バルクーク

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バルクークアラビア語: برقوق / Barquq; 1336年 - 1399年、在位:1382年 - 1389年1390年 - 1399年)は、ブルジー・マムルーク朝の初代スルターン

カフカス出身のチェルケストルコ語版系マムルークで、1363年頃に奴隷商人アスアルディーによってカイロで売買されて、その縁からブルジー・マムルーク軍団(バフリー・マムルーク朝第8代スルターンカラーウーンが創設した軍団)に編入されることとなった。バルクークは優れた才智をもっていた人物であったため、そこであっという間にその軍団のリーダー格として頭角を現した。1377年にスルターンのアシュラフ・シャーバーンの暗殺に伴う内戦に勝利し、1378年には大アミールアターベクに就任して国政の実権を握った。

そして1382年、軍部の支持のもとにクーデターを起こして、バフリー・マムルーク朝のスルターンであったハーッジー2世を廃して自らスルターン位に即位し、ブルジー・マムルーク朝を開いたのである。

しかし即位後は、チェルケス系軍人を優遇して他系の軍人を冷遇したため、1389年にハーッジー2世を擁するトルコ系軍人によってアレッポにて反乱を起こされて一時的にスルターン位を追われた。しかし翌年、反攻して彼らを討ったうえで復位している。その後はオスマン帝国バヤジット1世と同盟を結んでティムールと対抗した。

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