ギリシア火薬
ギリシア火薬(Greek fire または Byzantine fire)は、東ローマ帝国で使われた古代の兵器である。ギリシアの火やギリシア火とも呼ばれ、後述の通り、水を吸って燃え上がるため、液火とも呼ばれる。
7世紀後半にキリスト教徒のシリア人カリニコスが発明したといわれている(それ以前中東で発明され、カリニコスはそれを伝えただけという説もある[1])。空気に触れると着火する燃える液体で、ホースなどから発射し火炎放射器のように使用したという。言い伝えでは、この火は水中でも燃え続け、水をかけるとかえって燃え広がったとされている。
この液体の製法は東ローマ帝国の国家機密であったため門外不出とされていた。10世紀の皇帝コンスタンティノス7世は、息子のロマノス2世に対し「聞かれても絶対教えてはならない」と書き残している。このため帝国の滅亡と共にその製法は失われ、現在に伝わっていない。ただし幾つか仮説が立てられており、おそらく硫黄・酸化カルシウム・石油などの原料を大釜で熱し、サイフォンの原理で吸いあげていたのではないかと考えられている。またはナフサに硫黄、松やにを混合したものではないかと言う説もある。一方アラブには原料と製法を異にする同種の兵器が複数あり、どれが東ローマで使われたものと同一なのかは判然としない。
ギリシア火薬の使用は東ローマ帝国の海軍によるものが特に知られている。ギリシア火薬を装備したドロモーン戦艦は何世紀にもわたりコンスタンティノポリスをアラブ海軍から防衛した。また陸上でも攻城戦では積極的に使われ、コンスタンティノポリスの城壁から、ギリシア火薬を攻撃してくる敵へ向けている絵画などが残されている。アッバース朝軍にはこれを含む焼夷兵器の専門部隊(naffatun)が存在するなど西アジア全域でも広く使われ、十字軍が使用した記録もある[2]。一説にはマグリブやイベリア半島で火薬兵器の開発が盛んだったのは、原料となる石油がこの地域では産出されなかったからだと言う。
[編集] 脚注
- ^ アフマド=Y=アルハサン・ドナルド=R=ヒル『イスラム技術の歴史』多田博一・原隆一・斎藤美津子訳、平凡社、1999年、142-143項
- ^ エリザベス=ハラム『十字軍大全』川成洋・太田直也・太田美智子訳、東洋書林、2006年、356項