ダヴィッド・オイストラフ

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ダヴィッド・オイストラフ
基本情報
出生名 Давид Фёдорович Ойстрах
出生 1908年9月30日
出身地 ウクライナ オデッサ
死没 1974年10月24日(満66歳没)
オランダ アムステルダム
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニストヴィオラ奏者、指揮者
担当楽器 ヴァイオリン、ヴィオラ、指揮
活動期間 1914年 - 1974年
公式サイト www.oistrakh.com
  

ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフ(あるいはオイストラッフとも、Давид Фёдорович Ойстрах, David Fiodorovich Oistrakh、1908年9月30日 - 1974年10月24日)は、ソ連(現在はウクライナ)のオデッサ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。使用楽器は1705年製ストラディヴァリウス「マルシック」。息子イーゴリ・オイストラフもヴァイオリニストである。

数多くの録音と、数々の献呈されたヴァイオリン作品を誇る。とりわけショスタコーヴィチハチャトゥリアンヒンデミットの協奏曲の録音で著名だが、ブラームスチャイコフスキーブルッフなど、より古典的なレパートリーにも通じていた。ロシア内外のオーケストラとの共演も数多く、ロストロポーヴィチリヒテルカラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とともに演奏したベートーヴェンの『三重協奏曲』の録音は、名演として知られている。

オイストラフは学生時代はヴィオラを演奏しており、しばしば考えられているのとは反対に、大器晩成型の演奏家であって、生まれついてのヴァイオリニストではなかった。1935年ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、15歳のジネット・ヌヴーに敗れて、第2位に甘んじている。名ヴァイオリニストとの伝説が広められたきっかけは、1937年ブリュッセルエリザベート王妃国際音楽コンクールで首位をかち取り、世界の檜舞台にその名を轟かせたからだった。その後はモスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続けたが、ソ連が第二次世界大戦に参戦すると、最前線に出て慰問演奏を行なった。

教師としても声望に恵まれ、中でもギドン・クレーメルは最もすぐれた門人である。息子のイーゴリ1931年4月27日 - )も指揮者、ヴァイオリニストとして著名で、しばしば親子で共演し、録音を残した。

1974年アムステルダムで演奏旅行中に客死、遺体はモスクワに送られ、同地で埋葬された。

オイストラフの演奏は、若い頃の切れ味するどい情熱的な演奏と、晩年の枯れた音色を出すようになってからの2つの時期に分けることができ、それぞれの時期に固定的な愛好家がついている。