ネセバル

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座標: 北緯42度39分 東経27度44分 / 42.65°N 27.733°E / 42.65; 27.733

ネセバル
Несебър
ネセバル (Bulgaria)
ネセバル
ネセバル
ブルガリア内のネセバルの位置
ブルガリアの国旗 ブルガリア共和国
州(オブラスト) ブルガス州
基礎自治体 ネセバル
自治体全域の人口 20075[1]
(2008年9月15日現在)
町の人口 9806[1]
(2008年9月15日現在)
ナンバープレート A
標準時 EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3
logo

ネセバルの歴史都市
ブルガリア

ネセバルの全能者ハリストス聖堂
ネセバルの全能者ハリストス聖堂
(英名) Ancient City of Nessebar
(仏名) Ancienne cité de Nessebar
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(3),(4)
登録年 1983年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
  
St John Aliturgetos聖堂(14世紀)
前駆授洗イオアン聖堂(11世紀)
ネセバルの木造建築
ネセバルの旧市街

ネセバルブルガリア語:НесебърNesebar)、あるいはネセブルブルガリアの古代都市であり、現在では海岸沿いのリゾート地となっているブルガス州の町、およびそれを中心とした基礎自治体トラキア語での名称はメネブリア (Menebria)、現代ギリシャ語ではメシンヴリア (ΜεσημβριαMesimvria)、かつての名称はメセンブリア (Mesembria) である。ネセバルは3千年紀を超える長い歴史に裏付けられた、豊かな都市博物館である。

ネセバルか黒海で最も顕著な旅行先であり、リゾート地である。ネセバルには多くのリゾート拠点があるが、その中で最大のものは町のすぐ北に位置しているサニー・ビーチである。

ネセバルの古代都市は、細長い人口の地峡によって大陸部とつながった半島(かつては完全な島であった)の上に築かれ、その地形ゆえに多くの異なる文明による征服から逃れてきた。その豊富な歴史的建造物の存在により、ネセバルは1983年UNESCO世界遺産に登録された。

目次

[編集] 歴史

もともとは、紀元前2千年紀に興ったメナブリア (Menebria) という名のトラキア人の集落であり、メガラ (Megara) からきたドーリア人によって紀元前6世紀初頭にギリシャ植民地となった。以降、重要な交易拠点として、アポロニア(ソゾポル)のライバルとなった。ヘレニズム時代の遺物にはアクロポリスアポローンの神殿、そしてアゴラがある。青銅のコインが紀元前5世紀から、のコインが紀元前3世紀から鋳造されていた。

町は紀元前71年にローマ帝国の支配下となるが、その後も独自のコインの鋳造など以前からの特権は守られた。町は紀元後5世紀以降のビザンティン帝国時代には最も重要な要塞のひとつとなり、ビザンティンと第一次ブルガリア帝国の間の戦闘が行われた。812年にはブルガリア帝国のクルム (Krum) によってブルガリアの支配下となったが、2週間の包囲の後にビザンティンへと復した。864年にはブルガリア皇帝シメオン1世によって再征服され、再度ブルガリア領となった。

第二次ブルガリア帝国の時代もまた、ネセバルはブルガリアとビザンティンの争いの的となり、ブルガリア帝国のイヴァン・アレクサンダル帝(在位1331年-1371年)の支配下で反映を謳歌したが、サヴォイ泊アマデウス6世 (en) 率いる十字軍に征服された。1366年に町はビザンティンの支配下に復する。町のスラヴ語名称であるネセバル (Nesebar)、あるいはメセバル (Mesebar) の名は11世紀以降使われていたことが明らかにされている。

中世からの建造物には、5世紀-6世紀にかけての「古主教区」(Стара Митрополия / Stara Mitropoliyaen。聖ソフィア聖堂。トランセプトがない)、10世紀の聖堂(生神女聖堂)、11世紀の「新主教区」(Нова Митрополия / Nova Mitropoliyaen。聖ステファン聖堂)、聖パラスケヴァ聖堂 (en)、聖テオドレ聖堂、聖ミハイル聖堂、聖ガブリエル聖堂、St John Aliturgetos聖堂などがある。

町は1453年にビザンティン帝国からオスマン帝国の支配下へと変わり、町は衰退を始めるが、その歴史的遺物は保存され、また19世紀にはブルガリアの黒海沿岸部で典型的な東ルメリア様式の木造建築の家屋が建ったことでその重みを増した。1878年のブルガリア解放以降は、ネセバルはオスマン帝国の自治州である「東ルメリ自治州」の一部となり、後の1886年に同自治州がブルガリアに併合されたことにより、ブルガリア領となった。

19世紀の末には、ネセバルはギリシャ人の漁民、ワイン生産者の住む小さな村となっていたが、20世紀に入ってからはブルガリアの沿岸部リゾートの要として開発が進められた。1925年の住民交換によりギリシャ人が追放されてから新市街が建設され、歴史的地区は修復された。

[編集] 聖堂

ネセバルは、時に最も面積あたりの聖堂の数の多い街といわれる[2][3]。これはおそらく事実に反するが、それでもなおネセバルに立ち並ぶ多様な聖堂は特筆すべきものである。その代表的な聖堂には次のようなものがある。

  • 古主教区/聖ソフィア聖堂(5世紀-6世紀、en
  • 生神女Eleoussa聖堂(6世紀、en
  • 前駆授洗イオアン聖堂(11世紀、en
  • 新主教区/聖ステファン聖堂(11世紀。16世紀-18世紀に修復、en
  • 聖テオドレ聖堂(13世紀、en
  • 聖パラスケヴァ聖堂(13世紀-14世紀、en
  • 大天使ミハイル・ガウリール聖堂(13世紀-14世紀、en
  • 全能者ハリストス聖堂(13世紀-14世紀、en
  • St John Aliturgetos聖堂(14世紀、en
  • 聖スパス聖堂(17世紀、en
  • 聖クリメント聖堂(17世紀、en

ビザンティン帝国時代、ブルガリア帝国時代、オスマン帝国時代のいずれに建てられたものも、ネセバルの聖堂群は正教会における重要な建築遺跡であり、初期キリスト教様式から中世のクロス・ドーム様式への変遷の過程を見ることが出来る。

[編集] 世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

[編集] 町村

ネセバルは、ブルガス州ネセバル基礎自治体 (Община Несебър) の中心である。ネセバル自治体には、ネセバルをはじめ、以下の町村が存在している。


ネセバル歴史地区のパノラマ画像。半島部によって作られる湾の対岸から望む

[編集] ギャラリー

[編集] 参考文献

  • EvaluationPDF of the International Council on Monuments and Sites, June 1983


  1. ^ a b Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване (2008年09月15日). "Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес" (ブルガリア語). 2008-10-08 閲覧。
  2. ^ http://www.villabeneia.com/Site/okolnostite.htm
  3. ^ http://bg.zonebulgaria.com/cherno_more/nesebar/istoria/

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ