ヴェルヴィエ

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ヴェルヴィエ市
ヴェルヴィエ市の裁判所、パレ・ド・ジュスティス
ヴェルヴィエ市の裁判所、パレ・ド・ジュスティス
ヴェルヴィエ市の市旗 ヴェルヴィエ市の市章
位置
ヴェルヴィエ市の位置の位置図
ヴェルヴィエ市の位置
座標 : 北緯50度35分 東経5度51分 / 北緯50.583度 東経5.850度 / 50.583; 5.850
行政
ベルギーの旗 ベルギー
 地域 ワロン地域の旗 ワロン地域
 州 リエージュ州の旗 リエージュ州
 アロンディスマン ヴェルヴィエ
ヴェルヴィエ市
市長 Claude Desama
地理
面積  
  域 33.07 km2
人口
人口 (2008年1月1日現在)
  域 54,519人
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : www.verviers.be

ヴェルヴィエVerviers)は、ベルギーワロン地域リエージュ州の都市。リエージュ州で3番目の人口を抱え、リエージュ市とドイツ国境との中間地点に位置する。ワロン地域圏の『水の都』と称される。

歴史[編集]

初期[編集]

古代ローマ時代の硬貨と同様、多種の火打ち石と骨のかけらがこの地域で見つかっている。このことから定住が早くから進んでいたと推測される。4世紀、ローマ人らは東からやってきて、定期的に圧迫をするゲルマン系種族と取引を迫られた。最初に彼らを抑制することに成功し、最後はローマ人らは5世紀後半にクロヴィス1世フランク王国がこの地域を占領すると、負けを認めなければならなかった。ヴェルヴィエの地域は森林で覆われ、メロヴィング朝の王たちのための狩り場となった。スタヴロ修道院近郊の聖職者たちによって、地域はゆっくりとキリスト教化されていった。

ヴェルヴィエの中心地

10世紀、西フランクシャルル3世は、リエージュ司教領創設の前に、フランシモン侯を世俗君主リエージュ司教と認めた。1014年にリエージュは侯国の直接統治となり、この法は1155年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世ローマ教皇ハドリアヌス4世によって認証された。

15世紀から現代まで[編集]

この地域での織物産業の記述は15世紀からになる。一世紀後、服飾産業が最も古い冶金術の仕事にとってかわった。これは近隣のネーデルラントで起きた八十年戦争のせいであった。しかし町の規模は、ほとんど小規模なままであった。1651年には、織物の仕上げ工の増加のせいで、ヴェルヴィエがリエージュ司教領の主要都市の一つと目されるだけであった。

18世紀後半に、ヴェルヴィエはフランス革命の余波を被った。リエージュは1795年にフランスに併合され、そのせいで経済は傾き、前例のない悲惨な状態に陥った。ヴェルヴィエのツキは1815年のワーテルローの戦い以後によみがえった。ヴェルヴィエはワロン工業地帯の東の端にあった。生産業者ウィリアム・コッカリルは、イギリスでの手法を用いてヴェルヴィエの織物業に新時代をスタートさせた。道路は舗装され、ガス灯が設置され、ヴェルヴィエは産業革命のおかげで2倍の大きさとなった。第一次世界大戦後、ヴェルヴィエはブラッドフォードとともに、『世界の毛織物の首都』の称号を分かち合った。

噴水
グラン・ポスト。郵便局

経済[編集]

ヴェルヴィエは、その品質を讃えられ毛糸生産と織物産業のふるさとと言われる。このおかげで町には多大な富がもたらされた。しかし、1950年代から、地元の工場は国際競争に直面し、町の経済が衰退を始めると閉鎖を始めた。1990年代半ばから経済はゆっくりと復調傾向にあるが、堅固な状態とはいえない。最も魅力ある地域への行き帰りを試み、数軒の商業複合施設が近年開店した。

みどころ[編集]

ヴェルヴィエ出身者[編集]

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]