ナジョージュヌイ (砕氷艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナジョージュヌイ
クラースヌイ・オクチャーブリ
カピターン・ダヴィードフ
ダヴィードフ
1924年のヴランゲリ島探検の際に撮影された
氷上の砲艦クラースヌイ・オクチャーブリ
艦歴
ナジョージュヌイ
Надежный
起工 1896年 ブルマイスター&ヴァイン造船所
進水 1896年11月12日
竣工 1897年5月27日
所属 ロシア帝国海軍太平洋艦隊
大日本帝国海軍(1918年6月20日 - )
除籍 1921年1月
修復 1922年10月 - (赤軍による)
クラースヌイ・オクチャーブリ
Красный Октябрь
編入 1924年2月27日
所属 赤色海軍太平洋艦隊
カピターン・ダヴィードフ
Капитан Давыдов
改称 1925年
所属 赤色海軍太平洋艦隊
ダヴィードフ
Давыдов
所属 赤色海軍太平洋艦隊
ソ連海軍太平洋艦隊
退役 1956年
除籍 1957年5月21日
要目
艦種 港湾砕氷艦砲艦
艦型 ナジョージュヌイ級
排水量 1525 t
全長 54.9 m
全幅 12.9 m
喫水 3.9 m
機関 垂直2倍膨張式蒸気機関 1 基
出力 2920 hp
シリンダー 4 基
スクリュー 1 基
電源 ディーゼル発電機BTU-63 2 基
発電 52900 kWt
速力 最大速度 13.5 kn
公試速度 14.9 kn
航続距離 2040 nm/9 kn
乗員 士官 4 名
水兵 42 名
武装 120 mm単装(1924年時) 4 門
装甲 なし
砕氷装備 幅183 m、厚さ25.4 mmの鋼板

ナジョージュヌイ(ロシア語:Надежныйナジョージュヌィイ)は、ロシア帝国の港湾砕氷艦(Портовый ледокол)である。艦名は「頼りになる」といった意味のロシア語の形容詞である。

概要[編集]

1896年コペンハーゲンブルマイスター・ウント・ヴァイン造船所で起工された。同年11月12日には進水1897年5月27日には竣工した。艦はデンマーク人の指揮の下スエズ運河を経由してヴラジヴォストークへ回航され、太平洋艦隊に編入された。

1904年から行われた日露戦争では、ナジョージュヌイは非力ながら太平洋艦隊の1艦として活動した。

1917年ロシア革命が勃発すると、1918年春には港は放棄された。6月20日にはシベリア出兵の干渉軍によって捕獲され、1921年1月には干渉軍によって艦隊から除籍された。

1922年10月には、赤軍の手によって復旧された。1924年2月27日には「十月」という意味のクラースヌイ・オクチャーブリ(Красный Октябрьクラースヌィイ・アクチャーブリ)と改称され、砲艦に種別を変更された。このときの武装は、日本製の120 mm4 門であった。

7月20日には、全ロシア中央執行委員会の革命名誉称号を受けた。同日から10月29日にかけて、ボリース・ダヴィードフの指揮下、クラースヌイ・オクチャーブリはヴランゲリ島に赤軍部隊を上陸させ、この地を占領した。

この偉業を讃え、1925年には艦名がカピターン・ダヴィードフ(Капитан Давыдовカピターン・ダヴィーダフ)に変更された。のち、艦はたんにダヴィードフ(Давыдов)と呼ばれるようになった。

1925年3月2日からダヴィードフは港湾警備に就いた。1926年には、種別が港湾砕氷艦に戻された。

大祖国戦争時には、武装の上、砕氷任務を伴う実戦活動に投入された。1943年9月10日から12月11日にかけては、カナダバンクーバーにてオーバーホールを施工された。

1956年には実用から外され、保管状態に入れられた。1957年5月21日には海軍より除籍された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]