一然

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一然
各種表記
ハングル 일연
漢字 一然
発音 イルヨン、イリョン
日本語読み: いちねん
ローマ字 Il-yeon, Iryeon
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一然(いちねん、1206年1289年7月)は、高麗時代禅宗の仏僧。俗姓は金、幼名を見明(または景明)、は晦然。慶州章山郡(現在は慶山市)の出身で、1283年忠烈王より国尊の称号を賜り、円径冲照と号した。没後に普覚の諡号を賜り、普覚国尊一然と称されるようになった。三国時代の重要史料である『三国遺事』の撰述のほか、『語録』『偈頌雑著』などの著作がある。

生涯[編集]

9歳のときに海陽(光州広域市)の無量寺で出家し、各地を遍歴して仏法を修め、22歳のときに科挙の禅科に合格した。その後は宝幢庵、妙門庵、無住庵で禅の修業を続け、1261年元宗に召されて開城で禅月堂を開き、牧牛和尚の法統を継承した。1264年には元宗に願い出て都を離れ、吾魚寺(慶尚北道浦項市)に移り、1268年に朝廷の命で名僧百名とともに雲門寺(慶尚北道清道郡)で大蔵経落成会を行なった。1276年に勅命で雲門寺の住職となったが、1282年には忠烈王に召しだされて開城に移り、広明寺に住むこととなった。1283年には国尊(国を挙げて尊び、師と仰ぐの意)の称号を賜り、尊崇を集めたが、母が高齢だったためにいったん辞職して郷里に戻り、翌年母の最期を看取った。その間朝廷では一然のために麟角寺(慶尚北道軍威郡)を修築しており、復職した79歳の一然に田地とともに麟角寺が与えられた。以後、一然は麟角寺に永住し、1289年7月に84歳で亡くなるまで禅問答を続けていた。

麟角寺には一然のための舎利塔と碑が残っており、碑文には一然の著作として『語録』2巻、『偈頌雑著』3巻、『曹洞五位』2巻、『祖図』2巻、『大蔵須知録』3巻、『諸乗法数』7巻、『祖庭事苑』30巻、『禅門拈頌事苑』30巻などが広く知れ渡っていた、と伝えている。しかしこの碑文には『三国遺事』のことは触れられていない。

『三国遺事』の撰述[編集]

正史(『三国史記』)に漏れた様々の事実を意図した「遺事」を取りまとめた『三国遺事』は、一然の晩年の撰述になるものである。しかし内容の分析として、王暦の年表末に記す中国王朝を南宋までに留めて「大宋」と記しており、を記していないことから、まだ宋が存立していた間におよその撰述を終えており、主要部分については雲門寺に住まう直前の70歳頃から国尊の称号を賜る78歳までの間(1275年 - 1283年)の著述であると見られている。

参考文献[編集]

  • 『完訳三国遺事』一然著 金思燁訳、明石書店、1997 ISBN 4-7503-0992-3(原著『完訳三国遺事』六興出版、1980)