ミロスラフ・ビトウス
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ミロスラフ・ビトウス(Mirosrav Vitouš, 1947年12月6日 - )はチェコスロバキア生まれ。1966年にウィーンで開かれたフリードリヒ・グルダ主催、国際ジャズ・コンクール(この時の審査員の1人はジョー・ザヴィヌル)のベース部門において優勝するなど、若くして期待のアコースティック・ベース奏者として頭角を現す。アメリカに渡った後チック・コリアのアルバム『Now He Sings,Now He Sobs』に参加すると、その超絶的な演奏が反響を呼びジャズシーンに彼の名が知れ渡るようになる。また短期間だがマイルス・デイヴィスのバンドにも参加している。
[編集] 略歴
1970年に新バンドの結成をウェイン・ショーターに持ち掛けるが、彼はかねてよりジョー・ザヴィヌルとの間でニュー・グループの構想を練っており、それに加わる形となりウェザー・リポートが誕生。エレクトリック・ジャズバンドのビッグネームとして大きな話題を集めた。しかし集団即興重視の演奏に変わりジョー・ザヴィヌルがファンキーな要素を入れる為に、エレクトリック・ベースに持ち替えファンク・ビートを演奏するようビトウスに要求するようになり、音楽性の違いから次第に2人の仲が険悪なものとなっていく。1973年発表のサードアルバム『Sweetnighter』では実際にもう1人のベーシストとしてアンドリュー・ホワイトを起用するなどその溝が顕著となり、次の1974年発表『Mysterious Traveller』を最後に追われる形でバンドを脱退する。これを受けてビトウスはバンド名の「ウェザー・リポート」使用のロイヤリティーを求めての提訴を起こした。そんな事もあってかザヴィヌルとビトウスは現在も犬猿の仲のようで、ザヴィヌルは事あるごとにインタビューなどで彼を批判する発言を残している。
ウェザー・リポート脱退後、1979年にはECMレコードに移籍し『Emergence』など数々の意欲的なソロ作品を発表するようになるが心身疲弊を理由に1993年以降は演奏活動を休止する。しかしその期間中に音楽的なオーケストラ・サウンド・サンプルの制作の為に私財50万ドルと8年間を費やし、自ら作曲したモチーフをチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で収録したライブラリー音源「Universal Syncopations」を完成させる。これがヒット商品となりオーケストラ・ライブラリー音源の中でも大変有名なものとなる。
2003年にはほぼ10年ぶりとなるリーダーアルバム『Universal Syncopations』を発表し再び注目を集めている。

