プレーベン・エルケーア・ラルセン
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| 名前 | ||||
| 愛称 | ゴールケア、猛牛 | |||
| カタカナ | プレーベン・エルケーア・ラルセン | |||
| ラテン文字 | Preben Elkjær Larsen | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1957年9月11日(54歳) | |||
| 出身地 | フレゼリクスボー | |||
| 身長 | 183cm | |||
| 体重 | 73kg | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | FW | |||
| 利き足 | 左 | |||
| 代表歴 | ||||
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プレーベン・エルケーア・ラルセン(Preben Elkjær Larsen、1957年9月11日-)はデンマーク出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。
目次 |
[編集] 略歴
1980年代のデンマークを代表するFW。屈強な身体を活かした強引なドリブル突破と左足から放たれる強烈なシュートが特徴の選手で、「ゴールケア」「猛牛」の愛称で呼ばれた。
20歳の時に海外に渡り加入した1.FCケルンで奥寺康彦とのポジション争いに敗れたが、ベルギーのKSCロケレンで頭角を現し、1984年にイタリアの地方クラブ、エラス・ヴェローナに移籍した。ここでハンス=ペーター・ブリーゲルらと共にクラブを初のスクデットに導いた。 デンマーク代表では「ダニッシュ・ダイナマイト」「オランダの再来」と評された攻撃的なチームの一員として1980年代の同国の躍進に貢献した。 印象的なシーンとして1984年の欧州選手権準決勝スペイン戦、PK戦に縺れた試合でPKを外した場面と、1986年の メキシコW杯1次リーグ第2戦、古豪 ウルグアイ戦のハットトリックなどが挙げられる。
引退後、1995年にシルケボアIFでコーチを務めた後、現在は解説者を務め、主にUEFAチャンピオンズリーグの解説を担当している。
[編集] 選手歴
- 1973-1975
フレドリクスボア - 1976
バンローズ 15試合 7得点 - 1977-1978
1.FCケルン 9試合 1得点 - 1978-1984
KSCロケレン 190試合 98得点 - 1984-1988
エラス・ヴェローナ 130試合 48得点 - 1988-1989
ヴェイレBK 28試合 8得点
[編集] 代表歴
デンマーク代表 1977-1988 69試合38得点
- FIFAワールドカップ出場 1回(1986年メキシコ大会ベスト16)
- 欧州選手権出場 2回(1984年フランス大会ベスト4、1988年西ドイツ大会1次リーグ敗退)
[編集] 指導者歴
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- ブンデスリーガ 1回(1977-78)
- DFBカップ 2回(1977、1978)
- セリエA 1回 (1983-84)
[編集] 個人
- デンマーク年間最優秀選手 1回(1984)
- アディダス・ブロンズボール賞 1回(1986)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 98位(ワールドサッカー誌選出 1999)
[編集] 外部リンク
- PrebenElkjaer.com(イタリア語)
- Danish national team profile(デンマーク語)
- Vejle Boldklub profile(デンマーク語)
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