実験ノート

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実験ノート
グラハムベル(1876年)の実験ノート。
オット・ハーン(1938年)の実験ノート。

実験ノート(じっけんノート)とは、実験を行う者が、「どのような実験を行ったときどのような結果が得られた」といった実験の一次的データ記録や、場合によっては「研究の過程での議論」、「データの一次的な解析計算等)」「実験及び解析中などに思いついた事柄」等実験に関わる様々な事柄を記録、処理するためのノートブックあるいは、それに類する記録媒体である。

概要と求められる特性・要件[編集]

実験ノート(じっけんノート)とは、実験を行う者が、「どのような実験を行ったときどのような結果が得られた」といった実験の一次的データ記録や、場合によっては「研究の過程での議論」、「データの一次的な解析計算等)」「実験及び解析中などに思いついた事柄」等実験に関わる様々な事柄を記録、処理するためのノートブックあるいは、それに類する記録媒体である[1][2][3][4][5][6] [7]。 実験ノートは実験を行う研究者にとって必帯のものであり、実験に関する記録の中では最も重要なものである。

実験ノートを取る第一の直接的な目的は、実験の記録、手順を残すことである。これによって実験中及び事後検討を付け加えたり、整理する事が出来る。実験を行ってる内、自分の目的や手順を見失うこと、また、予期せぬ現象が起こったりすること、実験中にで何らかの戦略変更、判断を迫られることがある。このような場合にも、目的、手順の再確認、思考行動の補助及び事後分析に役立つ。

一般的に、実験ノートに求められる性質・要件としては例えば下記のことがある[8][9][10][11][7] [12][13]

網羅性 実験の再現等のために、必要な事柄が全て正確に書かれていること、あるいは一定水準の力量が、適切な努力(背景知識の参酌を含め)をすれば実験を再現できるだけの情報がかかれていること
ログとしての機能 実験中の操作がのログとして機能すること。いつ、何に対し、どのような操作をどのような順序で行ったかが判ること
検索性
アクセス性
①必要なときに必要な情報が速やかかつ正確に読みだせること
文書の所在が分かり、検索・呈示ができること
③業務活動の関連の中で文書の所在が確認できること
可読性 一定水準の力量がある他の人が見て判読可能であること
保存性 ①長期の保存が可能であること
②経年変化/部品改廃(ソフトウェアの廃止等)等により情報の読み出しが出来なくならないこと。
書きやすさ 記録する行為が、思考や実験を妨げないこと
実証性 証拠としての価値があること
状況の可視化 ①実験データの特徴や傾向が一目でわかること
②研究の進行状況(研究スケジュールとのずれ、試薬などの在庫状況等)が一目でわかること
③予想(仮説等)とのずれが一目でわかること
アクセス権の適切な設定 企業秘密、被験者のプライバシーが漏洩しないような管理ができること
ワーキングメモリとしての機能 実験中の判断、データの処理などの思考を助けること

実験ノートに相当する信頼できる記録を残さずに実験を行うことは、趣味のレベルの実験を除き論外である。各研究者や研究グループでは、よりよい実験ノートを作るために色々な工夫を重ねている[3]

実験ノートの形態、とり方などは、研究者、研究グループの信条や伝統、性格、受けてきた教育の影響等が強く現れ、そのとり方に「唯一」といえる「正解」はないと考えられている[10][14]しかし、実験ノートを取る目的を考えると、「個性を出す」こと自体には全く意味がない[10]

実験ノートには通常、「製本されたノート」を用いることが多いが、最近では、「データーシート形式」や、「電子実験ノート」を用いる研究者もいる。通常は「1研究者1ノート」を基本とするが、複数の研究者が交代、分担して1つの研究を行うケースについてはテーマごとに1冊という体制となることがある。また、通常の実験ノートに加え、危険物や危険な装置、故障しやすい装置に対してその管理状況を記述するための専用ノートを用意するケースもある。概して実験ノートの具体的な実施方法は多様化しており、分野や実験環境により多様化せざる得ない状況がある[14]

実験ノートと同様の性格を持つ物として、医師が患者の病態や治療歴を記録するためのカルテや各種の観察ノート、航海日誌等がある。実験ノートには、「記録をしながら物事を考える、計画を適宜修正する」、「記録に基づいて物事を考える」ということのための補助ツールとしての役割もある。その意味で、営業職が用いる手帳メモ帳とも共通した役割を持っている。

また、最近では、知的財産権等の法的な問題との兼ね合いが問題となってきている[15]。また、捏造や剽窃等科学倫理に関する疑惑が生じた場合にはしばし実験ノートの話題がメディア等を含め広く話題となる[2][16][17]

実験ノートの書式・構成[編集]

大雑把に分類すると、実験ノートの書式には、大きく2種類のスタイルが存在する。

ラボノート 論文のようにIMRAD形式で書かれるスタイル。
ログブック 実験中に起こった事柄を、起こった順に随時記載していくスタイル。

ただし、詳細には実験ノートの書式・構成については、各研究者の個性が見られ、必ずしも全員に共通するフォーマットがある訳ではない。この事実は、実験レポートや研究論文の殆ど全てがIMRAD型をしている点と対照的である。また、特に日本では実験ノートの書式・構成を研究者各自に委ねるということが多く、各自で工夫を重ねていることが多い。

九州大学生体防御医学研究所教授中山敬一は本記事で言うところの「ラボノート」のスタイル、つまりIMRAD型の構成を推奨している。具体的には

  1. タイトル
  2. 日付
  3. 実験目的
  4. 材料・方法
  5. 実際に行った手技
  6. 結果
  7. 考察

からなる構成を推奨している。中山敬一教授はこのような実験ノートの取り方を行うことによって、「目的を明らかにして、しっかりと結果を記載し、それに対していろいろと考察をしてみることが出来、科学的な思考能力が鍛えられる」と述べている[1][2]。このように、「ラボノート」スタイルを用いると、「何を目的とし、何を得たのか」が明確になる。

一方で、ラボノートのスタイルでは、目的が漠然としている場合には困難が生じる場合がある。明確な実験目的の根底には、「検証に値するモデル」や、何が立証/反証となるかが明確化された明確な予想があるが、そのようなものが明確化しにくいケースの例としては、装置の故障の切り分け実験や、後に行うより精密な実験の事前評価のための予備実験などがあり、これらのケースでは、特に予想した範囲内を大きく逸脱した現象も視野にいれ、その場で随時予想や目的を修正しながら実験をしていく必要性が生じる。そのため、実験ノートには実験データや計算を雑然と「起こったことを起こった順に」書いていくにとどめた方がよいと考える研究者もある。

いずれにせよ、両方に一長一短があるため、研究者によっては、これらの2種類を用意し、実験中は「ログブック」スタイルを用い、実験終了後直ちに頭の整理、データの整理のために「ラボノート」スタイルのノートの記載を開始することを推奨している[18]

実験ノートの運用[編集]

相次ぐ研究不正疑惑や、特許紛争等を受け、最近では特に科学倫理や知的財産権の専門家から、細部にいたるまで厳格な実験ノートの取り方が要求されることもある[19][7]。科学倫理や知的財産権の専門家らの指摘は概して以下のような内容を含んでいる[19][20]

  1. 実験の再現に必要な情報はすべて書く
  2. 実験中や前後に起こったことは全部書く
  3. 電子データは全部プリントアウトしてノートに貼り付ける。あるいは、全部のリンクを貼る
  4. 実験を行ったその場で記載する。(別紙にメモを取って後で転記してはならない)
  5. すきまなく、行間なく記載すること。余白にはバツ印を記載すること
  6. ボールペンで記載すること。修正履歴が残るように記載すること。
  7. 時系列を順守して記載すること
  8. 1つの実験が多数の箇所に分断されないように記載すること
  9. 他人が見て分かるように記載すること
  10. 製本されたノートを使用すること
  11. こまめに第三者(弁理士公証人TLO職員等)のチェックを受けること。

特に最近では、大学や研究機関レベルで指針や規則を定めることが多くなってきているが、さらには国家レベルでの実験ノート向上政策がとられることもある。例えば研究不正の相次いだ韓国では、国家レベルで実験ノートに関する指針を定め(2010年8月 韓国大統領令22328号 "国家研究開発事業の管理などに関する規定",他)韓国特許庁傘下に研究ノート拡散支援本部を設立し、国主導で実験ノートのありかたの改革・指導、普及補助を推進している[21][22]。国際規格等種々の規格/規制への対応においても、QMSGMP,GLPに関する諸企画に適合するうえで実験ノートの適正な管理・運用が必要となる場合もあり得る [23] [24] [25]。日本においても、ガイドラインではあるものの、文部科学省の研究不正防止ガイドラインでは適正な実験ノートの管理が求められている[12]

しかしながら、あまりに細部に至った厳格なルールづけに関しては、実現性や運用面において疑問の声もある[14]

例えば共同通信社の取材によると、理研のある研究者は「電子データが増えて、全てをノートに書くのは現実的でない」[14]と述べている。実際、速記[26]から推算するに、特殊な速記文字でも使わない限り人間の筆記速度はせいぜい100文字/分程度であり、高度に機械化した現在の実験環境においては、場合によっては筆記速度が追い付かない(追い付いたとして後で判読するのが困難)な状況になり得る場合があることは容易に想到出来る。さらに、リファレンスデータを含む膨大なデータ(しかも2次元グラフでは表現できない場合もある)が膨大な量機械から吐き出される分野もあり、実験ノートにすべてのデータを貼り付けることが必ずしも効率的とは言い難い場合もある。また、プロの研究者は複数の実験、複数の研究パラレルに進行するため、「時系列を順守して記載すること」「1つの実験が多数の箇所に分断されないように記載すること」の両立は困難な場合もある。また、情報系の一部の分野ようにほとんどすべてがコンピューター内で実験されるような場合には、実験ノートよりもソースコードや計算結果が重視され、実験ノートの文化があまりない場合もある[14]

また、特定の実験室には、実験ノートを持ち込むこと自体が難しい場合もある。例えばバイオハザードレベルの高い部屋、放射線管理区域等のように 汚染された環境に、実験ノートを持ち込んだ場合実験ノートが汚染される、最悪の場合廃棄処理をせざる得なくなる場合があるため、安易に実験ノートを持ち込むことが望ましくない場合がある。実際、キュリー夫人の実験ノートは人類の貴重な知的資産であり将来にわたって保存していくべきものであるが、2005年現在でも管理に注意が必要なレベルで放射能汚染が見られる[27] 。あるいは、クリーンルーム無菌室のように清浄度に関して特段の注意が必要な環境では、実験ノート自体が実験室の汚染原因 となるリスクがあるため、特別な種類の実験ノートが必要であったり、適宜ホルマリン燻蒸等の処理をして持ち込む必要がある場合もある。

また、「実験を再現するに必要な情報をすべて書く」ということも、文字通りの意味で言うならば実のところいくつかの側面から難しい。実際、職人的な手技等、明文化が困難なノウハウや注意点加減やコツのようなもの-例えば卵焼きを作る場合に「卵2個につき、砂糖18g」のような「実験条件」と、作業の順番を適切に書いていくことは可能であるが、それだけでおいしい卵焼きが誰にでも作れるとは限らない-が存在しえる。まして高度な実験となれば考慮すべき因子は極めて膨大であり、極めて高度な手技を要求される箇所も存在する(手順書があっても、経験豊富な研究者でもできる人とそうでない人が存在する)箇所も多数考えられる。定量的な測定が困難なパラメータが-「強火で2~3分。きつね色になるまで」のように-主観の入った曖昧な書き方になる場合もある。さらに、機材(上記の例ではフライパン、ガスレンジ等)の機差の装置間差や、材料(この場合は例えば 卵、砂糖)のロット差の問題)等の問題もある。無論、単に、手順やパラメータが多いだけならば標準作業手順書(SOP)やプロトコールを 別途作成し、あるいはテストケース表(例えば実験計画法でいうところの直交表)やテストシナリオを別途作成し、それを適宜参照する-上記の例において砂糖の量を振るとすれば「卵2個につき、砂糖XXg」のように実際に条件を振ったところは詳細に書き、あとは「資料○○の△ページに記載の通り」等と書く。-ことで解決する場合もある。

また、現実には実験ノートを取りながら実験をするという行為は案外難しく、訓練の必要な行為であり[3]、厳しい競争を勝ち抜き一流の研究機関で研究室を任されているものであっても、「未熟」と断じられるような実験ノートしか取れないと断じられる場合もある[2]

「ある者はすべてをビデオに録画すればよい」等と言い、実際一部のセルプロセッシングセンター等ではそのようなことが出来るシステムを完備しているが、動画の頭だしや機械操作とのリンクづけは意外にも面倒であり、動画の容量は大きいため特段人命にかかわるような研究でもない限りコスト的に困難がある。

さらに、第三者認証は国内でも一部の機関では実施されている[28]が、認証をおこなう人材を雇用する必要が生じるなど、一般的な研究機関では予算的に困難な側面もある。

このような運用上の困難がいくつもあるが、この点に関して埼玉医科大学の岡崎康司教授は以下のように述べている。「ノートだけで記録しきれない情報は多いが、個々人に方法を任せている現状が問題を引き起こしている」[14]「誰もが実験を再現できるような、研究内容をいつでも確認できるような厳格なノートの書き方を理解した上で、現場のニーズに合わせて運用するのが良い」[14]つまり、運用の支障とならないよう注意しながらも、実験ノートの要件定義と、最低限守るべきことを明確にしたうえで、自分勝手な方法ではなく周囲や第三者の了承を得ながら実験ノートを作成/運用することが求められる。

“ワーキングメモリ”としての実験ノート[編集]

多くの場合において、実験ノートは、単なる記録媒体としての役割の他に、実験者のワーキングメモリ計算帳あるいはTODOリストとしての役割も担う[8]

実験は通常、考えながら行わなければならない。「考えながら」とは、具体的には、適宜得られたデータをグラフなどにまとめることで随時分析し、

  1. 「本来同じデータが得られるはずの実験が再現しているか」(単にデータの羅列のみでは、誤差の影響などで再現しているか否かが分からない可能性がある)
  2. 「何か異常な点はないか」(異常な点は必ずしも誤りではなく、発見に繋がる可能性がある)
  3. 「計測機器の設定は最適か」
  4. 「その他何か問題点などがないか」

などを把握し、その実験の対処、軌道修正案をすぐさま立案、実験にフィードバックすることである。これらのことを全て頭の中で処理することは余程の天才を除いて不可能であり、通常は、実験ノートなど、ワーキングメモリ計算帳の役割を担う何かの助けを受ける必要がある。

尤も実験の初心者にあっては(場合によってはベテランですら)、つい、「実験中はとにかくデータを取って後から整理すればよい」と考えがちである。実際には、「考えながら実験を行うこと」どころか場合によっては「記録をとりながら」実験を行うことすら、そう易しいことではない。しかし、後でやり直すという姿勢では、実験そのものの問題点に気付くのが遅れ、貴重な時間を無駄にしたり、ある兆候に気付いた後には条件が変わっていて発見を逃す原因にもなりかねない。

また、実験中等に思い付いたアイデアを記録しておくものもいる。これらの記録は、ワーキングメモリ計算帳あるいはTODOリストとしての記録等とともに、特に「アイデアレベルのプライオリティー」の証拠となることもある。

無論、研究者/教師によっては、実験ノートをワーキングメモリとして使う考え方を好まず、実験データ以外は書かない方がよいと考えている場合もある。また、初心者向けの注意ではあるが、「どこまでが一次的な記録であるのか、どこからが、それに基づいた”計算/簡易解析”なのか」をハッキリと区別するべきである。大学によっては、学生実験の指導書において、「実験の記録は左側のページに、計算/簡易解析などは右のページに」などと指導している場合がある。

実験ノートを作成する上での注意[編集]

実験の記録にあたっては、可能な限り「定量的」かつその「正確さの評価」「時間的な変化」、「具体的な操作」が分かるように書くことが望ましい。例えば、「青いリトマス紙に酢をたらしたら、赤くなった」という話であっても可能な限り記載できる情報は記載し「たて1cm、横3cmの端にガラス棒で濃度X%の食用酢(○○(商品名)を何倍希釈)を1滴垂らしたら、染み込んだ箇所が直ちに赤くなった」といった具合の情報を含むようにするべきである。ただし、「詳しく書くということ(網羅性)」と、「書くことが実験や思考を妨げないようにすること(書きやすさ)」、場合によっては「検索性」、「視認性」は矛盾するため、必ずしも、「縦1cm、横3cmの端にガラス棒で濃度X%の食用酢を1滴垂らしたら、染み込んだ箇所が直ちに赤くなった」という書き方自体が記載の仕方として最善とは限らず、総合的に判断が必要である。例えば、「略記」や、「テンプレートのようなものを予めノートに書いておくこと」、場合によっては、「研究目的に照らして自明である部分の省略」などはよく行われ、悪いことではない。

「何をどのようにしたら」であるとか「なにがどのようになった」というのは、つまるところ前者は設定値、後者は測定値であり、突き詰めればそれらは何らかの物理量であるはずである。従って、単位が付けられるものについては必ず単位を付けなければならない。

可能な限り生の情報を書き込むよう努めねばならない。最近の計測機器は、温度計ならば35.6℃のように直接温度を表示するなど、知りたい値を自動的に表示してくれることも多いが、通常は、何らかの特性を持つ物質や素子(温度変化によって体積が変化をする物質等)をセンサーとして、温度を測りたい場合でも、まずは水銀柱の体積を測定するという場合が多い。このような場合は、暗算電卓で校正した値以外に、直接的なセンサーの出力値と、校正に用いた感度係数の両方を控えておくことが望ましい。

計測機器が打ち出したデータを筆写する行為や、まして実験ノートを「綺麗にする」ために、データを別の紙片に記録しておき後で写し取る行為は禁止され、そうした場合は、これらを実験ノートに直ちに糊付けするものとされる。しかし、一次記録である実験ノートを保存した上で、「実験ノートのどこに何が書いてあるのか」等を要約、整理する二次的記録をおくことは支障ないあるいは推奨されることとされる。ただし、二次的記録物はあくまで便宜上のものにすぎない。

計測機器の表示の読みの、書き漏らしや入れ替わり(対応関係のずれ)を阻止するために、予めを作っておくことは寧ろ推奨されることである。また、記録に支障をきたさぬ限り、随時グラフ化するなどの簡易的な解析を行うことも、推奨されることが多い。ただし、「簡易的な解析」(グラフ等)のみ行い、生のデータを書き残さない/書き忘れる行為は望ましくない。まして、測定値を読み取るあるいは、書き込む段階で、何らかの観測者バイアスをかける行為、つまり「都合のよい読み、記録」を行う行為は論外である。”おかしい”と思われる値をその場で棄却して記録しない行為(は、実験終了後にしかるべき検討の上、棄却の証拠がのこるようにした上で行うことは、場合によっては寧ろ正しい場合もあるがこれ)も論外である。棄却するべきか否かは、後に検討すべきことである。

実験ノートの記録後で修正を行う行為自体は問題ないが、修正履歴を抹消することは望ましくなく、修正した履歴が嫌でも残る方法で記録することが望まれる。有機溶剤を使う等の特別な場合を除き、鉛筆シャープペンシルでの記録は望ましくないとされ、誤りがあっても消しゴムを用いることは厳禁とされることが多い(通常は二重線で消す)。

実験ノートに書かれなければならない事柄と優先順位[編集]

実験ノートは、実験中に起こったことを記録する媒体のなかで最も重要である。そのため、何にもまして細大漏らさずありとあらゆる事柄が網羅的に書かれ、「使用する装置・材料・試料などを、いつ、どこでだれがどのように(どのような手順で)扱ったらいつどこでなにがどのようになったのかがわかる」ように記録しておかねばならないとされる。上記7項目の内の網羅性が、最も重要であることに疑問をもつものはいないであろう。

しかしながら、「何でも書く」ということを考える際に人間の文字を書く速度の上限等の運用面の問題があることも事実である。人間の文字を書く速度について簡単にオーダーエスティメートしてみる。速記技能検定6級は80字/分、速記技能検定1級の場合は320字/分である(このレベルの場合は、特殊な速記文字を用いねば無理である)ことから、普通の人間の筆記速度の上限はせいぜい100文字/分程度である。

さらに、実験のフェーズによっては、短い時間に洪水のように実験データが吐き出され、場合によっては、複数の装置を、瞬時に判断を下しながら最適に操作する必要がある。このような状況においては、あせって/欲張ってなんでもかんでも記録しようとするとかえって重要な記録ができなくなってしまったり、データ、設定値の間の対応関係が分からなくなってしまったり、場合によっては操作に支障をきたす可能性が生じる場合がある[注 1]。だからといっていちいち装置を改善していたらかえって泥沼に陥る可能性がある。

これらの話から、実験の手順や目的をあらかじめプロトコールなどにまとめておくことに加え、実験前に実験ノートの取り方を十分イメージ、トレーニングしておかねばいけないことが示唆される。つまり、どういうペース、どういう段取り、どういう息遣いで記述を進めるのかや、研究目的や実験の内容に照らしてどのような優先順位をつけるかを検討する必要がある[29]優先順位は、概して

  • 欠いてしまっては実験の解釈や、再現に重大な支障を来たし実験の価値そのものがなくなるデータ
  • 欠いてしまっては実験の解釈や、再現に若干の支障が出るが、なかったとしても他のデータや理論から推測/復元可能であるデータ(エラーチェックができなくなる等)
  • 欠いてしまっても実験の解釈や、再現に支障が出るというほどではないが、主張出来る内容の豊饒性や実験データとしての価値が下がるデータ
  • その他

である。優先順位を決める上ではこれまでの自分の失敗を含む経験を勘案することが有益である。失敗経験とは、「どこでノートをとりきれなくなったのか?」「どこでパニックを起こしてしまい、記録が役に立たないものになってしまったのか?」などの初歩的な内容も「己を知る」という意味で重要であるが、実験ノートに基づいて、何らかの自己完結を行う場合に生じる「これを取っておけばよかった!!」、「何かが取れた気になったが、これがないから何もできやしない」という後悔を整理することがより大事である。

実験ノートに基づいて、論文なり報告書なりを組み立てようと試みた場合に、初心者にあってはまず、記録の漏れが多いことに気付くだろう。このような経験を、実際の記録の仕方にフィードバックすることも重要である。フィードフォワード的な対応としては、測定、設定する物理量同士の関係を知っておくことや、測定、設定する物理量の傾向、出力形式(数値で表されるのかグラフで表示されるのか等)を知っておくことが必要である。例えばある実験において設定値「a, b, c, d, e」から測定値「A, B, C, D, E, F, G」が得られたとしよう。このとき、

  • 「AとBは完全に独立で設定値のと関係が自明でない」
  • 「CはAとBから推測出来る」
  • 「Dは測定によらずおおむね一定であり」
  • 「E測定対象に依存するが、いつも理論値と大して変わらない」
  • 「Fは設定値a,bの既知の関数で表される」
  • 「Gは設定値cの既知の関数で表されるが、今回の実験目的に照らしてはどうでもよいパラメータである」
  • 「設定値cは測定値Gにしか影響しないことが分かっているあるいはほぼ自明である」
  • 「設定値dはどのように設定しても測定値には一切影響しないことが分かっているあるいはほぼ自明である」
  • 「設定値eはほとんど動かさない」

ことが分かっていた場合にも、全ての設定値、測定値を残しておくことが理想だが、優先順位としてはa, b, A, Bが同格、その次がe, Eの順に続き、他はさほど優先順位が高くない。

実験ノートに書かれるべき事柄は実験目的、実験の性質に依存するが、概していえば日付、ノート番号、研究の目的、プロジェクト番号、研究課題(もしくは標題)、仮説、実験データ:目的・計画・手順や行程・使用する装置や材料・試料等・実験結果、考案、その他アイデアなどで、これらをその性質に注目して分類すると

環境データ 実験を行った場所の周辺環境等実験の本質(再現等)とはあまり関係がないと思われるが、念のために記録を行っておく事柄を記載する。実験者氏名、共同研究者氏名、実験室の気温、湿度、実験を行った地域の天候など。
観察記録、設定値 実験装置の設定値などのように、実験の再現に必要なパラメータ及び、実験の結果得られたデータ等
実験の流れを示す事柄 記載された事柄が何にあたるのかのメモ、研究目的等
外乱
計算、簡易解析等
ノートの管理に用いる情報

となる。ここで、「実験に関わるある事柄とは何か」という問題は、本来的には非常に難しく、「関係/無関係」を判定することは容易でない。また、記録できる事柄には限りがあることも事実であり、優先順位の低い項目については記載しないあるいは意識すらしない/出来ないことも事実である。「何が必要なことなのか」、「どこまで記録すべきなのか」は一概にはいえない。何が重要であるのか、何を優先して記載すべきなのかは、「実験内容」、「実験目的」等に依存する問題である。

「どのようなことを記載すべきなのか/しなくてもよいのか」の判断は熟練した研究者にとってさえ難しいことがあり、最先端の研究現場においては「何が実験に関係有り、何が無関係なのかはっきりとは分からない」ということもありえる(だからこそ、実験、記録が必要)。極めて高感度な実験を行おうとする場合には、実際には環境統制が不十分なことがある[注 2]。例えば除振が不十分な環境下で数Åレベルあるいはそれ以下の長さを測定するケースでは「地球の裏側で起こった地震や核実験」などは無視できないかもしれない。逆に、測定感度に対して充分な環境統制が行われていることがハッキリしていて、装置の特性がほとんど完全に分かっている装置を使うケースでは、測定日の天気などを記録しておく必要が(記録の信憑性を高めるための研究者以外の人間によるサインやスタンプなどと類似した意味以外の理由で)果たして必要かは疑問となる。研究者の多くは、「どのようなことを記載するのか/しないのか」を事前によく検討した上で実験を行っている。また、毎回の実験に対する反省から、適宜、「どのようなことを記載するのか/しないのか」を変更しながら実験を行っている。

科学史に見る実験ノート[編集]

優れた実験家は、優れた実験ノートを残している。例えばマイケル・ファラデートーマス・エジソンロバート・ミリカン等の優れた実験家のノートは、科学史科学哲学等において貴重な歴史資料となる[30][31][32][33]

実験ノートの記録からは様々なことが分かる。例えば電気素量を測定したロバート・ミリカンの実験ノートに対して、現代の物理学者と科学哲学者による調査が行われた結果、ミリカンの得た結論は否定できなかったが、ばらついた測定データを意図的に除去していたことが判明している。ただし、この時代においては、そういう事例は多々あったともされる。一方で緻密な実験ノートで有名なファラデーにあっては、重力-電磁気力変換等、大統一論の思想的な根源といえなくはないものの、いわゆるトンデモの人たちが考えそうな事柄に”挑戦”していた事実が判明している。

なお、実験ノートの良し悪しは、研究者としての能力を如実に反映するものとも考えられるが、優れた研究者間であっても実際の実験ノートの書き方の具体的なレベルでは、各人の個性が見られる。必ずしも全員に共通するフォーマットがある訳ではない。この事実は、実験レポートや研究論文の殆ど全てがIMRAD型をしている点と対照的である。

学校教育における実験ノート指導[編集]

実験ノートの取り方については、大学の学生実験や、中学高校の理科の時間に指導されることが多い。[要出典]こうした入門過程では、「実験レポート等の二次的な記録と「実験ノートの違い」を徹底して教えることが大半である。また、ここでは伝統的な「製本されたノート」を基本としている場合が多い。各大学の学生実験の手引書には、実験ノートの書き方に関する指針が書かれていることも多いが、その具体的な書き方については実際のところは(特に大学や高専では)各自に委ねることが多く、最低限必須な事柄(日付、時間等)と、基本的な精神のみを教えるだけで、特定のフォーマットを押し付ける指導はあまりなされない。また、実験中、実験結果報告時に適宜発問し、答えられなければメモの取り方の改善を促すといった対症療法的指導がなされる。これは、自らの創意工夫を重んじる姿勢である。

最近では、中高生にあっては、白紙や罫線のみ与えられた実験ノートだけでは何を記録してよいか分からない場合が多いため、実験データをプリントの指定された場所に記録していくなどの工夫がとられるケースがあり、殆どの理科検定教科書には、それに対応した実験用のプリントが、教科書の出版社によって用意されている。出版社によってはそれらをダウンロードすることが出来るようにしていることもある[注 3]。もちろん教師学校内で工夫した教材を使っているケースもある。製本されたノート形式以外は認めない教師もいる。中高生の理科の実験においては、実験ノートの社会的な意義、つまり「法的な意味も含めた証拠物件としての役割」はあまり重視されていず、「記録をしながら実験を行う」、「本来的に記録するべきことは何かを理解させる」ということに重きが置かれる。従って、講義ノートと未分化の場合がある。つまりノート形式の場合は、講義ノートと同じノートに実験の記録を行い、プリント形式の場合は、他の補助教材と同様にファイルするか、ゲージパンチ(26・30穴)で穴を開けルーズリーフの一部として保存する生徒が殆どである。中学、高校には、生物部や、物理部のような理科系の部活動等がある場合があるが、そういった場でも実験ノートの指導が行われる。そこでは、より研究者に近い実験ノートの取り方が指導されることが多い。大学における物理学研究会などでは、殆どが先輩が後輩に実験ノートの取り方を教える等学生間の相互の教え合いのみで顧問の教員は学生の自主性に委ねる形を取るのに対し、中高では、教師が積極的に関与することも多い。

実験ノートの取り方の指導は、卒業研究や、大学院における研究活動、場合によっては、大学の教職員間(ポスドク助教等に教授が指導する等)、研究機関民間企業R&D部門でも適宜行われるが、通常は系統だった指導ではなく、実験中、実験結果報告時に適宜発問し、答えられなければメモの取り方の改善を促すといった対症療法的指導が主である。また、このレベルにおいては、指導を受ける/行うというよりも対等な立場での意見交換が中心となり、スタッフミーティングのような公式な場から、昼食/夕食時、飲み会等の雑談等に至るまで様々な場所で実験ノートの話題が出ることがある。

実験ノートの電子化[編集]

最近では、電子式の実験ノートを使う研究者も増えてきている。検索性(検索の容易さ)では電子式が圧倒的に勝るものの、証拠能力やとっさの記録への対応などの点において疑問視する声も根強くある[34]。一方で計測機器の電子化や、研究プロジェクトの巨大化に伴い、特にデータの一元的な管理という観点から、従来の「紙ベースの記録」をそのまま用いることに難点が生じてきている。実験ノートの電子化については、「何をもって最も権威ある記録とするか」という観点から科学哲学の根幹にかかわる問題を含んでいる。しかし、ここでは最近の電子実験ノートに関する動向をまとめる。

電子式の実験ノートの最大の利点は、その検索性にある。例えば、物質・材料研究機構轟眞市らは、計測機器の電子化に伴い、従来の紙ベースの実験ノートを使い続ければ「必然的に『計測機器が出力したデータ』と『紙ベースの記録』とにデータが散逸する」ことになり、「情報の整理、実験結果の解析、記録に基づいた実験へのフィードバックなど」に支障が出ることを指摘している[11]。また、それらの状況を改善するために、「ブログベースの実験ノート」を提案している。これは、轟ら独自の電子実験ノート形式である。轟らは、「ブログベースの実験ノート」を、ApachetDiary等を用いて構築し、4年以上その使用を実践している。轟らの「ブログベースの実験ノート」におけるブログとは、実際にはWikiに近いシステムである。つまり、「ローカルに立ち上げられたWikipediaのようなもの」と考えればよい。

轟らは、自らの実践に基づき、「ブログベースの実験ノート」の要件として、次の機能を提案している。

  1. 記事を書かれた時間順に表示する。
  2. ユーザーの指定した条件(日付、話題、キーワード)に合致する記事を表示する。
  3. 新規の記事を登録する。その記事には、グラフィックスやマルチメディアを含ませたり、他のコンテンツ(例えば、過去の記事、Webサイト、手元のデータファイル、外部のデータベースなど)へのリンクを埋め込むことができる。
  4. 全ての機能はWebブラウザを通して呼出しが可能であって、あらかじめ使い方を学習する必要がない。
  5. アクセス権限などを詳細に設定できる。

轟らは、この実践報告を、物質、材料科学の専門誌である Appl. Surface Sci. 誌に投稿した。轟らの報告は、若干以上の“畑違い”であるにもかかわらずその重要性によって受理され、ダウンロード数で11位(2006年第1四半期)になるなど、世界の研究者に強いインパクトを与えた。

実験ノート電子化の流れは、既に日本の産業界においても波及している。例えば、島津製作所では2007年5月29日に、研究開発分野向けの記録管理システム「源藏」を発売した[35]。このシステムは、研究開発活動で生産される

  • 計画書、実験ノート、報告書、論文などのドキュメント
  • 各種計測機器で測定された生データ
  • 化合物の2次元・3次元構造データ

などを、プロジェクトごとに各情報の関連を保った状態で統一的に管理するWebに基づくアプリケーションであり、電子実験ノートとしての機能ももっていると紹介している[36]。島津製作所では、このシステムはISO 15489の要求にある、真正性、信頼性、完全性、可用性を充分に満たしたシステムであるとしている。また、従来の研究文書管理ソフトウェアにおいては、特定の形式のファイルや、独自仕様の画像しか管理できないなど、様々な形式が存在する研究環境においては致命的ともいえる欠点があるものが多数あったが、源蔵は、データの形式に依存しない記録管理が可能であるとし、研究機関における知識管理に絶大な効果を奏するとしている。

ISO 15489における真正性、信頼性、完全性、可用性とは、次の意味である。

真正性 文書が権限のある人により作成されていること。権限のない人による変更や修正から守られていること。
信頼性 文書が業務や活動内容を正確に反映しており、業務の証拠となること。
完全性 文書が完成され、変更されていないこと。承認された変更修正も記録され、追跡が可能なこと。
可用性 文書の所在が分かり、検索・呈示ができること。また、業務活動の関連の中で文書の所在が確認できること。

また、2008年2月15日には、塩野義製薬株式会社が、自社において、電子実験ノート「E-Notebook」を導入したシステムが、本格稼動したことを発表した。E-Notebookを販売/製造しているアイ・ビー・エム ビジネスコンサルティング サービス株式会社 (IBCS) ケンブリッジソフト・コーポレーションは、同様のシステムは欧米のメガファーマではすでに多くの実績があるとしている[37]。塩野義製薬は、E-Notebookを導入することにより、次のメリットがあると述べている。

  • 研究者間での実験情報や知識の電子的な共有が実現され、知識管理、継承が効率化される。
  • 試薬情報の自動入力によって、実験中の面倒な入力作業の回避が可能となる。
  • 自動計算機能によって、実験中の思考整理を補助する。
  • 研究の進捗状況が可視化される。
  • 紙ベースの実験ノート管理に比べて検索性が向上し、報告書、特許などの作成時の面倒な情報収集作業を大幅に軽減できる。

塩野義製薬では、このシステムを基にしてさらに研究を進め、IBCSと共同して、「紙の研究ノートのライフサイクルにおけるプロセスやルールの再定義、知財や管理部門も含めたワークフローの見直し」を含む、社内の知識管理を本格的に変革していくことを宣言している。

知的財産権等の法的な問題と実験ノート[編集]

実験ノートには特許紛争やプライオリティー争い、事故(実験装置の破損や人身事故)や剽窃捏造疑惑に巻き込まれるなどの不幸な事態になった場合に、直接的な証拠として身を守る役割を果たす場合もある。実際、捏造疑惑のもたれる実験や人道に反するとされる実験の有無が問題となるケース、安全基準を無視した実験が疑われるケースにおいては実験ノートの内容に関心が集まる[注 4]。本節では、刑事民事事件に至る、至らないを問わず、特許紛争やプライオリティー争い、事故や剽窃捏造疑惑等、の広い意味での法的問題について述べる。

日本では、実験ノートの法的な側面については、諸外国に比べて相対的に軽視されている傾向がある[19]日本においては、実験ノートの扱いは「実験の記録」であり個人の財産、個人の所有物として扱われることが多く、実験ノートは「実験者個人にとって分かりやすい、使いやすいものであればよい」という考え方が主流である。実際、捏造剽窃などの科学における不正行為等に関わる自主調査などにおいて話題になることはあっても、その法的証拠としての側面が口やかましく言われることはそう多くない。また、日本では、実験ノートは個人に帰属するものであると考えられる場合が多く、研究室単位での保管ということはあまりなされていないといわれる。ところが、アメリカでは、実験ノートは研究室、研究機関の財産と考えられ、自分自身の出した実験結果をしたためたものであっても、持ち出したり、許可のないコピーは禁止で、違反した場合にはスパイ容疑がかけられるなど、日本人の常識では考えられない結果を招く場合がある。

無論、最近の知的財産に対する関心の高まり[注 5]を踏まえ、研究機関や大学でも、「よりよい研究のための実験ノート」という観点に加え「知的財産としての実験ノート」という観点からの規定や方針が出され、その向きからの指導が行われるようになってきた。実際、(日本ヨーロッパ諸国では、新しい技術、アイデアを最初に発表した人に特許権を与える「先願主義」をとっているものの、)実験ノートを発明日の立証等の観点において特許紛争の重要な証拠と考える方向性の議論が2000年頃から活発に日本でも出され、実験ノートの取り方や管理に関する提言が出てくるようになってきた。

研究の現場である研究所や大学でも、徐々に実験ノートの法的な意味でのあり方が変わってきている。例えば産業技術総合研究所では「研究ノートの帰属は、研究所であり、取扱については研究成果物の一つ」として「産総研研究成果物等取扱規程」において定めている。大学でも、最近では実験ノートの扱いが厳しくなる傾向にある。例えば東北大学産学連携推進本部では、「実験ノートの帰属」までは定めていないものの実験ノートを「発明が、いつ、誰によって完成されたかを証明するためのノート」と位置づけ、施錠管理等を推奨する文書を発行している[38]。総じて、最近では実験ノートを「研究室の資産」、「法的な意味も含めた直接的な証拠”物件”」と考える向きから、研究室内で書式やサイズを統一する、第三者に対する証拠能力の向上などの動きが見られるようになってきつつある。また、証拠能力を重んじる観点に対応した実験ノートも発売され、「研究者等が実験データやアイデア等を随時記録し、第三者による確認をとるという体裁」の実験ノートがコクヨ山口大学の共同研究で開発、販売されている。

ただし、特許に関連しては「『いつ頃、どのような状況でアイデアが浮かび、特許権利になるような具体的な発明内容にできたのか。』を実験ノートや証言者の証言などによって証明する」という行為は膨大な時間と労力を要するため、特許権を世界で最初に発明した人に与える「先発明主義」は、「正しく評価すること」を最重要とする科学史上の話は別として、ビジネスには馴染まないと考えられているこのような状況を考えると、日本が「現在のアメリカのように実験ノートの内容に基づいた特許紛争が頻発する状況になる」という事態は想定しにくい。無論、だからといって、実験ノートの証拠能力を否定することにはならない。

これからの実験ノートのあり方[編集]

知的財産権などの関心の高まりや、捏造、剽窃などのモラル低下などを踏まえ、知的財産科学研究費標準化等の社会的な問題との関係やナレッジマネージメントQC等の「『思考技術』に関係深い分野」との関係が今後より一層重要、緊密となり、より一層深まるものと思われる[39][40][41]

また、「実験ノートの電子化について」で述べたように「製本されたノート」が基本の実験ノートの世界にもIT化の波が押し寄せてきている。実験ノートは、かつては大学ノートのような「製本されたノート」であることが必須であったが、電子式やファイル式を使う研究者も現れてきた。この問題は単に媒体としての優劣や分析方法との適合性のみならず、「何を以て最も権威ある記録とするか」という観点から科学哲学の根幹にかかわる問題を含んでおり、今後の動向を注視する必要がある。

「正しい実験ノートとは何か」という問題は、一次的には研究者個人、研究グループの責任において考えられることが理想だが、今後、社会的な問題との兼ね合いも含め、実験ノートの持つ意味合い、形式含め、色々な変化が出てくるかもしれない。ただし、一般的に一次記録であるところの実験ノートの重要性は減ることはなく、それどころかますます重くなるばかりであると考えられている傾向にある。

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 旅行にいく時に「ひょっとしたら必要/あった方がよいかもしれない」というレベルで何でも持っていっていたら荷物が膨大な量になってしまう。かといって所持品を絞りすぎると困ることもある。このことに似ている。
  2. ^ 環境統制をきちんとするには相応の技術力/技術開発が必要でお金もかかる。新しい知見が得られる見込みのないところでそのような投資を行うのはふさわしくない。では、その見込みはどう立てるのか?ある程度疑問のあるデータでも、「なにかありそうかもしれない」という証拠を挙げるという仕事は現実的には結構重要な仕事である。
  3. ^ 例えば数研出版の場合、2007年9月現在高等学校物理I、IIについて、実験プリントをインターネット上に公開している[1]
  4. ^ 物性物理学分野で画期的な論文を執筆したヘンドリック・シェーンは、他の研究者が追試に失敗するなど疑惑が広がる中、実験ノートにも電子ファイルにも測定データを残していなかったため、捏造を否定できなかった。
  5. ^ 2005年には、日本においても知的財産専門の裁判所(知的財産高等裁判所)が出来るなど、知的財産権を取り巻く制度は大きな転換点にある。
出典
  1. ^ a b 中山 敬一 (著) 「君たちに伝えたい3つのこと―仕事と人生について 科学者からのメッセージ」ダイヤモンド社 (2010/7/30) 実験ノートの取り方(生命防御医学研究所 細胞機能制御学部門 分子発現制御学分野)
  2. ^ a b c d 中山敬一 「小保方リーダー&若手研究者必読!今さら人に聞けない「正しい実験ノート」の書き方」【第428回】 2014年4月23日
  3. ^ a b c 中山 敬一 (監修) バイオ研究者が生き抜くための十二の智慧(細胞工学 別冊)第1章 ラボノートの書き方 (2013/8/28) [2]
  4. ^ 朝日中学生ウイークリー2014.04.20日号第一面「新発見は記録がカギ 科学は「結果」だけじゃない」[3]
  5. ^ 実験ノートおよびレポートの書き方(参考)”. 2014年4月11日閲覧。
  6. ^ 実験ノートには何を記録するのか? (北里大学野島高彦 准教授のHPより)[4]
  7. ^ a b c 妹尾堅一郎 「研究ノートのリスクマネージメント」
  8. ^ a b やればできる 卒業論文の書き方”. 2014年4月11日閲覧。
  9. ^ 研究開発向け記録管理システム“源藏”の開発”. 2014年4月11日閲覧。
  10. ^ a b c 実験ノートについて”. 2014年4月11日閲覧。
  11. ^ a b 轟眞市, 小西智也, 井上悟, ブログを基にした実験ノート : 個人の研究活動を効率化する情報環境, Appl. Surface Sci., 252, 7, pp. 2640-2645 (2006). [5]
  12. ^ a b 文部科学省 研究活動の不正行為への対応のガイドライン [6]
  13. ^ CTC社電子実験ノートソリューション[7]
  14. ^ a b c d e f g 【STAP細胞論文問題】 変わる「実験ノート」 電子データ急増で多様化 共同通信 2014/05/01 10:53
  15. ^ 実験ノートの書き方についてまとめられた文献はあるか? レファレンス共同データベース
  16. ^ 『理研』研究施設を一般公開!人気グッズ「実験ノート」に皮肉な注意書き J-CASTテレビウォッチ 2014年04月21日15時09分
  17. ^ 田中 淳「記者の眼:STAP騒動をSTOPできた? 「電子実験ノート」の実力」日経コンピュータ[8]
  18. ^ 研究者になるための心構え”. 2014年4月11日閲覧。
  19. ^ a b c 平成18年度 文部科学省大学知的財産本部整備事業 21世紀型産学官連携手法の構築に係るモデルプログラム事業 知財創出・管理環境リスクマネジメント に係る調査研究 ~大学における「研究ノート」の使用実態と今後への課題~ 成果報告書[9]
  20. ^ 先使用権の円滑な活用に向けて(特許庁HPより)[10]
  21. ^ JETRO知的財産権チーム (訳) 「研究ノート関連の悩み、一気に解決」(記事の出所:韓国特許庁)2012.03.04
  22. ^ JETRO知的財産権チーム (訳) 「大切な研究資料、電子研究ノートで守る」(記事の出所:韓国特許庁)2012.12.03
  23. ^ 橋爪 武司;「生データの定義と実験ノート,ワークシート・ フォーマット,データファイルの取り扱い」Pharm stage 4(12) (通号 44) 2005.3 [11]
  24. ^ 情報機構;「GLP/非GLP試験・信頼性保証における留意点」2006.8(第2刷)[12]
  25. ^ 医療機器非臨床試験適合性書面調査(信頼性調査)に関する講習会[13]
  26. ^ 速記者のプロ技(早稲田式速記) の動画[14]
  27. ^ 森 千鶴夫, 他,「キュリー夫人の実験ノートの放射能」 RADIOISOTOPES Vol. 54 (2005) No. 10 P 437-448 [15]
  28. ^ 京都大学 iPS研究所のページ[16]
  29. ^ 実験ノートの書き方”. 2014年4月11日閲覧。
  30. ^ 橋本毅彦[科学史研究の新潮流]実験と実験室(ラボラトリー)をめぐる新しい科学史研究、『化学史研究』第20巻第2号 (1993), pp. 107-121
  31. ^ G.L.ギーソン(長野敬・太田英彦 訳)『パストゥール――実験ノートと未公開の研究』青土社
  32. ^ B.ラトゥール『科学が作られているとき――人類学的考察』川崎・高田訳、産業図書、1999年
  33. ^ 書評:G・L・ギーソン(長野敬・太田英彦訳)『パストゥール――実験ノートと未公開の研究』青土社、2000年、373+29頁。”. 2014年4月11日閲覧。
  34. ^ 木村 雅秀(日経エレクトロニクス)ルーズリーフかノートか”. 2014年4月11日閲覧。
  35. ^ 日経プレスリリースから 2007.5.29”. 2014年4月11日閲覧。
  36. ^ 日経プレスリリース[出典無効]
  37. ^ 電子実験ノート「E-Notebook」の導入について”. 2014年4月11日閲覧。
  38. ^ http://www.rpip.tohoku.ac.jp/FAQ/QL.html
  39. ^ 研究室のナレッジマネジメント”. 2014年4月11日閲覧。
  40. ^ [17][リンク切れ]
  41. ^ ヨーロッパ製薬業界における情報管理への挑戦 情報管理 Vol.46 (2003) No.8 P518-529

関連項目[編集]