おせんころがし殺人事件

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おせんころがし殺人事件(おせんころがしさつじんじけん)は、1952年10月11日に「おせんころがし」という場所で起こった一家3人の殺人事件。また、この犯人の起こした合計8人の連続殺人事件の通称でもある。

[編集] 事件の概要

この事件の犯人・栗田源蔵(くりた げんぞう、1926年11月3日 - 1959年10月14日)は1948年にまず三角関係がこじれてしまった為に静岡県で両方の女性を殺害した。1951年8月8日栃木県で子供を寝かしつけようとしていた主婦を強姦しながら絞殺し、さらにそれから死姦した。さらに10月10日千葉県で家族を誘い出し、日付が変わり翌日深夜長男と長女を断崖絶壁の「おせんころがし」にて投げ落とした挙句、主婦を強姦し投げ落とし、次女も投げ落とした。被害者達は崖の途中に止まっていたが、犯人はそんな被害者達を石で殴打し殺害した。長女だけは軽傷で隠れていたため奇跡的に生き延びる事ができた。1952年1月13日、千葉県剣見川町(現在の千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺され、主婦は死姦された。この際指紋が検出され、これにより犯人が割り出され逮捕された。

まず、1952年1月13日の事件で千葉地裁1952年8月13日死刑判決。1953年12月21日宇都宮地裁で他の件に関して死刑判決。控訴は取り下げたものの、判決後は衰弱がひどく、再審を繰り返す。1959年10月14日に死刑は執行された。一審で二つの死刑判決を受けた初の例でもあり、後に警察庁広域重要指定事件113号が起こるまでは、この例は裁判例としては死刑を二つ宣告された唯一の例だった[1]。また、1956年に死刑を廃止か存続かの問題で国会で論争になった際には、死刑存置論者に「凶悪無比な特殊な極悪人」として矛先に挙げられた。

本人は「懺悔録」という手記を書いている。曰く、「女と寝る時は叩いたり、締めたりすると、とてもいいぞ」と9歳の頃老人に言われたとの事である。本人はこの書物を売ろうとしたが断られてしまった。

あまりにも残虐な事件であるため、死刑賛成派が死刑反対派に対して、「世の中には矯正不可能な犯罪者が存在する」として、死刑制度を存続させる根拠として取り上げられることがある。

[編集] 脚注

  1. ^ 1965年3月には前橋地裁1976年2月には松山地裁で、一人の被告人に対し、二つの死刑判決が宣告された例があるが、控訴審で前者は無期懲役に、後者は一つの殺人について無期懲役に減軽されている。松山の例は残る一つの殺人については死刑が確定し、すでに執行されている。

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