薦神社

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薦神社

神門
所在地 大分県中津市大字大貞209
位置 北緯33度34分02.2秒 東経131度13分05.1秒 / 北緯33.567278度 東経131.218083度 / 33.567278; 131.218083 (薦神社)座標: 北緯33度34分02.2秒 東経131度13分05.1秒 / 北緯33.567278度 東経131.218083度 / 33.567278; 131.218083 (薦神社)
主祭神 応神天皇
比売大神
息長帯比売命
社格 旧県社
創建 承和年間(9世紀前葉)
本殿の様式 流造
別名 大貞八幡宮
例祭 4月21日
地図
薦神社の位置(大分県内)
薦神社
薦神社
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薦神社(こもじんじゃ)は、大分県中津市に所在する八幡宮で、別名大貞八幡宮(おおさだはちまんぐう)とも称される。境内の三角池(みすみいけ:古くは「御澄池」と記すこともある)を内宮、神殿を外宮とする。全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮の祖宮といわれ、承和年間(834-848年)の創建と伝える古社である。

祭神[編集]

比咩大神とは宗像三女神のことで、沖津宮(沖ノ島)の田心比売命(たごりひめのみこと)、中津宮(福岡県大島)の瑞津比売命(たぎつひめのみこと)、辺津宮(へつみや)(同県宗像市田島)の市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)を示す。この三女神は『日本書紀』巻第1神代上第6段一書第3の条によると、「則ち日神の生れまする三の女神を以ては、葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐島に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す」とあり、最初は宇佐の地に降り立ったことを示している。

社紋[編集]

一つ巴。元来、巴紋は水に由来する紋で、宝器の勾玉、魂、命に関連する。宇佐神宮の三つ巴に対して、一つ巴であることから、宇佐の祖宮の一つと考えられている薦神社は、本来は宗像三比売大神ではなく、別の、あるいはその中の一人の比売大神(たとえば中津宮の湍津姫神)を祀っていたのではないかという説もある。

由緒[編集]

隼人征伐[編集]

養老四年・天正天皇6年(720年)、隼人征伐の際大神比義命(おおがのひぎのみこと)の子孫、宇佐八幡宮の神官、大神諸男八幡神が乗った御神輿に付き添い、禰宜の大神杜女が御杖代、同じく禰宜の辛島波豆米が御杖人となり、大隈・日向へ行幸している。 この時の御神輿が国内初の御神輿である。 この時、祝の大神諸男が“我、昔、この薦を御枕として、百王守護の誓いを発した。百王守護とは、凶賊を降伏せしむるという事である”との御神託を大貞の池(三角池の薦神社)でうける。この池のマコモで大神諸男が造った御薦枕が、先の国内初の御神輿に載せた御神体である。[1][2]


薦神社と三角池は、「三角池と薦神社」として昭和51年(1976年)3月30日に大分県指定史跡、「三角池の水生・湿地植物群落」が大分県指定天然記念物に指定されており、神門は元和8年(1622年)に細川忠興の造営で、国の重要文化財に指定されている。社殿は江戸時代末期に建造[3]

祭祀[編集]

  • 2月11日 - 鎮疫祭、御心経会(鬼やらい行事)
  • 4月21日 - 例祭
  • 9月第3土・日曜日 - 仲秋祭(御神幸祭)

交通[編集]

参考文献[編集]

  • 『写真集 薦神社 神門編』、薦文化研究所、平成11年
  • 谷川健一編『日本の神々 - 神社と聖地』第1巻九州、白水社、1984ISBN 4-560-02211-9
  • 『大分県の文化財』、大分県教育委員会、平成3年

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 小川進一『宇佐神宮と大神氏』P92~97、文芸社
  2. ^ 薦神社公式サイト『由緒』
  3. ^ 中津市観光公式サイト

外部リンク[編集]