アシュラフ・トゥーマーンバーイ

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アシュラフ・トゥーマーンバーイの肖像画(パオロ・ジョヴィオ筆)

アシュラフ・トゥーマーンバーイ(? - 1517年)は、ブルジー・マムルーク朝の第25代、最後の君主(在位:1516年 - 1517年)。

1516年に先代のアシュラフ・カーンスーフ・ガウリーオスマン朝スルタンであるセリム1世シリア北部で戦い(マルジュ・ダービクの戦い)、敗北し不慮の死を遂げたため跡を継いだ。しかしオスマン朝軍の進軍はとどまらず、アレッポダマスカスは抵抗無く平定された。

トゥーマーンバーイはカイロに兵力を集中させて抵抗の意を示すも、1516年末にカイロ近郊で行なわれたオスマン軍との戦いで大敗。1517年1月にオスマン軍がカイロに入城するとトゥーマーンバーイは逃亡したが、捕らえられて処刑され、マムルーク朝は滅亡した。

参考文献[編集]