ムザッファル・バイバルス
ムザッファル・バイバルス(アラビア語 الملك المظفّر ركن الدين بيبرس البُرْجي المنصوري الجاشنكير al-Malik al-Muẓaffar Rukn al-Dīn Baybars al-Burjī al-Manṣārī al-Jāshnakīr, 生没年:?-1310年)は、バフリー・マムルーク朝の第14代スルターン(在位:1309年-1310年)。即位名によりムザッファル・バイバルス الملك المظفّر بيبرس al-Malik al-Muẓaffar Baybars とも略称される。
即位前はスルターンの毒見役を務めていた。ナースィル・ムハンマドの第2治世では、同僚のサラールと共同でムハンマドの後見人を務めた。後見人とは名ばかりで、実際は最低限の食事と日用品の支給すら行わずにムハンマドを冷遇し、この事実を知ったカイロの民衆はスルターンの待遇改善を求めてデモを起こした。ムハンマドはこの機に乗じてバイバルス、サラールの打倒を図るが計画は事前に漏れ、バイバルスらはムハンマドの監視をより一層強めた。デモの後にバイバルス、サラールの党派とスルターンの親衛隊を構成するブルジー・マムルークの間に対立が起き、政争に嫌気がさしたムハンマドはメッカ巡礼に旅立ち、1308年にカラクに到着すると退位を宣言してカラクに留まった。この行動に驚いたバイバルスたちはムハンマドにカイロに戻るよう懇願するが、彼らの声は聞き入れられず、空位となったスルターンの椅子に誰が座るかが問題となった。
最初にサラールがスルターンに推薦されるがブルジー・マムルークの反対によって辞退し、サラールが代わりに推薦したバイバルスが即位することで妥協がなった。治世の初期に、天災によってナイル川の水量が減少したために物価の高騰が起こり、食料を求める民衆の抗議を受ける。バイバルスは民衆の襲撃から身を守るためにテュルク系マムルークを護衛として購入するが、この人事が非テュルク系マムルークの反感を買った。加えて、マムルークの中にはカラクのムハンマドを支持する者も多く、彼はムハンマドにマムルークと輜重の引き渡しを要求した。ムハンマドはこの要求を拒否、バイバルスに反感を抱いていたシリア各地の太守を味方につけ、カラクで挙兵した。1309年にムハンマドはダマスクスに入城、カイロの将校にもムハンマドの側に走るものが多く、バイバルスはサラールら側近と相談した結果、王位をムハンマドに明け渡して助命を嘆願した。ムハンマドの即位後にシリアへの逃亡を企てるが失敗し、獄中で殺害された。
参考文献 [編集]
- 大原与一郎『エジプト マムルーク王朝』(近藤出版社.1976年10月)
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