すが秀実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
絓秀実から転送)
移動: 案内, 検索
本来の表記は「絓秀実」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 -)は、日本文芸評論家。本名は菅秀実。近畿大学国際人文科学研究所教授

妻は詩人で自然美容法研究家の筏丸けいこ(本名・菅圭子)。埼玉県坂戸市在住。

目次

[編集] 略歴

新潟県小千谷市出身。新潟県立長岡高等学校卒業、1967年に上京、代々木ゼミナール(世田谷寮)を経て、学習院大学文学部哲学科中退。「日本読書新聞編集長、「杼」編集員、コーネル大学客員研究員(1990年9月から1年間)及びコロンビア大学客員研究員、日本ジャーナリスト専門学校専任講師(1998年3月迄)を経て、2002年より近畿大学国際人文科学研究所教授

[編集] 現在の活動

現在は、2008年4月1月早稲田大学入学式での不当逮捕抗議[1]に取り組んでいる。 

ちなみに、高橋宏公立大学法人首都大学東京理事長、元日本郵船副社長)はNPO「21世紀大学経営協会」2005年度総会で「大学は原材料を仕入れ、加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけ企業へ出す。これが産学連携だ」と発言している。また雑誌『現代思想:特集「大学の困難」』(2008年9月号)においては、「世間の注目を受けないまま、大学が現在過酷な大転換期を迎えようとしている。(…)大学はその姿を消そうとしている。(…)しかし重要なのは、だからこそ大学という場所が、教える者にせよ、教わるものにせよ、フロントが消滅しかかっている現在にあって、数ある現場と化している、という事実である。大学は、あるいは皮肉なことかもしれないが、二重の意味で現場を、ひょっとしたら歴史上初めて、手に入れつつあるのだ。(…)これは大学人にとって未曾有の経験であることに、もっと自覚と誇りを持つべきなのだ。(…)ここが出発点だ。」と論じられている[1]

絓たちも上記のことは充分意識しており、絓はこれら早稲田大学での一連の逮捕事件を、「局所的=孤立的な事件」ではなく、「グローバル資本主義下の大学で必然的に生起した事件であり、その意味を問うことなしには戦いえない」[2]としている。またその意味を絓は、大学が、「規律・訓練型の自治的な公共空間から、今や監視・管理型の統治形態を採用する場」(→生政治ディシプリンパノプティコン)となった、とまとめている。そこでは前者にはあった大学の「目的」が存在しない。その「檻に囲まれた一種の動物園」=学生消費者がセキュリティー(快適な学園生活)を購入している状態を、東浩紀の「データベース化」「動物化」というタームとパラレルであるとしている。

『ネオリベ化する公共圏 ~壊滅する大学・市民社会からの自律』にはネグリと共に、『帝国』を著したマイケル・ハートも寄稿し、「早稲田大学におけるネオリベラリズム的改革は、(…)規律的組織の変容という問題におおいに呼応しているように思われる。そして形式や方法に違いはあれ、世界中の大学で同様のプロセスが進行しつつある。大学という場は、これまでにも増して資本主義的で商業主義的な合理性に身を委ねるようになり、かって大学が学生や研究者に対して提供していた自律的空間は、かなりの速度で消滅し始めている。私の理解では、早稲田はとりわけ重要な場所であったがゆえに、その自律的空間に対する攻撃は特に重要な闘争を導くに至ったのだろう」と述べている。

2008年3月のネグリ来日イベントには「ネグリはどこに行ったか?」[2]で読まれるような行動を行った。

署名には、国内の著名な歌人(俵万智の師匠)、文芸批評家、研究者、など、また外国からも、マイケル・ハートデヴィッド・グレーバー[3]などの名も並び、幅広い支持を集めている、と言えるだろう。また、2008年7月の洞爺湖サミットに先立って札幌で開催されたG8大学サミット[4]に対抗して開催されたG8対抗国際フォーラム[5]賛同者の多数のものが、国内外を問わず署名している[3]

[編集] 思想と評価

柄谷行人中上健次からは、1980年代後半「彼の才能を疑ったことは一回もない」[4]と評価されたり[5]、日本読書新聞編集時代、蓮實重彦に文芸批評を初めて書かせ、世に出るきっかけをつくったり、吉本隆明花田清輝論争は吉本が勝利した、というイメージが常識だった時代に、純粋に議論的には花田が優位である、とはじめて指摘したり[6] 、その批評眼と見識は高い。

自身を「ルンペンプロレタリアート」と規定しつつも[7]、蓮實重彦のような「ブルジョワ」(絓)とも組んだ[8]

絓の『革命的な、あまりに革命的な』[9](2003)は、デリダの『マルクスと息子たち』(2002、邦訳2004)の訳者解説で、國分功一郎に、「もともと非常に限定されたコンテクストの中にその日付を有する口頭発表であるデリダマルクス論を日本語環境で読むにあたって、この絓の著書は必読文献」[10]と評された。

……はずなのだが80年代~90年代にかけて揶揄も多かった。それはエピソードの項に見られる通りである。「カラオケ好きだから尊敬されない」[11]とも書かれた。「面白左翼」を自称している。1980年代・90年代は、「ヌーヴォー・ロマン」「ロシア・フォルマリズム」「60年代フランス記号学文学理論」を咀嚼した立場から、現在の大部分の作家への全否定的評価を含んだ文芸批評を発表したせいもある[12]

1990年代半ば、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」に、「差別と表象」の問題に関連して、はじめて登場したとき[13]は、漫画チックに描かれ、従来の文芸批評家のイメージから逸脱した。この表現手法が、たとえ内容で「差別はいけない」と書いていたとしても、一層問題なのであり、「俗情と結託」((C)大西巨人)した差別的表象である、という絓の荒唐無稽な問題提起は全く理解されなかった。そればかりか、漫画を読むこと自体に慣れていないことを指摘された。後に小林よしのりは別の問題で論争をしている中で「俗情と結託」を引用して「絓氏との論争したお陰でこの言葉の意味が理解できた、感謝している」と述べている。

このように揶揄の対象になるが、絓の「1968年の革命」観から、『革命的な、あまりに革命的な』によれば、68年とは、「さまざまに対立・拮抗する諸理論・諸思想が、その核心を穿つことを目指しながらも重層的な「誤認」を重ねた果てに可能となった「革命」に他ならない」[14]。この作品と並行して製作されたドキュメンタリー映画『LEFT ALONE』(2005)では柄谷行人に「いいことをしても、人の嫌がる形でしかしない人なので、つねに誤解される」と評された。

また最近の、「ネオリベラリズムリベラリズムで批判できない」[15]という命題は、絓がなぜ「ルンペンプロレタリアート」「JUNK」という言葉を、強調するのかを理解するうえで重要である。 絓によれば「ネオリベとは、市民社会の基底をなしていた商品生産と商品市場が規律/訓練の装置たりえなくなった時代の市場原理主義だとすれば、商品市場が規律/訓練の場たりえた時代の市民的倫理であるリベラリズムでネオリベを批判することは不可能」[16]である。

また同じく、「現代のネオリベラリズムが、市民社会の抽象化=普遍化の装置が機能失調をきたしたところで、その空洞化した機能を顕揚しているという背理を犯している」「それが生み出しているのは、そのカリカチャーであるディラーやベンチャー企業家と、ドロップアウトしつつあるルンペンプロレタリアートや圧倒的な「下流」であることは誰もが知っている」[17]とも分析する。

そのうえで、絓は「現在の問題は、規律/訓練型の自治的組織が無効になったとき、それ以降に何を構想するかということなのである」[18]と述べる。現在の早稲田大学ビラまき不当逮捕抗議は、このような視点から行われている。

[編集] エピソード

  • 菅孝行と差別化するため苗字の表記を絓としたが、友人の呉智英や癲癇差別問題で論戦を交わした筒井康隆などからは「鮭(シャケ)」などと、また『文芸時評というモード』で罵倒した荻野アンナからは「鮭切身」などと、また日本ジャーナリスト専門学校講師時代には学生から「紅鮭(ベニジャケ)」「緑蛙(ミドリガエル)」と揶揄的に呼ばれることになる。なお日本ジャーナリスト専門学校講師時代の「教え子」には前田奈々(エディトリアル・デザイナー)、青木誠也(作品社編集者)等がいる。
  • 先祖三代続く教師の家系の生まれで、父親は小千谷高校教諭で、勤務評定反対闘争に関わっていた左翼教師である。
  • 小林よしのりの『ゴーマニズム宣言6』及び『ゴーマニズム宣言7』に登場し、『「超」言葉狩り宣言』及び『「超」言葉狩り論争』所収の小林批判に対する反論を受け、一般に知られるようになった。また井土紀州監督ドキュメンタリー映画LEFT ALONE』では主人公格で登場、映画全体を通じてのインタビュアーであり対談者である。
  • 福田和也から殊に高い評価を与えられている。
    • 「文藝時評の敗滅」(『グロテスクな日本語』及び『南部の慰安』所収)では「絓氏の時評の批評性は、一義的には、論争を前面に出す事によって「現在の文藝」の、緊張を通じての意識化によって獲得されたものである。だがそれ以上に批評的であるのは、氏が論争的な姿勢によって、「文学」の主題化を、小説であれ評論であれ、「作品」を中心に行う構造から、ポレミックな意識において再編成するという手続きの過程を、時評文においてそのまま提示して見せている、という事にある。時評のもっていた自同律的な作品の登場とそこでの批評の演技を、論争によって、いわばブレヒト劇的に異化した事において、氏の時評はこれまでの時評文と一線を画している。」と称賛。
    • 「文壇的な絓秀実氏とエレガントな浅田彰氏と白墨くさく勤勉な東浩紀氏と「書きすぎる」福田和也と・・・・・・」(『喧嘩の火だね』所収)では「今、もっとも文芸批評家らしい批評家というのは、絓さんということになるだろう。(中略)そのたたずまいや、雰囲気、全体からして、絓さんは私にとって、文芸評論家という存在を象徴しているためである。(中略)初対面でいきなりこういう問答が成り立つ、知と意識のあり様が、ああ、文芸評論家とはすごい代物だなと感じた、その思いが絓さんという、繊細かついつも他人の心配ばかりして、人のために奔走している人情家にして、つねに「階級的」であろうとしている、「階級的」であることが「批評的」であるとする「小ブル急進主義者」の相貌と結びついて、典型的批評家の肖像を形作ったのである。」と賛辞を送っている。
    • 朝日新聞2003年12月9日夕刊「回顧2003 文学」の「私の3点」では『革命的な、あまりに革命的な』を『グロテスク』(桐野夏生著)、『ららら科學の子』(矢作俊彦著)と共に挙げており、『週刊新潮』2003年6月12日号では「絓秀実さんの『革命的な、あまりに革命的な』(作品社)のように従来の全共闘運動のイメージを完全にくつがえすような本―高橋和巳についての「高橋の深刻さは、赤塚不二夫のマンガ『天才バカボン』に較べれば、はるかに通俗的な代物として受け入れられていたと断言できる」等スゴイことが沢山書かれている」と言及し、 「あとがきにかえて──現代日本文学と「すでにそこにあるもの」」(『現代文学』所収)では「九〇年代の「収穫」」として『詩的モダニティの舞台』を挙げている。その他に福田和也(と壱岐真也)が発案し、編集同人を務める扶桑社の文藝雑誌『en-taxi』では時評文「タイムスリップの断崖で」が連載されている。
    • 『週刊新潮』2002年11月21日号の「福田和也の闘う時評」で『昭和の劇』を採り上げた際に、笠原和夫ビリー・ワイルダーに、荒井晴彦ウッディ・アレンに準えた上で、絓をスーザン・ソンタグに準え、「十年来もっともラディカルな文芸批評家であり続けている」と形容した。
    • 『皆殺しブック・レヴュー』68頁では「絓さんって、物書きのなかでもいちばん難しいことを書く人でしょう。ある座談会で浅田彰氏にまで「難しいから何とかしてくれ」って言われていた。普通の人より前提条件が高いところから話しはじめちゃうんですね。だから、あの人の文章を読もうとしたら、その前に読まなきゃならない本がたくさんあるという、極端なメタ活字の世界。」と語っている。
  • WB vol.9』所収の「たのしい革命⑨」で以前から交流のある外山恒一都知事選立候補をポストポリティカルな状況に「政治」を導入する存在として支持している。
  • 批判の舌鋒は鋭く的確だが、全共闘世代にありがちなのか、セクト主義的傾向に陥りがちである。そのことは川西政明加藤典洋小森陽一等の知的圏域を異にする者への批判精神が旺盛なわりに、知的圏域を共にする蓮實重彦柄谷行人福田和也等の主に『批評空間』系知識人へは批判精神が惰弱してしまうことに示されている。このような態度は柄谷行人への偶像破壊を敢行している鎌田哲哉大杉重男から批判を浴びている。
  • 塩山芳明は『en-taxi』No.06の「リベラル・デモクラシーの共犯──鶴見俊輔の場合」について「パラノイア振りの告発」と「漫画屋無駄話 其の1491」で評している。
  • 柳下毅一郎1999年5月2日の日記によれば絓は日本ジャーナリスト専門学校の講師時代に、同校の学生であった「某SF誌編集者の妻H(仮名)」に迫ったことがあるという。絓とHが「飲みにいった帰り道、なぜか足が人気のない方に向き、いつのまにか肩に手が伸び、そして「君とだったら、恋愛したいな」」と絓が言ってHに迫った。Hは「思いあまって渡部直己に相談した」ところ、渡部は「「きっと迫られると思ってたよ。だってきみ、スガの別居中の奥さんにそっくりなんだもん」」と述べ、迫られたHは「「あんななぎらけんいちみたいなオヤジにモテても、嬉しくもなんともないよねえ」とにべもないのであった」そうである。
    • 付記すれば絓は『WB vol.3』所収の「たのしい革命(3)」において「今日、フェミニズムが思想的な隘路におちいっているとすれば」、反セクシャルハラスメントにおいてその問題が集中的にあらわれていると指摘した上で、セクハラの定義が「それをセクハラだと言えば、それがセクハラだ」というような恣意的なものである以上、「何もしないこと」でしかセクハラは回避され得ないと主張する。そして「今日の日本のほとんどの大学にはセクハラガイドラインが設定されている」ものの「教員と学生の結婚はあとを絶た」ず、結婚以前の成り行きによっては教員の学生との交際はセクハラとして告発されかねない。その上で「われわれ人間は、接触せず何もしないでいることが不可能でもある存在」なのであり、また人間の社会生活においてセクハラや接触は「必ず「ある」」故に、「もしセクハラで告発されたら、「革命無罪」(毛沢東)と同じ意味で「恋愛無罪」と主張すべきだ」と論じている。
  • 柳美里のエッセイには、文壇バーで会った絓に「あなたの小説はくだらないから読まない」と言われ、柳が「少なくとも私なら、あなたを批判する時あなたの書いた物を読んでからする」と答えた。すると絓が「あんたの顔を見たら読まなくてもくだらないと判る」と言ったため、柳の平手打ちが飛んだと書いてある。絓の眼鏡は飛び、それを拾った絓はこそこそとバーの隅に隠れてぶつぶつ言っていたという。
  • 顔貌がヴァルター・ベンヤミンに似ている(と中島一夫が指摘した)。あるいは久米正雄に似ている(と小谷野敦が指摘した)。または田中美知太郎にも似ている。
  • 北米の全共闘研究者であるガイ・トーマス・ヤスコー(1964-)とは1990年にコーネル大学で知り合って以来の知人であるが(『重力02』参照)、『JUNKの逆襲』243頁に記述がある「ニューヨーク市に住む」「いわゆるインテリではあるが、さまざまな事情から相対的にロウアークラスに位置している」「アメリカ人の友人」とは恐らくヤスコーを指している可能性が高いと思われる。付記すればヤスコーは「The Japanese Student Movement 1968-70 : The Zenkyoto Uprising」という論文でコーネル大学から博士号を取得した。
  • 小谷野敦は「ウオッチ文芸」(『朝日新聞』1999年1月25日夕刊)の「おすすめの3点」に『小ブル急進主義批評宣言』を挙げた上で「このコラムでは、なるべく一般向けの読み物を取り上げる方針だったので、絓秀実の、読み解くにはかなり広範な知識を要する『小ブル急進主義批評宣言』を持ち出すのはためらわれたが、あまりにも意識の低い「批評」が「流行」を横目でにらみながら横行している状態では、やはり絓のような優れた批評家がいることは声を大にして言っておかねばならない」と記している。また『恋愛の超克』32頁では絓について「勉強はしているらしいのだが、どうも努力が空回りする人のように思う」と評している。
  • しばしば学生に乞われ講師役を務める。東京大学駒場寮の一室にて数年間続けられた自主ゼミナール(『資本論』等の講読)など。
  • 「絓(糸圭 U+7d53)」は、JIS X 0208に含まれずJIS補助漢字として扱われるので、ウェブ上では「すが」「スガ」「糸圭」の仮名表記であることが多く、ごくまれに「スガヒデミ」の表記も。また「秀実」は「秀美」と誤記されることがある。

[編集] 著書・論文

[編集] 単著

[編集] 共同での著書

[編集] 編書

  • (単独での編)『1968』(知の攻略 思想読本 11) 作品社 2005年 ISBN 4-86182-009-X
  • (花咲政之輔との共編)『ネオリベ化する公共圏 ~壊滅する大学・市民社会からの自律』 明石書店 2006年 ISBN 4-7503-2327-6

[編集] 書誌

[編集] 脚注

  1. ^ 『現代思想:特集「大学の困難」』編集後記参照。全文は以下の通り:「世間の注目を受けないまま、大学が現在過酷な大転換期を迎えようとしている。古き良き教養を講じ、高邁な理念について日夜議論を交わしている、とステロタイプ的にイメージされる大学など、そもそもそのような大学がかってあったのかどうかも相当に怪しいのだが、これからはほとんどお目にかからなくなるだろう。もっとも、大学そのものの権威が低下したわけではまったくなく、事態はその逆に進行しているにもかかわらず、大学はその姿を消そうとしている。その論理は、表面的にはどうあれ、全く簡単なもので、財務省主導、あるいは端的に、財政縮小、行政改革による緊縮財政によるもの、つまりはグローバリゼーションの効率化による論理がその主な要因をなす。しかし重要なのは、だからこそ大学という場所が、教える者にせよ、教わるものにせよ、フロントが消滅しかかっている現在にあって、数ある現場と化している、という事実である。大学は、あるいは皮肉なことかもしれないが、二重の意味で現場を、ひょっとしたら歴史上初めて、手に入れつつあるのだ。みるべき現実は、あそこにもあるのだろうが、ここにも確実にある。これは大学人にとって未曾有の経験であることに、もっと自覚と誇りを持つべきなのだ。ここでどう考えるかということは、すぐさま、別の箇所でどう考えるのかに繋がり、またよそで考えることがここで考えることにダイレクトに繋がる。サラリーマン化を恐れることはない。好ましい自体ではないかもしれないが、ワーキングプア化を恐れることはない。ここが出発点だ。」
  2. ^ 『ネオリベ化する公共圏 ~壊滅する大学・市民社会からの自律』2006
  3. ^ G8対抗国際フォーラムに関しては、『現代思想:特集「大学の困難」』(2008年9月号)の中の、岩崎稔+岡山茂+白石嘉治の対談「大学の困難」に詳しい。
  4. ^ 柄谷『ダイアローグIV』両者の対談
  5. ^ 柄谷は最近においても、自著の『日本近代文学の起源』に続く仕事で、いちばんいいのは絓 秀実、と評価している(『新現実VOL5』 p27.2008)。『日本近代文学の<誕生>』(1994)などを指すと思われる。
  6. ^ 絓のデビュー作である『花田清輝 ~砂のペルソナ』参照1982
  7. ^ 事実、1998年から2002年まで、日本ジャーナリスト専門学校の専任講師も抗議辞職し、安定正規雇用の職についていなかった。著書『大衆教育社会批判序説』では当校を厳しく批判している
  8. ^ 絓は後に、大杉重男らからの批判に対し、「蓮實さんのような、ナポレオン3世的な人(→ボナパルティズム)しか組める人は当時いなかった」(『重力01』インタビュー:2002)と述懐している。蓮實重彦が東大総長をやめた直後の『「知」的放蕩論序説』(2002)ではインタビュアーを務めている。それ以前から蓮實重彦へのインタビュー・対談などは、よく行っている
  9. ^ 絓によれば、「あまりにもおとしめられ」「明治初期の自由民権運動から1960年安保にいたる近代「青年」運動の挫折の延長上にイメージされ」、「愛惜される」ことの多い68年の経験、「68年の思想」を日本の文脈において位置づけ直し、その現代への「持続が現実である」ことを示そうとする試み。 「われわれをマルチチュード(社会に刻み込まれた多様な「襞」)として再定義」し直す、とも書かれる。 最終章・最末尾においては、アルチュール・ランボーの1870年のいわゆる「見者の手紙」の中の「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」という言葉が、1970年「華青闘告発」以降の、マイノリティ・マイナー運動・「陣地戦」(グラムシ)への、機動戦からのシフトチェンジと重ねあわされて、特権的に引用される。 また「戦争機械(ドゥルーズ)」という概念も、「国家に対抗する」「ヘーゲル的国家理性の外部性」として、頻出して参照される(ドゥルーズにおけるランボー論は「カント哲学を要約しうる4つの詩的表現」(『批評と臨床』収録)を参照。そこではカントの『判断力批判』とランボーの「見者の手紙」が重ねあわされている。「戦争機械」の発想が圧縮されて述べられている)。 しかしまた同時に、「戦争機械を国家にとっての絶対的な「外」と規定するドゥルーズ/ガタリと、陣地戦を市民社会内においてとらえるグラムシのあいだの決定的な差異」(p251) をどうするかに、「68年問題があり、それこそが今日の知的=運動論的アポリアを規定している」(p259) と、個別事例を通して検討する。
  10. ^マルクスと息子たち』 P.230参照
  11. ^ 柄谷行人中上健次対談『ダイアローグIV』
  12. ^ 『文芸時評というモード ~最後の/最初の闘い』1992、『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』1993等
  13. ^ 『「超」言葉狩り宣言』(1994)及び『「超」言葉狩り論争』(1995)に収録.小林の反論は『ゴーマニズム宣言6』『ゴーマニズム宣言7』を参照。
  14. ^ 『革命的な、あまりに革命的な』P217参照
  15. ^ 『ネオリベ化する公共圏』の冒頭2006
  16. ^ 『ネオリベ化する公共圏』2006
  17. ^プレカリアートの食」at12号2008
  18. ^ 『ネオリベ化する公共圏』2006
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス