共和橋

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共和橋
右岸下流側より
基本情報
日本の旗 日本
所在地 埼玉県八潮市三郷市
交差物件 中川
用途 道路橋
管理者 東日本高速道路株式会社[要検証][1]
埼玉県
着工 1976年9月
竣工 1981年4月
開通 1981年4月10日(一般部)・1985年1月24日(自動車専用部)
座標 北緯35度49分30.4秒 東経139度51分6.32秒 / 北緯35.825111度 東経139.8517556度 / 35.825111; 139.8517556座標: 北緯35度49分30.4秒 東経139度51分6.32秒 / 北緯35.825111度 東経139.8517556度 / 35.825111; 139.8517556
構造諸元
形式 単純合成鈑桁橋
材料 鋼材
全長 515.86 m(一般部)
14.2 m(一般部)
最大支間長 48.0 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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首都高速6-Misato号標識
埼玉県道116号標識

共和橋(きょうわばし)は、埼玉県八潮市二丁目三郷市彦江の間を流れる中川に架かる首都高速6号三郷線、および埼玉県道116号八潮三郷線の道路である。橋の右岸側は、八潮市木曽根の区域に掛かる。

概要[編集]

中川の河口からおよそ23.7 kmの地点に架かる[1]総延長515.86メートル[2][注釈 1]の12径間の鋼単純合成鈑桁橋[4]である。幅員は一般部(一般道路)は14.2メートル[2][注釈 2](上下線とも車道5メートル、歩道2メートル[5])で自動車専用部(自動車専用道路)の幅員は不明である。最大支間長は48.0メートルである[2]。一般部の上り線のみ前後のコンクリート橋(八潮方1径間、三郷方3径間[6])と接続する。

共和橋の一般部。柵の奥が自動車専用部。

自動車専用部は片側2車線で、首都高速6号三郷線として供用されている。上下線の間は中央分離帯ガードレールで隔てられている。その両側は連続高架橋と接続され、連続した橋となっている。一般部との間に背の高いがある。 一般部は「高速6号左右橋[1]」の別名を持ち、片側1車線で自動車専用部を挟んで上下線に分かれ、県道として供用されている。一般部の両詰は地平に降りる斜路となっている。歩道は上流側と下流側の一般部の外側にそれぞれ設けられている。歩道には地上に降りる階段が4箇所設けられている[5]。車道と歩道の間に縁石と柵があるが、歩道と共有する形で4箇所非常駐車帯が設けられ、その箇所には縁石が低くなっており柵がない。また、埼玉県の第一次特定緊急輸送道路(自動車専用部)および第二次緊急輸送道路(一般部)に指定されている[7]。管理者は自動車専用部は東日本高速道路[要検証]、一般部は埼玉県である[1]。 橋を通る公共交通(路線バス)は無い。右岸は東武バスの「上二丁目」バス停留所、左岸は埼玉観光の「彦沢一丁目南」バス停留所が最寄の停留所となる。 渋滞の緩和がこの橋の今後の課題である[8]

歴史[編集]

彦江の渡し[編集]

橋が架けられる前は「彦江の渡し」と称される渡船場が概ね旧橋と同じ位置にあり、二丁目村と彦江村を結んでいた[9][10][11][12]。渡し船はいつから存在していたかは定かではないが、『武蔵国郡村誌』や『新編武蔵風土記稿』にも記されている[注釈 3]ことから、江戸期(幕末)までには既に存在していたと考えられる。農耕用の作場渡しで[10]、通行料は一人三厘、牛馬は七厘五毛であった[14]。また、渡船場付近の右岸には成立年代は定かではないが「二丁目河岸」があり、やや下流の左岸には「花和田河岸」もそれぞれ1955年昭和30年)頃まで存在していた[15]。橋の開通に伴ない渡船場は廃止された[注釈 4]

木造橋時代[編集]

初代木造橋の銘板

橋は共和橋架橋組合[注釈 4]によって1927年(昭和2年)9月に初めて架設された[16][注釈 5]。総工費は約15,000円であった[注釈 4]渡り初めも行われた[17]。今日の潮止通りの延長線上にあった。橋長と幅員は不明である。木造の賃取橋で通行料は架設当初は大人2銭であったが[注釈 4]、後に大人3円に改定された[18]。通行料は橋の維持修繕に充てられていた。架設当初は潮止村彦成村を結ぶ橋であったが、所謂昭和の大合併により1956年(昭和31年)9月28日に潮止村が八潮村に、同年9月30日に彦成村が三郷村にそれぞれ発足した。

1968年(昭和43年)橋が架け替えられた[19]。先代同様の木造橋である[20]人道橋で歩行者と自転車等のみ通行可能であった。これも規模(橋長および幅員)は不明である。同年6月には通行料が無料化された[21][22][注釈 4]。木造橋なので老朽化が早く、1975年(昭和50年)にも橋の架け替えが行われた[23]

1981年の橋[編集]

橋は首都高速道足立・三郷線街路事業の一環として1976年(昭和51年)9月2日より事業着手され[5]、少し下流側の位置に「新共和橋」として永久橋が架設され、1981年(昭和56年)4月に竣工された。総工費は22億円であった[5][注釈 6]。現在はこの新共和橋を共和橋と呼ぶ。開通式は両市主催で4月10日10時に雨天の中挙行され[5][3]テープカットや渡り初めが行なわれた[3]。橋は同日11時より供用を開始した[5]。旧橋は新橋の開通後に廃止され撤去された[24]。自動車専用部は当時はまだ開通しておらず[25]1985年(昭和60年)1月24日の首都高速6号三郷線の開通と共に供用を開始している。

周辺[編集]

橋の東側を東京都道・埼玉県道67号葛飾吉川松伏線が通り、橋と同名の「共和橋(下)」交差点もあるが、橋とは交差のみで直接繋がっていない。

  • 中川やしおフラワーパーク
  • 八潮木曽根郵便局
  • ちくみ幼稚園
  • 彦江集会所
  • 彦江神社
  • 香取神社
  • 来迎寺
  • 円能寺
  • 密乗院
  • 彦次郎排水樋管 - 河川工作物。左岸23.5 km付近に所在[26]

隣の橋[編集]

(上流) - 八条橋 - 潮郷橋 - 共和橋 - 中川橋梁 - 新中川橋 - (下流)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この数字は一般部(県道)における橋の前後のアプローチ区間の斜路を含む鋼橋部の距離と思われる。なお、昭和56年4月10日付の『埼玉新聞』6頁や『広報やしお』第192号[3]では全長856メートルと報じている。自動車専用部(自動車専用道路)は一般部のような斜路はないため、自動車専用部の橋長は一般部より短いと思われる。
  2. ^ この数字では全幅員としては明らかに狭く、一般部のみの幅員と思われる。自動車専用部を含めると幅員は32メートル程度になると思われる。
  3. ^ 「作場渡アリ(中略)對岸ハ二町目村ナリ」『新編武蔵風土記稿』[13]
  4. ^ a b c d e 外部リンク節の『彩の国デジタルアーカイブ』の検索ワード「共和橋」の検索結果を参照。
  5. ^ 東京都道・埼玉県道67号葛飾吉川松伏線共和橋(下)交差点歩道横に初代木造橋時の石製銘板が残されており、「昭和二年十月竣功」となっている。
  6. ^ 昭和56年4月10日『埼玉新聞』 6頁では工費18億円と報じている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 中川(中川・綾瀬川)河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所. p. 76 (2017年3月). 2022年8月31日閲覧。
  2. ^ a b c 彩の国(92)の主な橋一覧” (PDF). さいたま橋物語(埼玉県ホームページ)、 (1994年). 2016年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月31日閲覧。
  3. ^ a b c “新”共和橋が開通」(PDF)『広報やしお』第192号、八潮市、1981年、2022年8月31日閲覧 
  4. ^ 橋梁年鑑 共和橋 詳細データ - 日本橋梁建設協会. 2022年8月31日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 昭和56年4月10日『埼玉新聞』 6頁。
  6. ^ ストリートビュー - Google Map. 2022年9月1日閲覧。
  7. ^ 埼玉県の緊急輸送道路”. 埼玉県庁 (2021年6月23日). 2022年8月31日閲覧。
  8. ^ 三郷市地域公共交通網形成計画(案)の意見募集結果とその回答”. 三郷市. 2022年8月31日閲覧。
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、718頁。ISBN 4040011104 
  10. ^ a b 『中川水系 人文』 491-496頁。
  11. ^ 『中川水系 人文 』 481-486頁。
  12. ^ 渡し場 れきナビ―やしお歴史事典(八潮市立資料館). 2022年8月31日閲覧。
  13. ^ 新編武蔵風土記稿 彦江村.
  14. ^ 『中川水系 人文』 488頁。
  15. ^ 『中川水系 人文』 474-476頁。
  16. ^ 共和橋1927-9 - 土木学会付属土木図書館. 2022年8月31日閲覧。
  17. ^ 共和橋渡り初め - 八潮市立史料館デジタルアーカイブ. 2022年8月31日閲覧。
  18. ^ 昭和38年5月4日『埼玉新聞』 1頁。
  19. ^ 共和橋1968- - 土木学会付属土木図書館. 2022年8月31日閲覧。
  20. ^ 昭和40年代 - みんなの三郷 思い出写真館” (PDF). 三郷市. 2022年8月31日閲覧。
  21. ^ 市の沿革” (PDF). 三郷市. 2022年8月31日閲覧。
  22. ^ 八潮市立資料館の2022年6月1日のツイート2022年9月2日閲覧。
  23. ^ 昭和50年9月22日『埼玉新聞』 2頁。
  24. ^ 三郷市50年のあゆみ 昭和時代(昭和47年-昭和63年) - 三郷市. 2022年8月31日閲覧。
  25. ^ CKT843-C1-39(1984/09/27) 1984年9月27日撮影の共和橋周辺 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)
  26. ^ 中川(中川・綾瀬川)河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所. p. 71 (2017年3月). 2022年8月31日閲覧。

参考文献[編集]

  • 埼玉県『中川水系 人文 -中川総合調査報告書2-』埼玉県、1993年2月10日。 
  • “ここも首都圏(31) 村の賃取り橋 北葛三郷村の「共和橋」 おとな一回三円ナリ 維持費かせぐ苦肉の策”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 1. (1963年5月4日) 
  • “「共和橋」を架け替え 三郷市と八潮市を結ぶ”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 2. (1975年9月22日) 
  • “「新共和橋」きょう開通 三郷―八潮市境の中川に完成”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 6. (1981年4月10日) 
  • 「彦江村 古利根川」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ30葛飾郡ノ11、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/77 

関連文献[編集]

  • ““賃取橋”の異名返上へ 三郷町の共和橋 四十年ぶり無料に”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 5. (1968年3月31日) 
  • “苦境に立つ“賃取橋” 三郷―八潮の共和橋 四十二歳で破損続き 多い利用者 かけ替えには大金が 46年3月で時間切れ”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 3. (1969年12月6日) 

外部リンク[編集]