「騎士鉄十字章」の版間の差分

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[[File:Рыцарские Железные Кресты Третьего Райха.jpg|thumb|450px|左から剣・柏葉・ダイヤモンド付き騎士鉄十字章(18)、剣・柏葉付騎士鉄十字章(19)、柏葉付騎士鉄十字章(20)、騎士鉄十字章(21)]]
'''騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)は[[ナチス・ドイツ]]により制定された[[鉄十字]]章の一種である。実質的には一般のドイツ軍人が獲得し得る最高の戦功章だった。鉄十字章は[[ナポレオン戦争]]、[[普仏戦争]]、[[第一次世界大戦]]に於ても制定されていたが、騎士鉄十字章の種別を設けたのは第二次世界大戦時のナチス・ドイツのみである。大鉄十字章と鉄十字章の間を埋める勲章という意味では[[プロイセン王国]]が制定した[[プール・ル・メリット勲章]]等の将校用軍事功労賞に代わる勲章と言える。
'''騎士鉄十字章'''([[ドイツ語|独]]:Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)は[[第二次世界大戦]]中に[[ナチス・ドイツ]]により制定された[[鉄十字]]章の一種である。日本では「騎士鉄十字章」と訳されることが多いが<ref name="後藤(2000)106">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.106]]</ref><ref name="北アフリカ(1998)107">[[#北アフリカ(1998)|『欧州戦史シリーズVol.5 北アフリカ戦線』学研(1998)、p.107]]</ref>、正確には「鉄十字章の中の騎士十字章」である<ref name="ウィリアムソン(1995)9">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.9]]</ref>。
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== 騎士十字章の制定 ==
[[第二次世界大戦]]が開戦した[[1939年]][[9月1日]]に「前大戦で祖国のために戦った人々を記念するため鉄十字章を再制定する」という法令が出された<ref name="ウィリアムソン(1995)10">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.10]]</ref><ref name="北アフリカ(1998)106">[[#北アフリカ(1998)|『欧州戦史シリーズVol.5 北アフリカ戦線』学研(1998)、p.106]]</ref>。この法令には[[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]、[[内相]][[ヴィルヘルム・フリック]]、[[国防軍最高司令部]](OKW)総長[[ヴィルヘルム・カイテル]]、[[無任所相]][[オットー・マイスナー]]の署名がある<ref name="ウィリアムソン(1995)10">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.10]]</ref>。


この法令の第1条において1939年版鉄十字章に大十字章([[大鉄十字章]])、騎士十字章(騎士鉄十字章)、[[第一級鉄十字章]]、[[第二級鉄十字章]]の等級があることが定められた<ref name="北アフリカ(1998)106"/><ref name="ウィリアムソン(1995)9">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.9]]</ref>。第2条では鉄十字章は任務遂行の際に大きな成功を収めた者や勇気ある行動をとった者に授与され、また上位の章を得るには下位の章を得ていなければならない旨が定められた<ref name="北アフリカ(1998)106"/><ref name="ウィリアムソン(1995)9">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.9]]</ref>。
== 騎士十字章の概要 ==
1939年9月1日に制定された鉄十字章は上から'''[[大十字章]]'''、'''騎士十字章'''、'''鉄十字章'''に分類され、鉄十字章には'''[[一級鉄十字章]]'''、'''[[二級鉄十字]]'''の二等級があった。騎士鉄十字章は第一級鉄十字章を受章した者が更に戦功を挙げた場合に授与された。(1941年には'''[[ドイツ十字章]]'''が第一級鉄十字章と騎士鉄十字章の間に位置付けられる戦功章として制定され、一級鉄十字章受章者の「更なる戦功」が騎士鉄十字章たる功績に及ばない場合はこれが授与された。<ref>ゴードン・ウィリアムスン 『鉄十字の騎士 : 騎士十字章の栄誉を担った勇者たち』 向井祐子訳、大日本絵画、1995年7月p31。ISBN 978-4-499-22652-3。</ref>


最上位の大鉄十字章は空軍総司令官[[ヘルマン・ゲーリング]][[元帥 (ドイツ)#国家元帥|国家元帥]]にしか授与されなかった<ref name="後藤(2000)106">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.106]]</ref>。そのため実質的には騎士鉄十字章が一般のドイツ軍人が獲得し得る最高の戦功章だった。鉄十字章は[[ナポレオン戦争]]、[[普仏戦争]]、[[第一次世界大戦]]に於ても制定されていたが、騎士鉄十字章の種別が設けられたのは第二次世界大戦時のみである<ref name="後藤(2000)43">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.43]]</ref>。
その後、騎士鉄十字章にも等級が設けられ、1940年6月3日に'''柏葉付騎士鉄十字章'''、1941年715日に'''柏葉・剣付騎士鉄十字章'''、1942年7月15日に'''柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''、1944年12月29日に'''金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''が制定された。


大鉄十字章(鉄十字章の中の大十字章)と一級鉄十字章の間を埋める勲章という意味では[[プロイセン王国]]が制定した[[プール・ル・メリット勲章]]等の将校用軍事功労賞に代わる勲章だったとも言える<ref name="ウィリアムソン(1995)5">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.5]]</ref><ref name="後藤(2000)106">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.106]]</ref>。
'''騎士鉄十字章'''の授与は総統[[アドルフ・ヒトラー]]の電報による認承を経て直属の上官によってなされていた。受章者には予備勲記(Vorläufiges Besitzzeugnis、授与を告げる簡易な印刷文書)が手渡された。


== 騎士鉄十字章の授与 ==
正式な勲記(Urkunde)は[[羊皮紙]]で作られており、総統直々の署名が入っていた。文字は赤い茶色で書かれ、受賞者と総統の署名の部分は金箔を使って書かれた。皮製のフォルダに入っており、フォルダの前面には金箔でできたナチス国章(鉤十字に乗った鷲)が入っていた。かなり凝った作りだったが、戦時下のドイツの情勢から正式な勲記を大量につくるような余裕はなく、正式な勲記を受けられた者はごく少数であった。
騎士鉄十字章の授与は総統[[アドルフ・ヒトラー]]の電報による認承を経て直属の上官によってなされていた。受章者には予備勲記(Vorläufiges Besitzzeugnis、授与を告げる簡易な印刷文書)が手渡された<ref name="ウィリアムソン(1995)17">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.17]]</ref>


正式な勲記(Urkunde)はかなり凝った作りのフォルダーだったが、戦時下のドイツの情勢から正式な勲記を大量につくるような余裕はなく、正式な勲記を受けられた者はごく少数であった<ref name="ウィリアムソン(1995)19-20">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.19-20]]</ref>。
また、戦争後期には現物を本人に届ける余裕も無くなったため、騎士鉄十字章受章者の中には二級鉄十字章を騎士鉄十字章の代用として頸部に佩用する者もいた<ref>アルブレヒト・ヴァッカー著、中村康之訳 『最強の狙撃手』 原書房、2007年、ISBN 978-4-562-04070-4。</ref>。また、航海中に無線で授与決定を知らされた[[Uボート]]の艦長等の場合、乗組員の機械工が作ったレプリカを帰港まで着用することもあった。

== 騎士鉄十字章の佩用式 ==
騎士鉄十字章の上部に付いた吊り輪に専用のリボンを通し、そのリボンを使って首許に騎士鉄十字章を佩用した<ref name="北アフリカ(1998)107"/><ref name="後藤(2000)106"/>。騎士鉄十字章のリボンは二級鉄十字章のリボンと同じく黒白赤の国家色のデザインだが、幅が45ミリと二級鉄十字章のリボンよりも広かった<ref name="ウィリアムソン(1995)13">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.13]]</ref>。
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File:Bundesarchiv Bild 146-2007-0124, Gerhard Kluge.jpg|襟の下にリボンをまいて騎士鉄十字章を佩用
File:Bundesarchiv Bild 146-1993-066-28A, August Zehender.jpg|リボンを首にかけて騎士鉄十字章を佩用
</gallery>
== 騎士鉄十字章の形状 ==
デザインは下位の一級鉄十字章や二級鉄十字章とほぼ同じである。中央に[[ハーケンクロイツ]]が入っており、その下には鉄十字の制定年である1939の数字が入っていた。裏面には初めて鉄十字章が制定された年である[[1813年|1813]]の数字が入っている。鉄十字の内側は無光沢の黒い鉄製だった。その周りを玉縁状の無光沢の純銀の枠が囲んでおり、さらにその周りを平面上の光沢のある純銀の枠が囲っていた<ref name="ウィリアムソン(1995)11">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.11]]</ref><ref name="山下(2011)下118">[[#山下(2011)下|山下(2011)、下巻p.118]]</ref>。

上部にはリボン用ループを付けるためのループがついているが二級鉄十字章の上部のループとは向きが異なり、また二級鉄十字章のループのように溶接された物ではなく勲章と一体だった(一級鉄十字章は左胸に佩用するのでそもそもループなし)<ref name="後藤(2000)106"/>。上部の平面上の銀の枠の部分に「800」あるいは「900」という数字が刻まれていることが多いが、これは銀の純度を示している<ref name="後藤(2000)106"/>。その隣に製造会社を示すコードが入っている場合もある<ref name="ウィリアムソン(1995)11"/>。

騎士鉄十字章は横48ミリ、縦55ミリあり<ref name="ウィリアムソン(1995)11"/>、一級鉄十字章よりも一回り大きかった<ref name="後藤(2000)106"/>。

== レプリカについて ==
勲記があれば騎士鉄十字章は法律で定められた形状を逸脱しない限り自由に購入できたため半ば使い捨て状態であったという<ref name="山下(2011)下116,122">[[#山下(2011)下|山下(2011)、下巻p.116, 122]]</ref>。こうした[[レプリカ]]は本来の物とサイズが異なっていたり、別の材質を使っていたり(内側の鉄の代わりに銅や亜鉛を使ったり、縁の銀の代わりに銀メッキを使うなど)、受章者ごとに様々であった<ref name="ウィリアムソン(1995)13-15">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.13-15]]</ref><ref name="山下(2011)下116">[[#山下(2011)下|山下(2011)、下巻p.116]]</ref>。

また実物の授与を受ける余裕がない受章者の中には二級鉄十字章を騎士鉄十字章の代用として頸部に佩用する者もいた<ref name="ヴァッカー(2007)">[[#ヴァッカー(2007)|ヴァッカー(2007)、p.289, 291]]</ref><ref name="ウィリアムソン(1995)16">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.16]]</ref>。また、航海中に無線で授与決定を知らされた[[Uボート]]の艦長等の場合、乗組員の機械工が作ったレプリカを帰港まで着用することもあった。乗組員から贈られたレプリカに特別な思い入れを持ち、公式の物が授与された後もレプリカの方を着用し続ける艦長は多かったという<ref name="ウィリアムソン(1995)16">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.16]]</ref>。

== 騎士鉄十字章の等級 ==
第二次世界大戦の緒戦[[ポーランド侵攻]]の頃にはヒトラーはこの戦争が長期化するとは考えていなかったため、騎士鉄十字章に等級を設けてはいなかった。しかし戦争が長引く中で騎士鉄十字章受章後の勲章が必要になり、騎士鉄十字章がいくつかの等級に細分化されるようになった<ref name="北アフリカ(1998)106"/>。

1940年6月3日に'''柏葉付騎士鉄十字章'''、1941年621日に'''柏葉・剣付騎士鉄十字章'''、1941年7月15日に'''柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''、1944年12月29日に'''金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''が制定された<ref name="北アフリカ(1998)106"/>


=== 騎士鉄十字章 ===
=== 騎士鉄十字章 ===
[[Image:RK EK.png|150px|right|thumb|騎士鉄十字章]]
[[Image:RK EK.png|150px|right|thumb|騎士鉄十字章]]
騎士鉄十字章の受章にあたっては一級鉄十字章を受している必要があった。一級鉄十字章を受章した者が更に戦功を挙げた場合に'''騎士鉄十字章'''が授与された。なお1941年に[[ドイツ十字章]]という一級鉄十字章と騎士鉄十字章の間に位置付けられる鉄十字章の体系外の戦功章制定されているがこれは一級鉄十字章受章者の「更なる戦功」が騎士鉄十字章たる功績に及ばない場合授与され、騎士鉄十字受章にあたってドイツ十字章の受章が必要とされるわけではなかった<ref name="ウィリアムソン(1995)31">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)p.31]]</ref>

一級鉄十字章の総受章者は約30万人いたのに対し、騎士鉄十字章は7.313名とかなり数が限られていたため、騎士鉄十字章を受章した者はドイツ社会から英雄視された。受章者の中には外国人も数十名含まれている。

予備勲記は簡単な印刷文書で「総統及びドイツ国防軍最高司令官は(授与者の氏名、階級、部隊)に鉄十字章の中の騎士十字章を(授与年月日)付けで授与する」と書かれており、その下に受章を確認した高級将校の署名が入っていた。[[ヴィルヘルム・カイテル]]、[[ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ]]、[[ヴィルヘルム・ブルクドルフ]]の署名が確認されている<ref name="ウィリアムソン(1995)17">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.17]]</ref>。


勲記は[[羊皮紙]]で作られており、「ドイツ民族の名において(名前、階級)に鉄十字章の中の騎士十字章を授与する。[[総統大本営]]。(日付)総統兼ドイツ国防軍最高司令官 A.ヒトラー」という文面で総統直々の署名が入っていた<ref name="後藤(2000)108">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.108]]</ref>。赤茶色インクで文字が書かれているが、受章者と総統の署名の部分は金箔を使って書かれていた。皮製のフォルダに入っており、フォルダの前面には金箔でできた鷲章が入っていた<ref name="ウィリアムソン(1995)19-20">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.19-20]]</ref>。
中央の鉤十字は[[ナチス・ドイツ]]の紋章である。1939の数字は鉄十字章(騎士鉄十字章含む)が再制定された西暦の年を表している。下位の一級鉄十字章や第二級鉄十字章よりやや大型であった。また第二級鉄十字章を軍服の第二ボタンに留めるリボンが小型だったのに対し、騎士鉄十字章のリボンは首からさげて佩用するものであったため、大型である。一級鉄十字章の総受章者は約30万人いたのに対し、騎士鉄十字章は7.313名とかなり数が限られていたため、騎士鉄十字章を受章した者はドイツ社会から英雄視された。受章者の中には外国人も数十名含まれている。
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=== 柏葉付騎士鉄十字章 ===
=== 柏葉付騎士鉄十字章 ===
[[Image:RK EK mit eichenlaub-2.png|150px|right|thumb|柏葉付騎士鉄十字章]]
[[Image:RK EK mit eichenlaub-2.png|150px|right|thumb|柏葉付騎士鉄十字章]]


'''騎士鉄十字章'''を受章した者でさらに戦功を立てた者は'''柏葉付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)を受章した。柏葉章だけを手渡され、すでに授与された騎士鉄十字章の上部に柏葉章を加えて装着した。柏葉は1813年に最初に鉄十字章を導入したプロイセン王[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]の妻[[ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ|ルイーゼ]]王妃を記念したものとされる。予備勲記および勲記については一般の騎士鉄十字章とほぼ同様ある
'''騎士鉄十字章'''を受章した者でさらに戦功を立てた者は'''柏葉付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)を受章した。柏葉章だけを手渡され、すでに授与された騎士鉄十字章の上部の吊り輪に柏葉章を加えて装着した<ref name="後藤(2000)110">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.110]]</ref>。柏葉は1813年に最初に鉄十字章を導入したプロイセン王[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]の妻[[ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ|ルイーゼ]]王妃を記念したものとされる<ref name="後藤(2000)110"/><ref name="ウィリアムソン(1995)22">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.22]]</ref>。勲記については総統の名前の他、鷲章も赤茶色インクはなく金箔で書かれていた。フォルダの革は白色で金箔の鷲章がデザインされていた<ref name="ウィリアムソン(1995)25">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.25]]</ref>


882名のドイツ軍人が受章している。また、外国人受章者としてベルギーの[[レオン・ドグレル]]、エストニアの[[アルフォンス・レバネ]](ただし1945年5月8日付のため、大戦中の受章ではない)、ルーマニアの[[ペトレ・ドゥミトレスク]]と[[ミハイ・ラスカル]]と[[コルネリウ・テオドリニ]]、日本の[[古賀峯一]]と[[山本五十六]]、 スペインの[[アグスティン・ムニョス・グランデス]]、フィンランドの[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]の9名がいる。
882名のドイツ軍人が受章している<ref name="北アフリカ(1998)107"/>。また、外国人受章者としてベルギーの[[レオン・ドグレル]]<ref name="後藤(2000)110"/>、エストニアの[[アルフォンス・レバネ]](ただし1945年5月8日付のため、大戦中の受章ではない)、ルーマニアの[[ペトレ・ドゥミトレスク]]と[[ミハイ・ラスカル]]と[[コルネリウ・テオドリニ]]、日本の[[古賀峯一]]<ref name="後藤(2000)110"/>と[[山本五十六]]、 スペインの[[アグスティン・ムニョス・グランデス]]、フィンランドの[[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]の9名がいる。


この勲章まで受章したドイツ軍人として著名な者には[[フリードリヒ・パウルス]](陸軍元帥)、[[エルンスト・ブッシュ (軍人)|エルンスト・ブッシュ]](陸軍元帥)、[[ヴィルヘルム・フォン・レープ]](陸軍元帥)、[[フェードア・フォン・ボック]](陸軍元帥)、[[ゲオルク・フォン・キュヒラー]](陸軍元帥)、[[マクシミリアン・フォン・ヴァイクス]](陸軍元帥)、[[ハインツ・グデーリアン]](陸軍将軍)、[[ギュンター・フォン・クルーゲ]](陸軍将軍)、[[アルフレート・ヨードル]](陸軍将軍)、[[ヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ]](陸軍将軍)、[[ウェルナー・ケンプフ]](陸軍将軍)、[[カール・デーニッツ]](海軍総司令官)、[[ギュンター・プリーン]](Uボート艦長)、[[ヴァルター・クルピンスキー]](空軍エースパイロット)、[[テオドール・ワイセンベルガー]](空軍エースパイロット)、[[テオドール・アイケ]](武装親衛隊将軍)、[[アルフレート・ヴェンネンベルク]](警察将軍)、[[マティアス・クラインハイスターカンプ]](武装親衛隊将軍)、[[オットー・スコルツェニー]](武装親衛隊将校)、[[ブルーノ・シュトレッケンバッハ]](武装親衛隊将軍)、[[ヨハネス・ミューレンカンプ]](武装親衛隊将校)などがいる。
この勲章まで受章したドイツ軍人として著名な者には[[フリードリヒ・パウルス]](陸軍元帥)、[[エルンスト・ブッシュ (軍人)|エルンスト・ブッシュ]](陸軍元帥)、[[ヴィルヘルム・フォン・レープ]](陸軍元帥)、[[フェードア・フォン・ボック]](陸軍元帥)、[[ゲオルク・フォン・キュヒラー]](陸軍元帥)、[[マクシミリアン・フォン・ヴァイクス]](陸軍元帥)、[[ハインツ・グデーリアン]](陸軍将軍)、[[ギュンター・フォン・クルーゲ]](陸軍将軍)、[[アルフレート・ヨードル]](陸軍将軍)、[[ヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ]](陸軍将軍)、[[ウェルナー・ケンプフ]](陸軍将軍)、[[カール・デーニッツ]](海軍総司令官)、[[ギュンター・プリーン]](Uボート艦長)、[[ヴァルター・クルピンスキー]](空軍エースパイロット)、[[テオドール・ワイセンベルガー]](空軍エースパイロット)、[[テオドール・アイケ]](武装親衛隊将軍)、[[アルフレート・ヴェンネンベルク]](警察将軍)、[[マティアス・クラインハイスターカンプ]](武装親衛隊将軍)、[[オットー・スコルツェニー]](武装親衛隊将校)、[[ブルーノ・シュトレッケンバッハ]](武装親衛隊将軍)、[[ヨハネス・ミューレンカンプ]](武装親衛隊将校)などがいる。
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=== 柏葉・剣付騎士鉄十字章 ===
=== 柏葉・剣付騎士鉄十字章 ===
[[Image:RK EK mit ol sw-2.png|150px|right|thumb|柏葉・剣付騎士鉄十字章]]
[[Image:RK EK mit ol sw-2.png|150px|right|thumb|柏葉・剣付騎士鉄十字章]]


'''柏葉章受章者'''でさらに戦功をたてた者は剣付き'''柏葉・剣付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern)を受章した。交差した二本の剣が入った柏葉章である。剣付き柏葉章の受章者は柏葉だけの柏葉章と取り替えて騎士鉄十字章の上部に装着した。
'''柏葉章受章者'''でさらに戦功をたてた者は剣付き'''柏葉・剣付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern)を受章した。交差した二本の剣が入った柏葉章である。剣付き柏葉章の受章者は柏葉だけの柏葉章と取り替えて騎士鉄十字章の上部に装着した<ref name="ウィリアムソン(1995)25">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.25]]</ref>。交差する剣は伝統的なデザインでありドイツの勲章にしばしばみられるものである<ref name="後藤(2000)113">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.113]]</ref>


剣付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、フォルダに[[金メッキ]]の[[幾何学]]模様の縁飾りがついており、より豪華な雰囲気を漂わせていた。
剣付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、フォルダに[[金メッキ]]の[[幾何学]]模様の縁飾りがついており、より豪華な雰囲気を漂わせていた<ref name="ウィリアムソン(1995)26">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.26]]</ref>


剣付き柏葉章受章者は159名のドイツ軍人と1名の日本軍人([[山本五十六]])の計160名である。
剣付き柏葉章受章者は159名のドイツ軍人と1名の日本軍人([[山本五十六]])の計160名である<ref name="ウィリアムソン(1995)181">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.181]]</ref>


この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者には、[[ヘルマン・ホト]](陸軍将軍)、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]](陸軍元帥)、[[エヴァルト・フォン・クライスト (軍人)|エヴァルト・フォン・クライスト]](陸軍元帥)、[[ゲオルク=ハンス・ラインハルト]](陸軍将軍)、[[ヘルムート・ヴァイトリング]](陸軍将軍)、[[ゲルト・フォン・ルントシュテット]](陸軍元帥)、[[ゴットハルト・ハインリツィ]](陸軍将軍)、[[ヨハネス・ブラスコヴィッツ]](陸軍将軍)、[[オットー・クレッチマー]](海軍Uボート艦長)、[[エーリヒ・トップ]](海軍Uボート艦長)、[[ゲルハルト・バルクホルン]](空軍エースパイロット)、[[リヒャルト・ハイドリヒ]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ルートヴィッヒ・ハイルマン]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ローベルト・フォン・グライム]](空軍元帥)、[[ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン]](空軍元帥)、[[カール=ロタール・シュルツ]](空軍降下猟兵指揮官)、[[エーリッヒ・ルドルファー]](空軍エースパイロット)、[[エリッヒ・ヴァルター]](空軍降下猟兵指揮官)、[[オイゲン・マインドル]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ヘルマン・フェーゲライン]](武装親衛隊将軍)、[[フェリックス・シュタイナー]](武装親衛隊将軍)、[[パウル・ハウサー]](武装親衛隊将軍)、[[クルト・マイヤー]](武装親衛隊将軍)、[[ヴァルター・クリューガー]](武装親衛隊将軍)、[[ヨアヒム・パイパー]](武装親衛隊将校)、[[ヴィルヘルム・ビトリッヒ]](武装親衛隊将軍)、[[ミハエル・ヴィットマン]](武装親衛隊戦車兵)などがいる。
この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者には、[[ヘルマン・ホト]](陸軍将軍)、[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]](陸軍元帥)、[[エヴァルト・フォン・クライスト (軍人)|エヴァルト・フォン・クライスト]](陸軍元帥)、[[ゲオルク=ハンス・ラインハルト]](陸軍将軍)、[[ヘルムート・ヴァイトリング]](陸軍将軍)、[[ゲルト・フォン・ルントシュテット]](陸軍元帥)、[[ゴットハルト・ハインリツィ]](陸軍将軍)、[[ヨハネス・ブラスコヴィッツ]](陸軍将軍)、[[オットー・クレッチマー]](海軍Uボート艦長)、[[エーリヒ・トップ]](海軍Uボート艦長)、[[ゲルハルト・バルクホルン]](空軍エースパイロット)、[[リヒャルト・ハイドリヒ]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ルートヴィッヒ・ハイルマン]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ローベルト・フォン・グライム]](空軍元帥)、[[ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン]](空軍元帥)、[[カール=ロタール・シュルツ]](空軍降下猟兵指揮官)、[[エーリッヒ・ルドルファー]](空軍エースパイロット)、[[エリッヒ・ヴァルター]](空軍降下猟兵指揮官)、[[オイゲン・マインドル]](空軍降下猟兵指揮官)、[[ヘルマン・フェーゲライン]](武装親衛隊将軍)、[[フェリックス・シュタイナー]](武装親衛隊将軍)、[[パウル・ハウサー]](武装親衛隊将軍)、[[クルト・マイヤー]](武装親衛隊将軍)、[[ヴァルター・クリューガー]](武装親衛隊将軍)、[[ヨアヒム・パイパー]](武装親衛隊将校)、[[ヴィルヘルム・ビトリッヒ]](武装親衛隊将軍)、[[ミハエル・ヴィットマン]](武装親衛隊戦車兵)などがいる。
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=== 柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 ===
=== 柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 ===
[[Image:Ridderkruis van het IJzeren Kruis met Zilveren Eikenloof, Briljanten en Zwaarden..jpg|150px|right|thumb|柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章
[[Image:Ridderkruis van het IJzeren Kruis met Zilveren Eikenloof, Briljanten en Zwaarden..jpg|150px|right|thumb|柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章
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'''剣付き柏葉章'''受章者でさらに戦功を立てた者は'''柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub, Schwertern und Brillanten)を授与された。剣付柏葉に[[ダイヤモンド]]がちりばめられており、背面から光が入ることでダイヤモンドの輝きが増すように、柏葉のダイヤモンドがはめ込まれた部分は穴が貫通していた。最初に[[ヴェルナー・メルダース|メルダース]]と[[アドルフ・ガーランド|ガーランド]]が授与された物は剣と柏葉が柏葉章や剣付章と同様に[[銀]]製だったが、以降は[[プラチナ]]製となり、銀製の剣付き柏葉に人造[[ダイヤモンド]]を埋め込んだ物が普段着用するために与えられた<ref>ゴードウィリアム著、向井祐子訳 『鉄十字の騎士』 大日本絵画、2007年、27ページ。</ref><ref>Dietrich Maerz (2007). The Knights Cross of the Iron Cross. B&D Publishing. ISBN 978-0-9797969-0-6.</ref>
'''剣付き柏葉章'''受章者でさらに戦功を立てた者は'''柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章'''(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub, Schwertern und Brillanten)を授与された。剣付柏葉に[[ダイヤモンド]]がちりばめられており、背面から光が入ることでダイヤモンドの輝きが増すように、柏葉のダイヤモンドがはめ込まれた部分は穴が貫通していた。最初に[[ヴェルナー・メルダース|メルダース]]と[[アドルフ・ガーランド|ガーランド]]が授与された物は剣と柏葉が柏葉章や剣付章と同様に[[銀]]製だったが、以降は[[プラチナ]]製となり、銀製の剣付き柏葉に人造[[ダイヤモンド]]を埋め込んだ物が普段着用するために与えられた<ref name="ウィリアムソン(1995)27">[[#ウィリアムソ(1995)|ウィリアム(1995)p.27]]</ref><ref name="後藤(2000)115">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.115]]</ref><ref>Dietrich Maerz (2007). The Knights Cross of the Iron Cross. B&D Publishing. ISBN 978-0-9797969-0-6.</ref>


柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の受章者は剣付き柏葉章受章のドイツ軍人のうちから27名の者である。この等級から外国人受章者はいない。
柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の受章者は剣付き柏葉章受章のドイツ軍人のうちから27名の者である<ref name="ウィリアムソン(1995)172">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.172]]</ref><ref name="後藤(2000)117">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.117]]</ref>。この等級から外国人受章者はいない。


柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、フォルダの皮の色受章者の所属する軍に応じた色が使われており、国章の上にダイヤモンドがちりばめられていた。
柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、すべての文字が金箔で書かれており、またフォルダの皮の色受章者の所属する軍に応じた色(陸軍・武装SSは赤茶色、海軍は青、空軍はブルーグレー)が使われており、表紙の国章の上にダイヤモンドがちりばめられていた<ref name="ウィリアムソン(1995)28">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.28]]</ref>


この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者に[[エルヴィン・ロンメル]](陸軍元帥1943年3月11日)、[[ヒアツィント・シュトラハヴィッツ・フォン・グロース-ザウチェ=カムネッツ]](陸軍将軍1944年4月14日)、[[ハンス=ヴァレンティーン・フーベ]](陸軍将軍1944年4月20日)、[[ヴァルター・モーデル]](陸軍元帥1944年8月17日)、[[ハッソ・フォン・マントイフェル]](陸軍将軍1945年2月18日)、[[ヴォルフガング・リュート]](海軍Uボート艦長1943年8月9日)、[[ヴェルナー・メルダース]](空軍エースパイロット1941年7月15日)、[[アドルフ・ガーランド]](空軍エースパイロット1942年1月28日)、[[ハンス・ヨアヒム・マルセイユ]](空軍エースパイロット1942年9月3日)、[[ヴァルター・ノヴォトニー]](空軍エースパイロット1943年10月19日)[[アルベルト・ケッセルリンク]](空軍元帥1944年7月19日)、[[エーリヒ・ハルトマン]](空軍エースパイロット1944年8月25日)、[[ヘルベルト・オットー・ギレ]](武装親衛隊将軍1944年4月19日)、[[ヨゼフ・ディートリヒ]](武装親衛隊将軍1944年8月6日)などがいる。
この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者に[[エルヴィン・ロンメル]](陸軍元帥1943年3月11日)、[[ヒアツィント・シュトラハヴィッツ・フォン・グロース-ザウチェ=カムネッツ]](陸軍将軍1944年4月14日)、[[ハンス=ヴァレンティーン・フーベ]](陸軍将軍1944年4月20日)、[[ヴァルター・モーデル]](陸軍元帥1944年8月17日)、[[ハッソ・フォン・マントイフェル]](陸軍将軍1945年2月18日)、[[ヴォルフガング・リュート]](海軍Uボート艦長1943年8月9日)、[[ヴェルナー・メルダース]](空軍エースパイロット1941年7月15日)、[[アドルフ・ガーランド]](空軍エースパイロット1942年1月28日)、[[ハンス・ヨアヒム・マルセイユ]](空軍エースパイロット1942年9月3日)、[[ヴァルター・ノヴォトニー]](空軍エースパイロット1943年10月19日)[[アルベルト・ケッセルリンク]](空軍元帥1944年7月19日)、[[エーリヒ・ハルトマン]](空軍エースパイロット1944年8月25日)、[[ヘルベルト・オットー・ギレ]](武装親衛隊将軍1944年4月19日)、[[ヨゼフ・ディートリヒ]](武装親衛隊将軍1944年8月6日)などがいる。
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=== 金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 ===
=== 金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章 ===
[[Image:Knight's Cross of the Iron Cross with Oakleaves, Swords, and Diamonds.png|150px|right|thumb|金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章]]
[[Image:Knight's Cross of the Iron Cross with Oakleaves, Swords, and Diamonds.png|150px|right|thumb|金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章]]


全ドイツ軍でもっとも勇敢な軍人が12名のみが授与されると定められていた勲章<ref name="ウィリアムソン(1995)28">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.28]]</ref><ref name="北アフリカ(1998)106"/>。12という数字は[[キリスト]]の[[最後の晩餐]]に因むという<ref name="北アフリカ(1998)106"/>。
全ドイツ軍でもっとも勇敢な軍人が円卓の騎士に因んで12名のみが授与されると定められていた勲章。柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章受章者のうちさらに戦功を立てた者が授与される。剣付き柏葉章が[[18金]]製で、50個ものダイヤモンドがちりばめられていた。制定が1944年12月と戦争末期であったこともあり、実際に受章したのは[[急降下爆撃機]]のパイロット[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル]]空軍大佐一人であった。なお、一説にはヒトラーが、功績を挙げすぎたルーデルに相応しい勲章が存在しなかったがために作った物だとも言われている。なお前述の12という数字に関しても、彼のような英雄が再び現れる事を願ってのことであるとも言われている。騎士鉄十字章の最高勲章であり、1939年鉄十字章全体でも最高勲章[[大鉄十字章]](受章者は[[ヘルマン・ゲーリング]]一人であった)に次ぐ勲章である。勲記は柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章と同様であった
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柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章受章者のうちさらに戦功を立てた者が授与される。剣付き柏葉章が[[18金]]製で、50個ものダイヤモンドがちりばめられていた<ref name="ウィリアムソン(1995)28">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.28]]</ref><ref name="後藤(2000)117">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.117]]</ref>。

制定が1944年12月と戦争末期であったこともあり、実際に受章したのは[[急降下爆撃機]]のパイロット[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル]]空軍大佐一人であった<ref name="後藤(2000)117">[[#後藤(2000)|後藤(2000)、p.117]]</ref>。ルーデルへの受章はヒトラー自らの手で行われている<ref name="後藤(2000)117"/>。

なお、一説にはヒトラーが、功績を挙げすぎたルーデルに相応しい勲章が存在しなかったがために作った物だとも言われている。なお前述の12という数字に関しても、彼のような英雄が再び現れる事を願ってのことであるとも言われている。騎士鉄十字章の最高勲章であり、1939年鉄十字章全体でも最高勲章[[大鉄十字章]](受章者は[[ヘルマン・ゲーリング]]一人であった)に次ぐ勲章である。この勲章用の勲記は作られていないようである<ref name="ウィリアムソン(1995)29">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.29]]</ref>
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== 戦後の騎士鉄十字章 ==
[[File:RK 1957 grau.png|150px|right|thumb|1957年の非ナチ化された騎士鉄十字章]]
戦後の非ナチ化に伴い、1957年に騎士鉄十字章も中央のハーケンクロイツを柏葉に置きかえた物が作られ、受章者のもっている騎士鉄十字章との交換が行われた。なお剣や柏葉章はそのままであった<ref name="ウィリアムソン(1995)16">[[#ウィリアムソン(1995)|ウィリアムソン(1995)、p.16]]</ref>。

戦時中に作られた実物は破棄されたり、戦場で朽ちた物も多いが、現在の市場にも高値で出回っている。これは受章者本人かその遺族が売ったか、連合国兵士が記念品として略奪した物である<ref name="山下(2011)下122-123">[[#山下(2011)下|山下(2011)、下巻p.122-123]]</ref>。勲章ディーラーの[[アンドレ・ヒュースケン]]によると市場に出回っている物、受章者本人・遺族がいまだに保持している物など含めて戦時中に作られた実物の総数は騎士鉄十字章が約2万個、柏葉章は約1800個、柏葉・剣章は約450個、柏葉・剣・ダイヤモンド章は約80個であるという<ref name="山下(2011)下123">[[#山下(2011)下|山下(2011)、下巻p.123]]</ref>。しかしあくまで推定であって実際の残存数を正確に割り出すのは難しい<ref name="山下(2011)下123"/>。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
<references />
== 参考文献 ==

*{{Cite book|和書|author=[[アルブレヒト・ヴァッカー]]|translator=中村康之|year=[[2007年]]|title=最強の狙撃手|publisher=[[原書房]]|isbn= 978-4-562-04070-4|ref=ヴァッカー(2007)}}
*{{Cite book|和書|author=[[ゴードン・ウィリアムソン]]|translator=向井祐子|year=[[1995年]]|title=鉄十字の騎士―騎士十字章の栄誉を担った勇者たち|publisher=[[文芸社]]|isbn=978-4499226523|ref=ウィリアムソン(1995)}}
*{{Cite book|和書|author=[[後藤譲治]]|year=[[2000年]]|title=ヒットラーと鉄十字章―シンボルによる民衆の煽動|publisher=[[文芸社]]|isbn=978-4835504506|ref=後藤(2000)}}
*{{Cite book|和書|author=[[山下英一郎]]|year=[[2011年]]|title=制服の帝国 <small>ナチスの群像</small> 下巻|publisher=[[ホビージャパン]]|isbn=978-4798602042|ref=山下(2011)下}}
* {{Cite book|和書|year=[[1998年]]|title=北アフリカ戦線|series=欧州戦史シリーズVol.5|publisher=学研|isbn=978-4056017830|ref=北アフリカ(1998)}}
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Knight's Cross of the Iron Cross}}
*[[鉄十字]]
*[[鉄十字]]
*[[大鉄十字章]]

*[[一級鉄十字章]]
*[[二級鉄十字章]]
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2011年10月9日 (日) 05:12時点における版

左から剣・柏葉・ダイヤモンド付き騎士鉄十字章(18)、剣・柏葉付騎士鉄十字章(19)、柏葉付騎士鉄十字章(20)、騎士鉄十字章(21)

騎士鉄十字章:Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)は第二次世界大戦中にナチス・ドイツにより制定された鉄十字章の一種である。日本では「騎士鉄十字章」と訳されることが多いが[1][2]、正確には「鉄十字章の中の騎士十字章」である[3]

騎士鉄十字章の制定

第二次世界大戦が開戦した1939年9月1日に「前大戦で祖国のために戦った人々を記念するため鉄十字章を再制定する」という法令が出された[4][5]。この法令には総統アドルフ・ヒトラー内相ヴィルヘルム・フリック国防軍最高司令部(OKW)総長ヴィルヘルム・カイテル無任所相オットー・マイスナーの署名がある[4]

この法令の第1条において1939年版鉄十字章に大十字章(大鉄十字章)、騎士十字章(騎士鉄十字章)、第一級鉄十字章第二級鉄十字章の等級があることが定められた[5][3]。第2条では鉄十字章は任務遂行の際に大きな成功を収めた者や勇気ある行動をとった者に授与され、また上位の章を得るには下位の章を得ていなければならない旨が定められた[5][3]

最上位の大鉄十字章は空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥にしか授与されなかった[1]。そのため実質的には騎士鉄十字章が一般のドイツ軍人が獲得し得る最高の戦功章だった。鉄十字章はナポレオン戦争普仏戦争第一次世界大戦に於ても制定されていたが、騎士鉄十字章の種別が設けられたのは第二次世界大戦時のみである[6]

大鉄十字章(鉄十字章の中の大十字章)と一級鉄十字章の間を埋める勲章という意味ではプロイセン王国が制定したプール・ル・メリット勲章等の将校用軍事功労賞に代わる勲章だったとも言える[7][1]

騎士鉄十字章の授与

騎士鉄十字章の授与は総統アドルフ・ヒトラーの電報による認承を経て直属の上官によってなされていた。受章者には予備勲記(Vorläufiges Besitzzeugnis、授与を告げる簡易な印刷文書)が手渡された[8]

正式な勲記(Urkunde)はかなり凝った作りのフォルダーだったが、戦時下のドイツの情勢から正式な勲記を大量につくるような余裕はなく、正式な勲記を受けられた者はごく少数であった[9]

騎士鉄十字章の佩用式

騎士鉄十字章の上部に付いた吊り輪に専用のリボンを通し、そのリボンを使って首許に騎士鉄十字章を佩用した[2][1]。騎士鉄十字章のリボンは二級鉄十字章のリボンと同じく黒白赤の国家色のデザインだが、幅が45ミリと二級鉄十字章のリボンよりも広かった[10]

騎士鉄十字章の形状

デザインは下位の一級鉄十字章や二級鉄十字章とほぼ同じである。中央にハーケンクロイツが入っており、その下には鉄十字の制定年である1939の数字が入っていた。裏面には初めて鉄十字章が制定された年である1813の数字が入っている。鉄十字の内側は無光沢の黒い鉄製だった。その周りを玉縁状の無光沢の純銀の枠が囲んでおり、さらにその周りを平面上の光沢のある純銀の枠が囲っていた[11][12]

上部にはリボン用ループを付けるためのループがついているが二級鉄十字章の上部のループとは向きが異なり、また二級鉄十字章のループのように溶接された物ではなく勲章と一体だった(一級鉄十字章は左胸に佩用するのでそもそもループなし)[1]。上部の平面上の銀の枠の部分に「800」あるいは「900」という数字が刻まれていることが多いが、これは銀の純度を示している[1]。その隣に製造会社を示すコードが入っている場合もある[11]

騎士鉄十字章は横48ミリ、縦55ミリあり[11]、一級鉄十字章よりも一回り大きかった[1]

レプリカについて

勲記があれば騎士鉄十字章は法律で定められた形状を逸脱しない限り自由に購入できたため半ば使い捨て状態であったという[13]。こうしたレプリカは本来の物とサイズが異なっていたり、別の材質を使っていたり(内側の鉄の代わりに銅や亜鉛を使ったり、縁の銀の代わりに銀メッキを使うなど)、受章者ごとに様々であった[14][15]

また実物の授与を受ける余裕がない受章者の中には二級鉄十字章を騎士鉄十字章の代用として頸部に佩用する者もいた[16][17]。また、航海中に無線で授与決定を知らされたUボートの艦長等の場合、乗組員の機械工が作ったレプリカを帰港まで着用することもあった。乗組員から贈られたレプリカに特別な思い入れを持ち、公式の物が授与された後もレプリカの方を着用し続ける艦長は多かったという[17]

騎士鉄十字章の等級

第二次世界大戦の緒戦ポーランド侵攻の頃にはヒトラーはこの戦争が長期化するとは考えていなかったため、騎士鉄十字章に等級を設けてはいなかった。しかし戦争が長引く中で騎士鉄十字章受章後の勲章が必要になり、騎士鉄十字章がいくつかの等級に細分化されるようになった[5]

1940年6月3日に柏葉付騎士鉄十字章、1941年6月21日に柏葉・剣付騎士鉄十字章、1941年7月15日に柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章、1944年12月29日に金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章が制定された[5]

騎士鉄十字章

ファイル:RK EK.png
騎士鉄十字章

騎士鉄十字章の受章にあたっては一級鉄十字章を受章している必要があった。一級鉄十字章を受章した者が更に戦功を挙げた場合に騎士鉄十字章が授与された。なお1941年にドイツ十字章という一級鉄十字章と騎士鉄十字章の間に位置付けられる鉄十字章の体系外の戦功章が制定されているが、これは一級鉄十字章受章者の「更なる戦功」が騎士鉄十字章たる功績に及ばない場合に授与され、騎士鉄十字章の受章にあたってドイツ十字章の受章が必要とされるわけではなかった[18]

一級鉄十字章の総受章者は約30万人いたのに対し、騎士鉄十字章は7.313名とかなり数が限られていたため、騎士鉄十字章を受章した者はドイツ社会から英雄視された。受章者の中には外国人も数十名含まれている。

予備勲記は簡単な印刷文書で「総統及びドイツ国防軍最高司令官は(授与者の氏名、階級、部隊)に鉄十字章の中の騎士十字章を(授与年月日)付けで授与する」と書かれており、その下に受章を確認した高級将校の署名が入っていた。ヴィルヘルム・カイテルヴァルター・フォン・ブラウヒッチュヴィルヘルム・ブルクドルフの署名が確認されている[8]

勲記は羊皮紙で作られており、「ドイツ民族の名において(名前、階級)に鉄十字章の中の騎士十字章を授与する。総統大本営。(日付)総統兼ドイツ国防軍最高司令官 A.ヒトラー」という文面で総統直々の署名が入っていた[19]。赤茶色インクで文字が書かれているが、受章者と総統の署名の部分は金箔を使って書かれていた。皮製のフォルダに入っており、フォルダの前面には金箔でできた鷲章が入っていた[9]

柏葉付騎士鉄十字章

柏葉付騎士鉄十字章

騎士鉄十字章を受章した者でさらに戦功を立てた者は柏葉付騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)を受章した。柏葉章だけを手渡され、すでに授与された騎士鉄十字章の上部の吊り輪に柏葉章を加えて装着した[20]。柏葉は1813年に最初に鉄十字章を導入したプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻ルイーゼ王妃を記念したものとされる[20][21]。勲記については受章者と総統の名前の他、鷲章も赤茶色インクではなく金箔で書かれていた。フォルダの革は白色で金箔の鷲章がデザインされていた[22]

882名のドイツ軍人が受章している[2]。また、外国人受章者としてベルギーのレオン・ドグレル[20]、エストニアのアルフォンス・レバネ(ただし1945年5月8日付のため、大戦中の受章ではない)、ルーマニアのペトレ・ドゥミトレスクミハイ・ラスカルコルネリウ・テオドリニ、日本の古賀峯一[20]山本五十六、 スペインのアグスティン・ムニョス・グランデス、フィンランドのカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムの9名がいる。

この勲章まで受章したドイツ軍人として著名な者にはフリードリヒ・パウルス(陸軍元帥)、エルンスト・ブッシュ(陸軍元帥)、ヴィルヘルム・フォン・レープ(陸軍元帥)、フェードア・フォン・ボック(陸軍元帥)、ゲオルク・フォン・キュヒラー(陸軍元帥)、マクシミリアン・フォン・ヴァイクス(陸軍元帥)、ハインツ・グデーリアン(陸軍将軍)、ギュンター・フォン・クルーゲ(陸軍将軍)、アルフレート・ヨードル(陸軍将軍)、ヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ(陸軍将軍)、ウェルナー・ケンプフ(陸軍将軍)、カール・デーニッツ(海軍総司令官)、ギュンター・プリーン(Uボート艦長)、ヴァルター・クルピンスキー(空軍エースパイロット)、テオドール・ワイセンベルガー(空軍エースパイロット)、テオドール・アイケ(武装親衛隊将軍)、アルフレート・ヴェンネンベルク(警察将軍)、マティアス・クラインハイスターカンプ(武装親衛隊将軍)、オットー・スコルツェニー(武装親衛隊将校)、ブルーノ・シュトレッケンバッハ(武装親衛隊将軍)、ヨハネス・ミューレンカンプ(武装親衛隊将校)などがいる。

柏葉・剣付騎士鉄十字章

柏葉・剣付騎士鉄十字章

柏葉章受章者でさらに戦功をたてた者は剣付き柏葉・剣付騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern)を受章した。交差した二本の剣が入った柏葉章である。剣付き柏葉章の受章者は柏葉だけの柏葉章と取り替えて騎士鉄十字章の上部に装着した[22]。交差する剣は伝統的なデザインでありドイツの勲章にしばしばみられるものである[23]

剣付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、フォルダに金メッキ幾何学模様の縁飾りがついており、より豪華な雰囲気を漂わせていた[24]

剣付き柏葉章受章者は159名のドイツ軍人と1名の日本軍人(山本五十六)の計160名である[25]

この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者には、ヘルマン・ホト(陸軍将軍)、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン(陸軍元帥)、エヴァルト・フォン・クライスト(陸軍元帥)、ゲオルク=ハンス・ラインハルト(陸軍将軍)、ヘルムート・ヴァイトリング(陸軍将軍)、ゲルト・フォン・ルントシュテット(陸軍元帥)、ゴットハルト・ハインリツィ(陸軍将軍)、ヨハネス・ブラスコヴィッツ(陸軍将軍)、オットー・クレッチマー(海軍Uボート艦長)、エーリヒ・トップ(海軍Uボート艦長)、ゲルハルト・バルクホルン(空軍エースパイロット)、リヒャルト・ハイドリヒ(空軍降下猟兵指揮官)、ルートヴィッヒ・ハイルマン(空軍降下猟兵指揮官)、ローベルト・フォン・グライム(空軍元帥)、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン(空軍元帥)、カール=ロタール・シュルツ(空軍降下猟兵指揮官)、エーリッヒ・ルドルファー(空軍エースパイロット)、エリッヒ・ヴァルター(空軍降下猟兵指揮官)、オイゲン・マインドル(空軍降下猟兵指揮官)、ヘルマン・フェーゲライン(武装親衛隊将軍)、フェリックス・シュタイナー(武装親衛隊将軍)、パウル・ハウサー(武装親衛隊将軍)、クルト・マイヤー(武装親衛隊将軍)、ヴァルター・クリューガー(武装親衛隊将軍)、ヨアヒム・パイパー(武装親衛隊将校)、ヴィルヘルム・ビトリッヒ(武装親衛隊将軍)、ミハエル・ヴィットマン(武装親衛隊戦車兵)などがいる。

柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章

柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章

剣付き柏葉章受章者でさらに戦功を立てた者は柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub, Schwertern und Brillanten)を授与された。剣付柏葉にダイヤモンドがちりばめられており、背面から光が入ることでダイヤモンドの輝きが増すように、柏葉のダイヤモンドがはめ込まれた部分は穴が貫通していた。最初にメルダースガーランドが授与された物は剣と柏葉が柏葉章や剣付章と同様に製だったが、以降はプラチナ製となり、銀製の剣付き柏葉に人造ダイヤモンドを埋め込んだ物が普段着用するために与えられた[26][27][28]

柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の受章者は剣付き柏葉章受章のドイツ軍人のうちから27名の者である[29][30]。この等級から外国人受章者はいない。

柏葉・剣・ダイヤモンド付き柏葉章の勲記は内容はほぼ同じであるが、すべての文字が金箔で書かれており、またフォルダの皮の色は受章者の所属する軍に応じた色(陸軍・武装SSは赤茶色、海軍は青、空軍はブルーグレー)が使われており、表紙の国章の上にはダイヤモンドがちりばめられていた[31]

この勲章まで受章したドイツ軍人で著名な者にエルヴィン・ロンメル(陸軍元帥1943年3月11日)、ヒアツィント・シュトラハヴィッツ・フォン・グロース-ザウチェ=カムネッツ(陸軍将軍1944年4月14日)、ハンス=ヴァレンティーン・フーベ(陸軍将軍1944年4月20日)、ヴァルター・モーデル(陸軍元帥1944年8月17日)、ハッソ・フォン・マントイフェル(陸軍将軍1945年2月18日)、ヴォルフガング・リュート(海軍Uボート艦長1943年8月9日)、ヴェルナー・メルダース(空軍エースパイロット1941年7月15日)、アドルフ・ガーランド(空軍エースパイロット1942年1月28日)、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ(空軍エースパイロット1942年9月3日)、ヴァルター・ノヴォトニー(空軍エースパイロット1943年10月19日)アルベルト・ケッセルリンク(空軍元帥1944年7月19日)、エーリヒ・ハルトマン(空軍エースパイロット1944年8月25日)、ヘルベルト・オットー・ギレ(武装親衛隊将軍1944年4月19日)、ヨゼフ・ディートリヒ(武装親衛隊将軍1944年8月6日)などがいる。

金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章

金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章

全ドイツ軍でもっとも勇敢な軍人が12名のみが授与されると定められていた勲章[31][5]。12という数字はキリスト最後の晩餐に因むという[5]

柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章受章者のうちさらに戦功を立てた者が授与される。剣付き柏葉章が18金製で、50個ものダイヤモンドがちりばめられていた[31][30]

制定が1944年12月と戦争末期であったこともあり、実際に受章したのは急降下爆撃機のパイロットハンス・ウルリッヒ・ルーデル空軍大佐一人であった[30]。ルーデルへの受章はヒトラー自らの手で行われている[30]

なお、一説にはヒトラーが、功績を挙げすぎたルーデルに相応しい勲章が存在しなかったがために作った物だとも言われている。なお前述の12という数字に関しても、彼のような英雄が再び現れる事を願ってのことであるとも言われている。騎士鉄十字章の最高勲章であり、1939年鉄十字章全体でも最高勲章大鉄十字章(受章者はヘルマン・ゲーリング一人であった)に次ぐ勲章である。この勲章用の勲記は作られていないようである[32]

戦後の騎士鉄十字章

1957年の非ナチ化された騎士鉄十字章

戦後の非ナチ化に伴い、1957年に騎士鉄十字章も中央のハーケンクロイツを柏葉に置きかえた物が作られ、受章者のもっている騎士鉄十字章との交換が行われた。なお剣や柏葉章はそのままであった[17]

戦時中に作られた実物は破棄されたり、戦場で朽ちた物も多いが、現在の市場にも高値で出回っている。これは受章者本人かその遺族が売ったか、連合国兵士が記念品として略奪した物である[33]。勲章ディーラーのアンドレ・ヒュースケンによると市場に出回っている物、受章者本人・遺族がいまだに保持している物など含めて戦時中に作られた実物の総数は騎士鉄十字章が約2万個、柏葉章は約1800個、柏葉・剣章は約450個、柏葉・剣・ダイヤモンド章は約80個であるという[34]。しかしあくまで推定であって実際の残存数を正確に割り出すのは難しい[34]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 後藤(2000)、p.106
  2. ^ a b c 『欧州戦史シリーズVol.5 北アフリカ戦線』学研(1998)、p.107
  3. ^ a b c ウィリアムソン(1995)、p.9
  4. ^ a b ウィリアムソン(1995)、p.10
  5. ^ a b c d e f g 『欧州戦史シリーズVol.5 北アフリカ戦線』学研(1998)、p.106
  6. ^ 後藤(2000)、p.43
  7. ^ ウィリアムソン(1995)、p.5
  8. ^ a b ウィリアムソン(1995)、p.17
  9. ^ a b ウィリアムソン(1995)、p.19-20
  10. ^ ウィリアムソン(1995)、p.13
  11. ^ a b c ウィリアムソン(1995)、p.11
  12. ^ 山下(2011)、下巻p.118
  13. ^ 山下(2011)、下巻p.116, 122
  14. ^ ウィリアムソン(1995)、p.13-15
  15. ^ 山下(2011)、下巻p.116
  16. ^ ヴァッカー(2007)、p.289, 291
  17. ^ a b c ウィリアムソン(1995)、p.16
  18. ^ ウィリアムソン(1995)、p.31
  19. ^ 後藤(2000)、p.108
  20. ^ a b c d 後藤(2000)、p.110
  21. ^ ウィリアムソン(1995)、p.22
  22. ^ a b ウィリアムソン(1995)、p.25
  23. ^ 後藤(2000)、p.113
  24. ^ ウィリアムソン(1995)、p.26
  25. ^ ウィリアムソン(1995)、p.181
  26. ^ ウィリアムソン(1995)、p.27
  27. ^ 後藤(2000)、p.115
  28. ^ Dietrich Maerz (2007). The Knights Cross of the Iron Cross. B&D Publishing. ISBN 978-0-9797969-0-6.
  29. ^ ウィリアムソン(1995)、p.172
  30. ^ a b c d 後藤(2000)、p.117
  31. ^ a b c ウィリアムソン(1995)、p.28
  32. ^ ウィリアムソン(1995)、p.29
  33. ^ 山下(2011)、下巻p.122-123
  34. ^ a b 山下(2011)、下巻p.123

参考文献

  • アルブレヒト・ヴァッカー 著、中村康之 訳『最強の狙撃手』原書房エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4-562-04070-4 
  • ゴードン・ウィリアムソン 著、向井祐子 訳『鉄十字の騎士―騎士十字章の栄誉を担った勇者たち』文芸社エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4499226523 
  • 後藤譲治『ヒットラーと鉄十字章―シンボルによる民衆の煽動』文芸社エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4835504506 
  • 山下英一郎『制服の帝国 ナチスの群像 下巻』ホビージャパンエラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4798602042 
  • 『北アフリカ戦線』学研〈欧州戦史シリーズVol.5〉、 エラー: この日付はリンクしないでください。ISBN 978-4056017830 

関連項目