佐川幸義

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佐川 幸義(さがわゆきよし、1902年7月3日 - 1998年3月24日)は武道家。大東流合気柔術中興の祖である武田惣角の直弟子のひとり。

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経歴

  • 1902年7月3日、北海道紋別郡湧別町に生まれる。
  • 幼少期より甲源一刀流、小野派一刀流剣術、関口流柔術などを習う。
  • 10歳のころ、武田惣角と出会う。
  • 12歳 武田惣角に正式に入門
  • 17歳のころ、「合気之術」の秘訣を会得する。
  • 1932年、武田惣角より代理教授を許される。
  • 惣角とともに全国を回りながら大東流合気柔術を教授する。
  • 老齢になってからも「合気之術」は衰えるどころかますます磨きがかかった。70歳を超えてから新しい「合気の原理」を発見し、武田惣角の合気をさらに進歩させた。95歳で逝去するまで「合気之術」を自在に使った。
  • 92歳の時に心臓の検査を受けるために医師に何か運動をしてほしいと頼まれたところ、その場で腕立て伏せを150回やってみせた。
  • 1998年3月24日 逝去。

評価と批判

  • 佐川幸義は武田惣角の合気を継承し、独自に研究・工夫を凝らしながら厳しい修業を半世紀以上にわたって積み重ねて惣角を超えたとも言われる。佐川は「合気之術」は武田惣角が編み出したものだと語っていたことを考慮すると、惣角も日本武術史における名人列伝に加えるべき逸材と言える。
  • 昭和10年12月、惣角が佐川に「諸手捕りの合気」をかけようとしたが、効かなかったことがある。これを出来事をきっかけに、佐川は「惣角の合気」をさらに発展させる必要性を痛感したと考えられる。
  • 佐川は、日本の武術史上において稀代の武術家であると評価する人がいる。中国武術研究家の松田隆智は「(上泉伊勢守宮本武蔵などの)昔の剣豪だって佐川先生ほどの人はいない」「3次元と4次元の違い」※1、作家の津本陽は「魔法のような合気技をあらわす日本唯一の武道家」※2、運科学研究者の高岡英夫は「近現代武術史上最高の天才」※3、であるとしている。
  • 合気道や様々な古武道では、決められた型に沿って練習を行い、本気で相手を打ち倒そうとしない流派が多い。しかし佐川道場では、弟子が本気で老齢の師匠に向かい、そして投げ飛ばされるのが常であった。
  • 柔道5段、剣道7段、武道団体の師範、ウエイトリフティングで180kg上げる力自慢、プロ野球選手など、様々な武道経験者、スポーツマンが佐川幸義の技を体験したがいずれもなすすべなく子ども扱いされている。
  • 佐川は、自分の技が表に出るのを警戒した。術理も理解できないのに勝手に技法を研究され、誤解を招きたくないとの理由から自らの技を映像に残すことも許可しなかった。

関連項目

参考文献

  • 『透明な力』木村達雄著 講談社 ※1,※2
  • 『合気・奇跡の解読』 高岡英夫著 ベースボールマガジン社 ※3