リヒャルト・ハイドリヒ

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Richard Heidrich
1896年7月27日 - 1947年12月22日
Bundesarchiv Bild 183-L19501, Richard Heidrich.jpg
生誕 Flagge Königreich Sachsen (1815-1918).svg ザクセン王国ラヴァルデ
軍歴 1914-18年(ドイツ帝国 陸軍)
1919-35年(ワイマール共和国 陸軍)
1935-38年(ドイツ陸軍)
1939-45年(ドイツ空軍)
最終階級 降下猟兵大将
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リヒャルト・ハイドリヒ(Richard Heidrich、1896年7月27日 - 1947年12月22日)は、第二次世界大戦時のドイツ空軍降下猟兵部隊の将軍である。

軍歴[編集]

リヒャルト・ハイドリヒは第1次世界大戦中は志願兵として戦い、士官となり一級鉄十字章を授かった。戦後、彼はワイマール共和国時代も陸軍に在籍し歩兵畑を歩んだ。

1938年、歩兵科の中でパラシュート部隊を編成し、少佐としてこれを指揮した。彼と部隊は1939年1月1日をもって空軍に編入された。未だ編成初期段階の降下猟兵部隊は第1降下猟兵連隊が2個大隊で編成されていた。ハイドリヒは第7航空師団へ異動になったが直ぐに空軍を離れ、第514歩兵連隊を指揮してフランス戦線で戦った。

1940年6月クルト・シュトゥデント将軍は何とかハイドリヒを空軍に復帰させることができ、ハイドリヒは後に彼自身が指揮してクレタ島の戦いで戦功を上げる第3降下猟兵連隊を編成した。

1942年11月東部戦線に配置された第1降下猟兵師団を指揮した。

連合国軍のイタリア本土上陸の後に第1降下猟兵師団は最も激しい戦い、特にモンテ・カッシーノの戦いに遭遇した。ハイドリヒ指揮下の師団の主要部隊はアンツィオの戦いにも参加した。第I降下猟兵軍団指揮の将軍としてハイドリヒはイタリア全土からの軍団の撤退を監督した。

ハイドリヒは1945年5月2日にアメリカ軍の捕虜となった後に英軍に引き渡された。1947年12月23日ハンブルク・ベルゲンドルフ(Bergedorf)の病院で死去した。

受勲[編集]

出典[編集]

  • Berger, Florian, Mit Eichenlaub und Schwertern. Die höchstdekorierten Soldaten des Zweiten Weltkrieges. Selbstverlag Florian Berger, 2006. ISBN 3-9501307-0-5.
  • Fellgiebel, Walther-Peer. Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Friedburg, Germany: Podzun-Pallas, 2000. ISBN 3-7909-0284-5.
  • Kurowski, Franz. Knights of the Wehrmacht Knight's Cross Holders of the Fallschirmjäger. Schiffer Military. ISBN 0-88740-749-8.