掲示を優先しました。
    また、「稚拙な訳を披露しつつ問題がある場合はWP:DP#G-3に基づく版指定削除」と仰る意味が測りかねます。G-3では通常もし機械翻訳による記述が既存のものに足された場合は除去措置をとり、初版の場合削除します。特定版だけを消す版指定削除は取られないと認識しております。G-2の間違いかもしれませんが、そうだとしても版指定削除が必要ありません。
    なお、念のため付け加えますが、いかなる場合でも機械翻訳の利用は避けて頂きたいです。AIの利用ガイドラインをある意味AIである機械翻訳で作成するのはおかしなことです。--Sethemhat会話2023年4月15日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
  • 返信 (Sethemhat宛) 依頼を転載していただき有難うございました。機械翻訳の件はどのように返信したものかと迷って返信遅れてしまいました。この件については別にコメント依頼をして、その上で今後の方針を決めようと思います。--あずきごはん会話2023年4月22日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
  • 返信 (YellowSmileyFaceさん宛) 有難うございます。とても助かります。募集に1か月という期限を区切ったのは、何かが起きるのを待つという時間を無駄だとおもっているだけで、作業を急いでいる訳ではありません。是非お力添えをお願いします。--あずきごはん会話2023年4月26日 (水) 11:09 (UTC)[返信]
  • コメント @YellowSmileyFaceさんさん、翻訳作業お疲れさまでした。改めまして請け負っていただけた事に感謝いたします。当初の提案通りに「然るべき期間コメント依頼をしつつ、jawpへのローカライズ等の改訂を行う」行程に移りたく思いますが、翻訳していただいた文章をYellowSmileyFaceさんの作業スペースからWikipedia:大規模言語モデルの利用に移動して、そのノートに議論の場を移したいと思っていますが如何でしょうか?--あずきごはん会話2023年5月28日 (日) 13:14 (UTC)[返信]

凍結された著名人のツイートが掲載されたtogetterについて[編集]

例えばこちらの知るかバカうどん氏のアカウントは凍結されていますが、ツイートはこちらのtogetter記事[1]に残されています。出典として知るかバカうどん氏の発言を記載する場合、この記事は出典元として使用できるのか教えて下さい。--Quijote en esculturas会話2023年7月10日 (月) 02:10 (UTC)[返信]

togetterは一見すると所謂ウェブアーカイブの一種に見えるものですが、その収集にはtogetterによる収集を行った方の取捨選択が含まれているので、「査読がされていない二次資料」に当たると言えるのではないでしょうか。そのような捉え方とすると、出典としての採用は控えるべきではないかと思います。また、本ノートにて2022年にYoutube出典の議論があったように、本人発言をそのまま出典とすることには様々な考え方を持たれる方がおり、是非でいうと非寄りの方が多いように見受けられますので、本人発言をソースとすることについては十分に検討の上、表現に気を配りながら執筆する必要があるかと思います。--不燃会話2023年8月17日 (木) 16:51 (UTC)[返信]
コメント 常識的には避けるべきでは。基本的にWikipediaはなんでもかんでも載せる場所ではなく、信頼できる情報源かつ書くに値するもの、を書きます。「書くに値する」かどうかを判断する一つのめやすとして、二次的情報源で採りあげられているかどうかを検討します。文脈にもよる面はありますが、実名でない凍結されたアカウントのツイートがtogetterに乗ってる、程度では、そもそも書くに値しないのでは。本当にそれが書くに値する事柄なのであれば、もっとマシな情報源があるはずで、それがないなら・・・という感じです。--柒月例祭会話2023年8月17日 (木) 17:04 (UTC)[返信]

提案[編集]

信頼できる情報源#企業や組織のウェブサイトですが、「アメリカ小型装置製造業組合」の右の「訳注 要調査」は必要あるのでしょうか?必要のない場合は、除去をお願いしたいと思っております。--地震ソフト監視人会話2023年7月17日 (月) 03:38 (UTC)[返信]

もともと2006年にen:Wikipedia:Reliable_sourcesの訳文からスタートした際、こちらの版にて、「The American Association of Widget Manufacturers」の対訳として採用したが、対訳として正しいか疑念が残っている為、訳者の注記として記載していたもののようです。その後17年程、特に誰も気に留めずに残っていたようですが、当方調査範囲では、日本語圏での対訳は見つけることはできませんでした。文脈からしてわざわざ対訳とする必要はなく、対訳以前の「業界組織」という表現で十分かなと思いますので、編集候補として「(以前そのまま~含まれます。)例えば、特定の業界団体は、自身の団体に関連するものを売り込むものですので、(中立的な~以下そのまま)」を提案します。1週間ほど、他の意見がないか待ちます。--不燃会話2023年8月17日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
チェック 1週間ほど待ちましたが特に意見はありませんでしたので、反映しました。--不燃会話2023年8月24日 (木) 15:19 (UTC)[返信]

あの記事を読んで「信頼」とは何なのかすぐに分かる?[編集]

「情報源」は用語の定義に記されていますが、このページの根幹を成す「信頼」は記されておらず、 どういうプロセスで築かれるものなのかページ全体を読んでも非常に分かりづらい(人によっては分からない)ものになっており、 方針とガイドライン#内容にある「文章が明快である。」と「できる限り簡潔に書く。しかしそれ以上簡潔にしない。」に当てはまっていないと考えます。

ですので、以下のうちどちらかでもいいのでページの前半に「信頼」というものを簡潔にまとめておくべきだと思います。--よこくさ会話2024年3月1日 (金) 08:26 (UTC)[返信]

  • 先述した「情報源」と同様、「用語の定義」の中に「信頼」を組み込む。
  • 「『信頼』とは何か?」という節を作成する。
  1. ^ [5]