ウルム

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ウルム
Ulm

紋章
ウルムの位置(ドイツ内)
ウルム
ウルム
座標: 北緯48度24分0秒 東経9度59分0秒 / 北緯48.40000度 東経9.98333度 / 48.40000; 9.98333
ドイツの旗 ドイツ
バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区 テュービンゲン行政管区
地域連合 ドナウ=イラー地域連合
郡独立市
行政区域 18 Stadtteile
行政
 - 市長 イーフォ・ゲンナー (SPD)
面積
 - 計 118.69km2 (45.8mi2)
最高部 646m (2,119ft)
最低部 459m (1,506ft)
人口 ([1])
 - 計 117,977人
 - 人口密度 994人/km² (2,574.4人/mi²)
郵便番号 89073 – 89081
市外局番 0731, 07304, 07305, 07346
ナンバープレート UL
自治体コード 08 4 21 000
ウェブサイト www.ulm.de
ウルム大聖堂とその周辺
ドナウスタジアム停留所のシュトラーセンバーン車両
大聖堂へスクールトリップ
大聖堂よりドナウを望む
ウルムの風景(1900年頃)

ウルムアレマン語・標準ドイツ語Ulm)は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州南部に属する都市。

世界で最も高い尖塔を有するウルム大聖堂ルネ・デカルト直交座標系を思いついた地、物理学者アルベルト・アインシュタインの出生地として知られる。人口は約12万人(2004年末)。

地勢・産業[編集]

ドナウ川の左岸、バーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州の州境に位置する。商工業が盛ん。近隣の都市としては、ドナウ川の東側に隣接するノイウルム(新ウルムの意)、約70キロ東にアウクスブルク、55キロ西にロイトリンゲン、70キロ北西にシュトゥットガルトが挙げられる。

歴史[編集]

ドナウ川沿いに位置したため、中世より交通の要所として栄えた。12世紀には、帝国都市としての特権を認められた。1327年にはツンフト闘争を通じて、手工業者が市政に関わるようになった。14世紀後半に成立したシュヴァーベン都市同盟ドイツ語版英語版においては、中心的な役割を果たした。1619年、フランスの哲学者デカルトは、この街の近郊にある炉部屋での思索を通じて、生涯を通じて彼を虜にする「驚くべき学問の基礎」を見出したとされる。

1805年、20万を超えるナポレオンの大軍が、ウルムでオーストリア軍を撃破した。この2ヶ月後、ナポレオンはアウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア軍に大勝を収めることになる。

第二次世界大戦においては、旧市街の80パーセントほどが破壊される打撃を被ったが、大聖堂は無事であった。また、街も戦後に復興を果たして今日に至っている。

文化[編集]

ミュンスターと呼ばれるゴシック建築ウルム大聖堂(厳密には小教区教会)が有名である。尖塔は高さが161.53メートルで、教会の塔として世界一の高さを誇る。また、指揮者カラヤンは、この街の市立歌劇場において、オペラ『フィガロの結婚』でデビューを果たしている。

東京タワーの第一展望台とほぼ同じ高さの尖塔の先端140m近辺まで、螺旋階段により登ることができる。登り切るまで約30分かかる。螺旋階段には大きな風抜きの窓が随所に開けられており、降りは遥か彼方下方に小さな人影をみて、地震が来て塔が崩れないことを祈る心地になる。

人口10万人程度の地方都市であるが、町にはLRT:路面電車(シュトラーセンバーン)が走っている。

またアウトバーンの交通の要衝(十字路)になっており、西のカールスルーエ、シュトゥットガルトよりミュンヘンへ向かうアウトバーン8号線、北のヴュルツブルクより南のフッセンへ向かうアウトバーン7号線の交差点(Kreuz:クロイツ)になっている。アウトバーンの路線番号は東西方向が偶数、南北方向が奇数に割り振られている。

スポーツ[編集]

ウルム出身の人物[編集]

ウルムに関係がある人物[編集]

姉妹都市[編集]

早口言葉[編集]

ウルムはドイツでは早口言葉でも有名である。

In Ulm, um Ulm, und um Ulm herum.

脚注[編集]

  1. ^ バーデン=ヴュルテンベルク州の市町村別人口 2012

外部リンク[編集]