トゥイステッド・シスター

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トゥイステッド・シスター
Twisted Sister
トゥイステッド・シスター (2007年、スウェーデンにて)}
トゥイステッド・シスター (2007年、スウェーデンにて)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ヘヴィメタル
グラムメタル
ハードロック
活動期間 1972年 - 1988年
1997年 - 現在
レーベル アトランティック
スピットファイア
レイザー&タイ
シークレット
公式サイト Official site
メンバー
ディー・スナイダー
エディ・オヘダ
ジェイ・ジェイ・フレンチ
マーク・メンドサ
A.J.ペロ
旧メンバー
元メンバーを参照

トゥイステッド・シスター (Twisted Sister)は、1972年アメリカで結成されたヘヴィメタルバンドである。ジューダス・プリーストのような伝統的なヘヴィメタルのスタイルを維持し、たびたびヘヴィメタルバンドの代表例として扱われる。曲に関してはほとんどが、親対子の関係や教育制度をテーマにしたものであり、ミュージックビデオやライヴはコメディックで独特なものが多いのも特長である。コミカルな部分も受け入れられ、現在ではバンドとして、多くの子供向け番組に出演している。

1972年にギタリストのジェイ・ジェイ・フレンチによって結成されているが、現在までの主な発表曲はすべて、1976年のヴォーカル、ディー・スナイダー加入以降に彼によって作曲されたものである。デビューアルバムは結成から10年近く経った1982年にリリースされている。

歴史[編集]

結成 (1972 - 1976)[編集]

トゥイステッド・シスターは1972年12月に、フランス人でギタリストのジェイ・ジェイ・フレンチによって、アメリカ、ニューヨーク市で結成された。1973年2月には他に4人のメンバーが加入、1975年にボーカルとギターの支援として、ジェイの高校からの友人であったエディ・オヘダが参加した。しかしその後は、ジェイとエディを除くラインナップは変更を続けている状態であり、認知度はなかなか高まらなかった。バンドはグラムロックバンドとしてデヴィッド・ボウイスレイドモット・ザ・フープルハンブル・パイニューヨーク・ドールズなどから影響を受けていたが、1976年まではクラブなどでライヴを行う程度であった。

デビューとヒット (1976 - 1982)[編集]

バンドは1976年に、ボーカルと作曲担当としてディー・スナイダーを迎えた。また、ドラマーはグレースからトニー・ペトリに変更された。またこれを機にバンドの指向は、アリス・クーパーブラック・サバスモーターヘッドから影響を受け、重い感じのメタルへとかわった。

バンドの指向は当時既に流行遅れであったが、ディーの優れた能力は大きく貢献し、まずはニューヨーク近辺での認知度を急進的に上げた。ファンも次第に増え、1979年には "I'll Never Grow Up Now" を、1980年には "Bad Boys (Of Rock & Roll)" を、彼ら自身のレーベルでリリースした。

MTVにおける期間 (1982 - 1985)[編集]

1982年6月に、バンドは最初のEPである "Ruff Cuts" を、シークレット・レコードからリリースした。またその直後、最初のスタジオアルバムである "Under Blade" をリリースした。この時期に、後に大ヒット曲となる "We're Not Gonna Take It" のシングルでのリリースも計画されていたが、ディーがこの曲の歌詞を書き終える前に、契約先のレーベルであったシークレット・レコードが倒産してしまったため、"We're Not Gonna Take It" のリリースは後に持ち越されることとなる。この頃バンドは、他のメタルバンドとイメージを区別するために、女装をしていた。

その後、バンドはテレビの音楽番組 "The Tube"への出演を決めるとともにアトランティック・レコードと契約を交わした。アトランティックの元での最初のLPは、1983年"You Can't Stop Rock 'n' Roll""I Am (I'm Me)"" であり、後者はイギリスで19位の座を獲得した。"You Can't Stop Rock'n'Roll" のミュージックビデオも制作された。

1984年5月10日には、バンドとして3作目のアルバムの"Stay Hungry"をリリースし、これによってバンドは世界的な人気を獲得した。ツアーも成功した。Stay Hungry1985年夏だけで200万枚以上が売れた。また翌年も300万枚以上を売ることになった。"We're Not Gonna Take It" (US 21位) と "I Wanna Rock" (US 68位) のミュージックビデオも製作された。

しかし、"Under the Blade""We're Not Gonna Take It" のミュージックビデオは「両親や教師に対しての反抗的な場面を特集している」とも批判され、ペアレンタル・アドバイザリー (PMRC)の委員会によって対象作品とされた。

1985年3月には、現時点で唯一となる来日公演を行っている。2014年現在

人気の衰退 (1985-1987)[編集]

1985年11月9日に、バンドは4作目のスタジオアルバムとなる、 "Come Out and Play"をリリースした。このアルバムは50万枚を売り上げ、バンドにとっての利益にはなったものの、前作のようなヒットにはいたらなかった。アルバムではブライアン・セッツァーアリス・クーパークラレンス・チャンビリー・ジョエルのようなミュージシャンも製作に加わっていたが、"Come Out and Play"のツアーでは彼らの多くが欠席し、また多くのライヴが中止となった。アトランティックによってリリースされた、"Under Blade"のリミックス版アルバムでさえ、バンドの人気を再び取り戻すことはできなかった。

また、アルバムのリリースに、ドラマーのペロは別バンドに移り、トゥイステッド・シスターには不在となってしまった。ペロの後任にはジョーイ・"7"・フランコが当たった("7"というニックネームは、トゥイステッド・シスターにおける7代目ドラマーであることを意味している)。

1987年8月13日には、スタジオアルバム "Love Is for Suckers"がアトランティックのレーベルでリリースされた。このアルバムにはポップの要素も含まれていた。

しかし、バンドの人気の回復は果たせなかった。

"Love Is for Suckers"のリリースから約2ヵ月後の1987年10月12日に、ディー・スナイダーはトゥイステッド・シスターから脱退した。また、アトランティックとバンドとの契約も取り消された。ヴォーカル不在となったバンドは、1988年1月に解散を発表した。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオアルバム[編集]

外部リンク[編集]