ハンブル・パイ
| ハンブル・パイ | |
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック, R&B, ブルースロック |
| 活動期間 | 1969年 - 1975年 |
| レーベル | Immediate, A&M |
| 公式サイト | www.humble-pie-net |
| 旧メンバー | |
| スティーヴ・マリオット ピーター・フランプトン クレム・クレムソン グレッグ・リドリー ジェリー・シャーリー |
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ハンブル・パイ(Humble Pie)は、イギリスのロックバンド。そのハードなライヴ・パフォーマンスでよく知られた。
目次 |
結成メンバー [編集]
- スティーヴ・マリオット(リード・ボーカル、ギター、キーボード・元スモール・フェイセス)
- ピーター・フランプトン(リード・ボーカル、リード・ギター・元ハード)
- グレッグ・リドリー(リード・ボーカル、ベース・元スプーキー・トゥース)
- ジェリー・シャーリー(ドラムス)
経歴 [編集]
後の形態から見落とされがちであるが、ハンブル・パイはもともとフランプトンが中心となって結成された[要出典]。ハード時代におけるアイドル路線からの脱皮を図ろうと考えていたフランプトンに、マリオットがスモール・フェイセスへの加入を打診する。他のメンバーの反対で実現しなかったが、その代わりとして新たなバンド結成を計画したフランプトンに、マリオットがリドリーとシャーリーを紹介した。ところが偶然マリオットもバンド内の確執からスモール・フェイセスを抜けることになり、マリオットもハンブル・パイに加入することになったのである。(スモール・フェイセスはマリオットの後任にフランプトンを誘うが、当然の如く断られている)
大きな成功を収めたミュージシャンたちによるハンブル・パイの結成は「スーパーグループ」として大きく期待された。グループはマリオットのエセックス州モアトンのコテージで秘密裏にレコーディングを始める。彼らはアンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイト・レコードと契約し、デビュー・シングル『ナチュラル・ボーン・ブギー』は1969年にリリース、イギリスで5位のヒット曲となった。続いてリリースされたアルバム『アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ』はスモール・フェイセスを受け継いで発展させた作品として高く評価された。セカンド・アルバム『タウン・アンド・カントリー』は1969年にリリースされ、前作に比べよりアコースティックな路線のアルバムとなった。この当時のハンブル・パイのコンサートはエレクトリック・セットに続くアコーステック・セットが設定され、後のバンドの多くがそのスタイルを取り入れるようになった。またこういったスタイルは、マリオットのロック志向とフランプトンのポップ志向の折衷といえた。しかし、それはバンドの方針に迷いを与える結果ももたらし、合わせてアコースティック路線は、アメリカのファンからはあまり歓迎されなかったといわれる。
1970年にイミディエイトの経営が破綻し、バンドはA&Mレコードへ移籍、マネージメントの体制も変化した。同年にアルバム『大地と海の歌』がリリースされ、1971年には『ロック・オン』がリリースされる。それはプログレッシヴ・ロックとブギー・ロックスタイルが交互に表れたものだった。この頃からマリオットの持ち味であるソウルフルな歌が前面に押し出されはじめ、彼らのフィルモア・イーストでのステージを捉えた『パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア』は当時最高のロック・ライヴアルバムの一つと見なされた。同作収録曲の 『アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター』(レイ・チャールズのカバー)はアメリカのFM局で大きなヒットとなり、アルバムをバンド最高の商業的成功作とした。
しかしながら、本作リリース当時フランプトンは音楽性の相違からバンドを脱退していた(後ソロとなって大成功を収めることになる)。フランプトンの後任として元ベイカールー・コロシアムのデイヴ「クレム」クレムソンが加入し、バンドはマリオットを中心とするブルース、ソウル路線により一層進むこととなる。1972年の『スモーキン』では『ほら穴の30日間』がヒットし、バンドはツアーを継続していく。
1973年に『イート・イット』のメンバー(スティーリー・ダンのバックも務めた黒人女性コーラスグループ、ブラックベリーズを含む)で来日。不運にも、ベック・ボガート & アピスと時期が重なったため、話題をさらわれてしまった。
1974年の二枚組『イート・イット』は三面がリズム・アンド・ブルースのカヴァーやオリジナルを収めたスタジオ作品、一面はライヴが収録された。
この頃から絶え間ないツアー活動によりバンドが疲弊。1975年の「Goodbye Pie Tour」の後に解散した。
1980年にマリオットはシャーリーと共に、ギターにボブ・テンチ(元ジェフ・ベック・グループ)、ベースにアンソニー「スーティ」ジョーンズを加えハンブル・パイを再結成する。再結成ハンブル・パイは2枚アルバムをリリースしたが、間もなく解散した。
この後、バンド名義の使用権を得たシャーリーは、ファストウェイ脱退後の1980年代後半、チャーリー・ヒューン(元テッド・ニュージェント他)等を伴って度々ハンブル・パイ名義のバンドで活動していた。
1991年にマリオットとフランプトンが再び協力を始める。ハンブル・パイの再結成が期待されたが、実現する前にマリオットが焼死し、再結成は実現しなかった。
2001年の『スティーブ・マリオット・メモリアルコンサート』にて一時的な再結成を果たす。この時のメンバーはピーター・フランプトン(ギター)、グレッグ・リドリー(ベース)、ジェリー・シャーリー(ドラムス)のオリジナルメンバーに加えて、フランプトンの後任のデイヴ「クレム」クレムソン(ギター)。『フォー・デイ・クリープ』、『ナチュラル・ボーン・ブギー』、『ハレルヤ』、『シャイン・オン』、『アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター』の5曲を演奏した。
2002年にアルバム『Back On Track』発表。この時のメンバーはグレッグ・リドリー(ベース)、ジェリー・シャーリー(ドラムス)のオリジナルメンバーに加えて、再結成時メンバーのボブ・テンチ(ギター)そしてテイブ・コルウェル(ギター)。
2003年にグレッグ・リドリーが死去。
ディスコグラフィ [編集]
- アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ - As Safe As Yesterday Is (1969)
- タウン・アンド・カントリー - Town And Country (1969)
- 大地と海の歌 - Humble Pie (1970)
- ロック・オン - Rock On (1971)
- パフォーマンス〜ロッキン・ザ・フィルモア - Performance Rockin' The Fillmore (1971)
- スモーキン - Smokin' (1972)
- イート・イット - Eat It (1974)
- サンダーボックス - Thunderbox (1974)
- ストリート・ラッツ - Street Rats (1975)
- On To Victory (1980)
- Go For The Throat (1981)
- The Scrubbers Session (1997)
- Back On Track (2002)
- アトランタ・イヤーズ - The Atlanta Years (2005) - never before released studio album from 1980 and live performance from 1983
外部リンク [編集]
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