アンナ・マクダレーナ・バッハ

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アンナ・マクダレーナ(マグダレーナ)・バッハ (Anna Magdalena Bach, 1701年9月22日 - 1760年2月22日または2月27日 ライプツィヒ、旧姓ヴィルケWilcke )は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの後妻で、ドイツ声楽家ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの末子としてツァイツに生れる。母マルガレータ・エリザベートは、オルガニストの娘であった。アンナ・マクダレーナ・バッハの名は、三つのかたちでこんにち伝えられている。一つは、曲集《アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳》、後世に創作された『アンナ・マクダレーナ・バッハの日記』(邦訳:アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』)、そして映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」である。


目次

[編集] 生涯

1720年には、アンハルト=ケーテン侯レーオポルトの宮廷ソプラノ歌手としてケーテンでは有名だった。同地で1717年より宮廷楽長を務めるヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。1721年12月3日に結婚した。

バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している。生き延びた子のうち、作曲家として名を揚げたのが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハヨハン・クリスティアン・バッハであった。

バッハとは、共通する音楽への関心によって結ばれ、幸せな家庭生活を送ったとされており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、次第に夫のそれと似るようになったと言われている。

バッハの死後1750年には、成人した息子たちはそれぞれ独立しており(未成年のクリスチャンは裕福な次男カール・フィリップに引き取られた)、アンナは二人の未婚の娘と同居を続けた。娘たちはアンナに尽くしたが、自立した息子たちから経済的に援助を受けていたという形跡は見られない。当時の音楽家の妻が寡婦になり、困窮したときの習慣に従って、慈善団体のからの施しや市参事会の給付金にすがって余生を送ったとされている。バッハの息子たちとは音信不通になっていたらしく、義母あるいは実母の窮状を知る者はいなかったようだ。

[編集] アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳

「アンナ・マクダレーナ・バッハのための練習帖」とも呼ばれる。ベルリンの国立図書館古文書館から、音楽学者アルノルト・シェーリングによって発見された。妻がスピネットの練習をすることができるように作られたアンソロジーと言われているが、バッハやバッハの知人、息子たちによるチェンバロ小品のほか、フランソワ・クープランの作品、バッハの声楽曲などがまじっている。いきおい、バッハ家の貴重な家庭音楽の生き証人と呼びうるものとなっている。曲集としては完成しておらず、未記入の部分も散見される。この曲集を出典とする、有名なト長調とト短調の《メヌエット》(BWV Anh.114, 115)は、こんにちの研究でクリスティアン・ペツォールトの作であることが判明している。

[編集] アンナ・マクダレーナ・バッハの日記

邦訳:アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』  Esther Meynellが1925年に出版した'The Little Chronicle of Magdalena Bach'が原著。著者は偽書を意図したわけではなく、あくまで創作(フィクション)として発表している(1925年米ガーデンシティーで出版されたDoubleday, Page & Co.版には著者名が明記されており、巻末には「バッハの生涯をよく知る人が読めば本書のいくつかのエピソードが想像の産物であることがわかるだろう」と付記されている)。事実関係については1925年時点でのバッハ研究の成果を反映しているが、現時点では誤りも散見される。おそらく本書が独訳されてドイツで出版されたとき、著者名を伏せたところから錯誤が生じたと考えられる(Oxford Composer Companions J.S.Bachには、本書は1925年、ロンドンで匿名で出版されたという記述がある)。ドイツ人にとっては、本書がフィクションであることは自明だったが、これを読んだ日本人が本当にアンナ・マグダレーナが著したものと誤解し、独語版から翻訳した。現在でもまだ日本ではアンナ・マグダレーナが著したかのような体裁で出版されているので注意が必要。

参考リンク:

[編集] 映画「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」

フランス出身の映画監督、ジャン=マリー・ストローブダニエル・ユイレ西独イタリアで共同製作した作品。1967年発表。大作曲家の半生と日常を、妻の視点と声を交えてつづった映像作品として有名。18世紀の生活習慣や演奏風景を再現するため、コレギウム・アウレウム合奏団のほか、ボブ・ファン・アスペレンニコラウス・アーノンクールアウグスト・ヴェンツィンガーなど、当時の古楽器演奏家や古楽演奏家が、当時の衣装を着けて出演した。こんにちの古楽演奏の水準からすると、歴史考証の点で隔世の感があるのは否めない。しかし、バッハを演ずるグスタフ・レオンハルトの威厳ある演技と演奏は、現在でも評価が高い。タイトル・ロールはクリスティアーネ・ラングが演じている。偽書『アンナ・マクダレーナ・バッハの日記』との混同を避けるために、日本語版のビデオDVDでは上のような訳になっているが、原題(Chronik der Anna Magdalena Bach)に基づく「アンナ・マクダレーナ・バッハの日記」という呼び名も依然として定着している(近年の上映に際してもこの名称が用いられている)。

[編集] 関連項目