三国遺事

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三国遺事
各種表記
ハングル 삼국유사
漢字 三國遺事
平仮名
(日本語読み仮名)
さんごくいじ
片仮名
(現地語読み仮名)
サムグクユサ
ラテン文字転写 Samguk Yusa
文化観光部2000年式
  

三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書

目次

[編集] 概要

三国遺事は新羅史を中心とした古代朝鮮の私撰の歴史書である[1]。高麗の僧、一然が1280年代に編纂し、弟子の無極が補筆した[1]。王歴や第二巻の『駕洛国記』の抄録などは他に類例のない史料である[1]。仏教説話記事には文芸作品ともみられるものがあり、とくに新羅の郷歌は文学的価値や言語学資料としての価値が高い[1]。 中国人学者の沈仁安は古事記の信頼性を検証した結果、三国遺事の記述を以て古事記を訂正することは相反しないと述べている[2]

[編集] 構成

  • 巻一:王暦・紀異
  • 巻二:紀異
  • 巻三:法興・塔像
  • 巻四:義解
  • 巻五:神呪・感通・避隠・孝善

全五巻九篇から成り、

  • 巻一の「王暦」は新羅高句麗百済駕洛国の王代と年表を記し、「紀異」は檀君朝鮮に始まる諸国の興亡と新羅各王の逸聞を記す。
  • 巻二は前巻の紀異に続けて、新羅の末代の金傅大王(敬順王)の後に百済・後百済・駕洛国について記す。
  • 巻三以降では仏教史関係のものであり、「法興」「塔像」は新羅を中心とした仏教受容の事実、「義解」は高僧と律師の伝記、「神呪」は密教の神僧の事跡、「感通」は修行の末の神意の感応、「孝善」は仏法に則った孝行と応報の美談、をそれぞれ記す。

[編集] テキスト

版本では李氏朝鮮中宗正徳7年(1512年)刊行のいわゆる正徳本が最良とされている。これを18世紀の安鼎福が手写したものを、日本では大正10年(1921年)に京都帝国大学文学部叢書として縮少影印し、後に昭和3年(1928年)に今西龍の校訂によって朝鮮史学会本として活字化された。また、同影印本は昭和7年(1932年)に京城(ソウル特別市)の古書刊行会より原寸大に再影印された。朝鮮史学会での活字本はその後も校訂が進められ、1973年発行の第3版が最良のテキストになっている。

また、恐らく文禄の役1593年)のときに持ち帰られたと思われるものが尾張徳川家と東京の神田家とにそれぞれ伝わっている。これらは王暦の巻頭の二葉ほか複数の箇所で落丁・欠字していたが、他書によって補訂されたものが明治37年(1904年)に東京文科大学史誌叢書として刊行されている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d 伊藤(1986)
  2. ^ 沈(2003)

[編集] 参考文献


[編集] 外部リンク