山室耕

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やまむろ こう
山室 耕
本名 西森 高茂 (にしもり たかしげ)
別名義 村上 英二 (むらかみ えいじ)
光 一 (ひかり はじめ)
生年月日 (1907-12-17) 1907年12月17日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 高知県高知市
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1927年 - 1961年
主な作品
忠次旅日記 御用篇
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山室 耕(やまむろ こう、1907年12月17日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3]。本名は西森 高茂(にしもり たかしげ)[1][2][3]。旧芸名は村上 英二(むらかみ えいじ)[1][2]光 一(ひかり はじめ)[2]

来歴・人物[編集]

1907年(明治40年)12月17日高知県高知市に生まれる[1][2][3]。高知城東商業学校(現在の高知中学校・高等学校)を卒業[1]

1927年(昭和2年)、村上英二という芸名で日活大将軍撮影所(後に日活京都撮影所日活太秦撮影所)に入社[1][2]。一時期、本名の西森高茂名義で活動した時期もある[2]1933年(昭和8年)には日活多摩川撮影所現代劇に移籍[1][2]。後に芸名も光一と改名して、1936年(昭和11年)公開の内田吐夢監督映画『人生劇場 青春篇』などに出演。1937年(昭和12年)、東宝に移り、黒澤明監督映画『姿三四郎』などの作品に出演し、戦争末期まで活躍する[1][2]

戦後は新東宝に移籍し、芸名も山室耕と改名して多くの作品に助演する[1][2]。後にフリーとなり、東宝東映の作品にも出演した[1][2]。ところが、1956年(昭和31年)に公開された渡辺邦男監督映画『勤王? 佐幕? 女人曼陀羅』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2]没年不詳

日活データベースにおいて、実際に出演した作品と未出演作品の混同がみられる。

芸名[編集]

出演作品[編集]

初期[編集]

全てサイレント映画、全て「村上英二」名義である。

日活太秦撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てサイレント映画、特筆以外は全て「西森高茂」名義である。

日活多摩川撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活多摩川撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てトーキー、全て「光一」名義である。

東宝映画東京撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「東宝映画東京撮影所」、配給は「東宝映画」、以降全てトーキー、全て「光一」名義である。

東宝映画[編集]

特筆以外、全て製作・配給は「東宝映画」、特筆以外は全て「光一」名義である。

東宝[編集]

特筆以外、全て製作・配給は「東宝」、全て「光一」名義である。

新東宝[編集]

特筆以外、全て製作・配給は「新東宝」、以降全て「山室耕」名義である。

フリーランス[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b トーキー。
  2. ^ a b サイレント映画。
  3. ^ 「山室耕」名義。1952年(昭和27年)に配布された「東宝映画宣傳資料」キャスト欄では光一と記載されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、614頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画人改名・改称事典』国書刊行会、2004年。
  3. ^ a b c 『日本人物レファレンス事典 芸能篇1 (映画・演劇・タレント)』日外アソシエーツ、2014年、688頁。 
  4. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

外部リンク[編集]