FCザンクトパウリ
FCザンクトパウリ | ||||
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原語表記 | FC St. Pauli | |||
愛称 | The Pirates of the League | |||
クラブカラー | 栗色と白 | |||
創設年 | 1909年 | |||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | |||
所属ディビジョン | 2部 | |||
ホームタウン | ハンブルク | |||
ホームスタジアム | ミラントア・シュタディオン | |||
収容人数 | 24,701 | |||
代表者 | シュテファン・オルト | |||
監督 | ローラント・ブラベッツ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
FCザンクトパウリ(FC St. Pauli)は、ドイツ・ハンブルクのザンクトパウリ地区を本拠地とするスポーツクラブ。同じくハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのサッカー部門の対戦は、ハンブルク・ダービーとして激しい盛り上がりをみせる。ドイツ最大級の歓楽街であるレーパーバーンの脇に本拠地となるスタジアムが位置している。サポーター層はハンブルガーSVより庶民的であるといわれ、その声援はより熱狂的である。
歴史
1910年に創設。ブンデスリーガ発足後は、1977年に1部昇格を果たしたが、翌年に2部へ降格、更に降格した年も成績は低迷し3部にまで降格した。そこから徐々にはい上がり、1988年に1部復帰を果たした。1部在籍中にみられた、同じハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのハンブルクダービーは街を熱狂させた。
その後も1部と2部の往復を繰り返していたが、2002年に2部に降格すると更に低迷し、またもや2シーズン連続の降格という不名誉な結果を残しレギオナルリーガ(3部)へと降格した。こうした低迷期の中でも、2002年にカップ戦で世界王者であったバイエルン・ミュンヘンを破っており、サポーターを大いに喜ばせている。2006年にもカップ戦で4強にまで残った(この際はバイエルン・ミュンヘンに敗北)。その間にも着実に力を付け、2007年には2部へ復帰、2010年には1部復帰を果たした。前半戦こそは11位と比較的大健闘していたが、0-1でアウェーながらも勝利した2011年2月16日のハンブルガーSVとのハンブルク・ダービーを最後に一気に低迷し、最下位に終わり、結局前評判通り、1シーズンで2部に降格した。しかし、序盤戦で失点を恐れない勇猛果敢なサッカーを見せたホルガー・シュタニラウスキ監督の手腕が高く評価され、翌シーズンにはTSG1899ホッフェンハイムに引き抜かれる結果となった。 2015年6月にアーセナルFCを退団した宮市亮が3年契約で完全移籍。移籍金は契約満了のためなし。
タイトル
国内タイトル
なし
国際タイトル
なし
過去の成績
- 2007-2008 ブンデスリーガ2部 9位
- 2008-2009 ブンデスリーガ2部 8位
- 2009-2010 ブンデスリーガ2部 2位 昇格
- 2010-2011 ブンデスリーガ1部 18位 降格
- 2011-2012 ブンデスリーガ2部 4位
- 2012-2013 ブンデスリーガ2部 10位
- 2013-2014 ブンデスリーガ2部 8位
- 2014-2015 ブンデスリーガ2部 15位
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
- アンドレアス・ベルクマン 2004-2006
- André Trulsen 2007-2008
- ホルガー・スタニスラウスキ 2006-2007, 2008-2011
- アンドレ・シューベルト 2011-2012
- ミヒャエル・フロンツェック 2012-2013
- ローラント・ブラベッツ 2013-
歴代所属選手
- 尾崎加寿夫 1988-1989
- トーレ・ペデルセン 1995-1997
- イヴァン・クラスニッチ 1997-2001
- ズラタン・バイラモビッチ 1997-2002
- マリウス・エッバース 2008-2013
- バスティアン・オツィプカ 2010-2011
- ゲーラルド・アサモア 2010-2011
- リヒャルト・スクタ=パス 2010-2011
- モリッツ・フォルツ 2010-2012
- 宮市亮 2015-
関連項目
- FIFIワイルドカップ - FIFA非加盟国による国際サッカー大会。ザンクトパウリが主催し、自ら「ザンクトパウリ共和国」として出場。