ブラン (オービタ)

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ブラン
Буран
ブラン (オービタ)
航空ショウでのブラン(1989年)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
名の由来 ロシア語で"吹雪"[1]
現況 引退; 2002年に格納庫の崩壊により破壊された
初飛行 1K1
1988年11月15日[1]
最終飛行 1K1
1988年11月15日[1]
ミッション数 1回[1]
乗客数 0人[1]
宇宙飛行
総時間
3時間
軌道数 2周[1]
An-225に載せられたブラン
罹災後のオービター
ブランOK-TVA(試験機)
ブラン初飛行を記念する切手

ブラン (ロシア語: Буран, ラテン文字表記の例: Buran) は、ソ連の各設計局が開発した宇宙船(宇宙往還機)、ないしは同機を初代オービタとする打ち上げ計画 (ブラン計画 (Buran programme) である。

「ブラン」とは「吹雪」特に「ステップの猛吹雪」を意味するロシア語の男性名詞。 ロシア語のカタカナ転写の方式の違いによる表記バリエーションにより、ブランのほかブラーンとも表記される。しばしば日本語文献で用いられるブーランという表記は誤りである。

ソ連版スペースシャトル[編集]

公表当時、「ソ連版スペースシャトル」と盛んに報道された。 初飛行はアメリカ合衆国のスペースシャトルより大きく遅れたが、ソ連はそれ以前からこれらに似た形状をした有翼宇宙往還機の構想を持っていた。[要出典]

この構想の宇宙船模型と、ソ連宇宙飛行士第一期生だったユーリイ・ガガーリンらが一緒に写っている写真があり、初飛行の40年近く前(1960年代頃)から考えられていた宇宙船である。

その模型の形は、スペースシャトル、ブランの両方に大変良く似ている。

そもそも宇宙往還機の構想は、アメリカにしろソ連にしろ、ドイツのオイゲン・ゼンガーが考え出し大戦中は極秘文章扱いだったゼンガー計画の計画書を占領後それぞれの国に持ち帰ったことが源流であり、シャトルの発想はアメリカでもソ連でもなくナチス政権下のドイツが発祥である。

TsAGIや各設計局、ソ連空軍などの研究機関により、小型の無人宇宙往還機「BOR」(ボル)や、一人乗りの宇宙往還機MiG-105「スピラーリ」 (Спираль) が製造され、各種試験が行われた。

スペースシャトルとの違い[編集]

ブランの後部姿勢制御・逆噴射エンジン。主に大気圏再突入時の逆噴射に使うだけなので、スペースシャトルのメインエンジンよりずっと小型である。

オービタの形状こそ似ているものの、スペースシャトルとブランの打ち上げシステムは全く異なっている。

スペースシャトルは、最終的に地球周回軌道に乗るオービタ自身が液体燃料ロケットエンジン (SSME) を備えており、このエンジンに対する燃料はオービタが腹に抱えている茶色の外部燃料タンクから供給される。SSMEは3基あるがこれらのみでは離昇 (リフトオフ) 時の推力が足りず、2本の固体ロケットブースタを外部タンクの両脇に装備している。

一方のブランは、オービタは大きなエンジンを備えていない。 同時に開発された大型ロケット「エネルギア」に軌道まで運んでもらい、その間は自ら推力を発生することなく、ぶら下がっているだけである。後部についているのはメインエンジンではなく、他の宇宙船にもある逆噴射ロケットであり、大きな出力はない。

このシステムでは、スペースシャトルのメインエンジンに相当する大型のロケットエンジンを装備しない分、ロケットエンジン自身の重量と燃料タンクがなくなるのでオービタの自量が軽くなり、積載量が多くなるほか、着陸時の速度を下げることができるのでスペースシャトルより安全に大気圏再突入ができる。その一方で、メインエンジンを再使用できないという欠点もある。

緊急脱出システムを持たないスペースシャトルと違い、ブランには搭乗人員全員分の射出座席を搭載し (一時期スペースシャトルには射出座席を取り付けられていたが、実際のミッションでは取り外されていた) 、また主エンジンを搭載していないためにロケットの不調の際にはエネルギアを切り離し、姿勢制御エンジンなどを用いて自力で滑走路に帰還することもできるようになっていた。

計画のその後[編集]

ブランは1988年11月15日午前3時 (協定世界時) にバイコヌール宇宙基地から発射され、206分間にわたり無人で地球軌道を周回し、発射場所であるバイコヌール宇宙基地の滑走路に自動着陸を成功させた。

予定では1992年に有人飛行を行うはずだったが、1991年のソ連崩壊と共にこの計画は消滅した。1号機ブランはカザフスタンのバイコヌール宇宙基地に保管されていたが、2002年5月12日に暴風に遭い失われた[2]。この出来事で作業員8人が死亡したとされる。また、2号機「プチーチュカ (小鳥)」3号機「バイカル (バイカル湖より)」など、いくつものブラン型派生モデル開発・製造途中だったが、これらも全て中止となった。現在は、バイコヌール宇宙基地内に設置されている博物館の園庭に試験モデルが保管されている。コックピットは当時のまま保存。その他はミュージアムになっている。[3]

船で輸送されている途中のブランOK-GLI

ブランの試験機であるOK-GLIは、2000年オーストラリアで展示されたあと2002年バーレーンに引き取られ、しばらくの間放置されていた。2004年にバーレーンからドイツのシュパイアーにあるシュパイアー技術博物館 (ドイツ語: Technik-Museum Speyer) に引き取られることが決定し、2008年3月6日から同年4月12日にかけて船で輸送された[4]

ブランには、O・K・アントーノフ記念航空科学技術複合が設計・製造したAn-225ムリーヤという世界最大の航空機が専用機として輸送の任にあたっていた。こちらは世界最大の貨物機として現役で活躍中である。

また、一時は放置状態だったAn-225が現役復帰する際にブランを商用衛星打ち上げ用として復帰させる計画もあった。実際には実現しなかったが、ロシア政府はプロトンロケットの限界を超える要求が今後増加した場合に備えてブランを現役に復帰させる計画を持っており、計画も「現時点で凍結」に改められている。

2013年9月にはロゴージン副首相がロシア南部で開かれた武器の展示会に出席した際、高度1万メートル以上を飛ぶ航空機は将来的に成層圏を飛行する可能性を指摘し、「遅かれ早かれ時代を先取りしたブランのような計画に立ち戻らざるを得ない」と述べ、旅客機としての開発再開もありうることを示唆した。

2005年に日本で行われた国際博覧会のロシア館でも「クリーペル」という有翼の宇宙船の模型が出品された。この展示の意図は、有翼宇宙往還機の計画を持っていたESAJAXAの興味を引いた。

試験機・フリート・派生型[編集]

試験機[編集]

6機のフルスケールモデルと多くのミニスケールモデルが製造された。

  • OK-GLI:飛行テスト用試験機。上の画像で輸送船に運搬されているモデルがOK-GLIである。1984年にロールアウトし、ランディングテスト(時速45キロ-230キロ)、飛行テスト、パイロット訓練用として活躍した。4基のAL-31ジェットエンジン自動操縦装置を搭載している。ジェットエンジンを持っているためアメリカのエンタープライズと異なり自力で離陸できる。飛行中にエンジンをシャットダウンし滑空することで訓練を行った。大気圏内専用。
  • OK-TVA:力学(振動)試験機。宇宙飛行状態での機体へのストレスについて、また力学的なテストが研究された機体。現在、モスクワゴーリキイ公園に展示されている。
  • OK-TVI:環境耐久試験機。0気圧での実験や、2500℃〜−150℃の加熱冷却試験が行われ、機体や耐熱タイルにかかるストレスについて実験された。
  • OK-KS:電気試験機。

フリート[編集]

  • ブラン:ブランの1号機(1.01)。生命維持装置は準備工事のみで実際には装着されなかった。
  • プチーチュカ:ブランの2号機(1.02)。ブランと同様生命維持装置が装着されていない。なお、プチーチュカは非公式の名称で、本来は「ブーリャ」と名付けられるはずだった。現在はカザフスタンバイコヌール宇宙基地の施設内に保存されている。赤い器具がペイロードドアに取り付けられている。
  • 2.01:ブランの実質3号機。生命維持装置付のブランとしては1号機。36RB射出座席が装備されていた。

派生型[編集]

  • MAKS-OS:4人乗りの小型の宇宙往還機。ブランと異なり二基のロケットエンジンを持ち、燃料タンクを機腹に装着してアメリカのスペースシャトル方式で発射されるもの。打ち上げは地上の射場ではなくAn-225からされる。またエネルギアの小型版「エネルギア-M」の頂部にも搭載可能。「モルニヤ」「ブリヤ」などのフリートが予定されていた。
  • OS-120:1975年に計画されたオービター案。システム、基本構想としては米スペースシャトルとほとんど同じである。ロケットエンジンを3基装備し、機腹に「グロム(Гром)」という燃料タンクを装着している。ただ、ゼニットをロケットブースターとして4機備えている点がスペースシャトルと異なる。
  • OK-92:1976年に計画されたオービター案。D-30ジェットエンジンを2基と姿勢制御ロケットエンジン1基を装備していて、「ブラーン」ロケットで打ち上げられる予定だった。

スペック[編集]

  • 全幅: 23.92m
  • 全長: 36.37m
  • 全高: 16.35m
  • 最大積載量:30t
  • 最大離陸重量:105t
  • ペイロードベイの長さ:18.55m
  • ペイロードベイ直径:4.65m
  • 搭乗最大数:10人

登場作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f Buran”. NASA (1997年11月12日). 2006年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月15日閲覧。; Buran - ウェイバックマシン(2008年1月28日アーカイブ分)
  2. ^ ロシア連邦宇宙局長、「ブランの復活はありえない」”. sorae.jp (2009年12月28日). 2011年3月17日閲覧。
  3. ^ EnglishRussia.com英語版 Buran, The First Russian ShuttleWhere is Buran Now?Buran. The Soviet Space Shuttle
  4. ^ ブラン試験機、ドイツの博物館へ”. sorae.jp (2008年4月9日). 2011年3月17日閲覧。

外部リンク[編集]