大和田駅 (北海道)

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大和田駅
駅舎(2004年6月)
駅舎(2004年6月)
おおわだ - Ōwada
藤山 (4.2km)
(5.9km) 留萌
所在地 北海道留萌市大和田3丁目
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 留萌本線
キロ程 44.2km(深川起点)
電報略号 ワタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1910年明治43年)11月23日
備考 無人駅
1977年の大和田駅と周囲約500m範囲。右上が留萌方面。島式1面2線、木造駅舎は健在でホーム上には待合室もある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

大和田駅(おおわだえき)は、北海道留萌振興局留萌市大和田3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線である。電報略号ワタ

歴史[編集]

当駅は大和田炭砿の所有者大和田荘七の寄付により、運炭を目的として開設された。

  • 1907年(明治40年)頃 - 近隣の大和田炭砿及び斎藤炭山から留萌港へ馬車鉄道敷設[1]
  • 1910年(明治43年)11月23日 - 国有鉄道留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い開業[2][3]一般駅
  • 1918年(大正7年)- 1924年(大正13年)の間 - 北海炭業大和田炭砿が当駅に積込場を設置。留萌港への馬車軌道を廃止し、当駅積込場までに切り替え[4]
  • 1925年(大正14年) - 大和田炭砿閉山。
  • 1931年(昭和6年)10月10日 - 線路名を留萠本線に改称、それに伴い同線の駅となる[3]
  • 1938年(昭和13年)? - 寿炭砿大和田鉱業所が積込場設置及び専用線敷設[5]
  • 1957年(昭和32年)以前 - 寿炭砿専用線廃止[5]
  • 1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物扱い廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止して、旅客関係の職員を配置しない無人駅となる。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 閉塞合理化に伴い交換設備廃止。連査閉塞運転要員を無人化[6]
  • 1980年代後半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
  • 1997年(平成9年)4月1日 - 線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる[3]

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を有する地上駅で、ホームは線路の南側(増毛方面に向かって右手側)にあり[7]転轍機を持たない棒線駅となっている[7]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅[8]、駅舎側(南側)が上り線、駅舎の反対側が下り線となっており[8]、転轍機の形状は深川方、増毛方ともに上り線からの片開き分岐であった[8]。また、駅舎とホームはホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[8]。そのほか上り線の深川方から分岐し駅舎東側への行き止まりの側線を1線有していた[8]。交換設備運用廃止後は1993年(平成5年)3月までに線路が撤去された[7]

現在は無人駅となっており、有人駅時代の藤山駅と同型の駅舎は改築され、トイレの無い[9]ヨ3500形車掌車[10]を改造した貨車駅舎となっていて[7]宗谷本線の貨車駅舎と全く同一の外観となっている[10]。駅舎は構内の南側に位置し、ホームから少し離れた位置の[7]旧駅舎の基礎の上に設置されている[9]。外壁の塗装は著しく劣化し[9]、錆により駅名表記も読めないほどになっている[9]。かつてホーム上には60 - 70cm四方の炭塊が飾られていた[8]が、無人化後以降に撤去された[7]

ホーム(2004年6月)

駅名の由来[編集]

当駅の所在する地名より。地名は、当地の炭鉱経営者の名字に由来する[11]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は15人[8]
  • 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は26人[7]

駅周辺[編集]

大和田の集落がある。国道が駅裏に切り替えられたため道路が細い砂利道となり、駅が街外れの人気のない場所になってしまっている。

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
留萌本線
藤山駅 - 大和田駅 - 留萌駅
かつて当駅と留萌駅(当時は留萠駅)との間に東留萠信号場が存在した(1927年(昭和2年)10月25日開設。1941年(昭和16年)12月9日廃止)[3]

脚注[編集]

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  1. ^ 北海道鉱業概要 大正7年発行 大和田炭砿より。1915年(大正4年)留萌市街地図に「大和田炭砿軽便軌道」が記載。大和田方面より留萌市街中心を通る現・国道231号線上を、留萌港に向けて敷かれている。新留萌市史によれば、斎藤炭山が先に馬車鉄道を設けていたが、大和田炭砿が並行して敷設したため、両者で取り決めを交わして複線運用を行なっていた。後に斎藤炭山は大和田炭砿に吸収合併された。
  2. ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)179ページより。
  3. ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)44ページより。
  4. ^ 北海道鉱業誌 大正13年発行 北海炭業より。
  5. ^ a b 昭和26年版 全国専用線一覧 作業距離0.4km。なお昭和32年版からは登録されていない。
  6. ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社2011年6月発行)148ページより。
  7. ^ a b c d e f g 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)155ページより。
  8. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)196ページより。
  9. ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)173ページより。
  10. ^ a b 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫2007年5月発行)68ページより。
  11. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)106ページより。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]