ヴィルヘルム・ヤーン

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ヴィルヘルム・ヤーン
Wilhelm Jahn
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基本情報
出生 1835年11月24日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国  モラヴィア
死没 1900年4月21日(満64歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国  ウィーン
職業 指揮者

ヴィルヘルム・ヤーンWilhelm Jahn, 1835年11月24日 - 1900年4月21日)は、現在のオーストリアに生まれ、主にウィーンで活躍した指揮者

評価[編集]

ヤーンは気鋭の指揮者としてウィーン宮廷歌劇場総監督の座に就き、永らく同歌劇場を切り回したが、ヨハネス・ブラームスはヤーンの演奏を田舎芝居だとこきおろし、エドゥアルト・ハンスリックがヤーンを宮廷歌劇場から追放するべきであるとの論陣を張るなど、とりわけ楽壇の評価はヤーンの晩年になるほど厳しくなっていった。しかし、斯界の権威には通俗的だとみなされがちでも、親しみやすいレパートリーを披瀝することによって、ヤーンは多くの大衆に支持され続けた。1882年11月26日アントニン・ドヴォルザーク作曲『伝説』の一部、1883年2月11日には、ブルックナー交響曲第6番の第2楽章および第3楽章を初演している。

参考文献[編集]

『ヨハネス・ブラームス回想録集 2』(音楽之友社、2004年) ISBN 4276201780

外部リンク[編集]

Bild von Wilhelm Jahn