アドルファス (ケンブリッジ公)

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ケンブリッジ公アドルファス

アドルファス・フレデリックAdolphus Frederick, Duke of Cambridge1774年2月24日 - 1850年7月8日)は、イギリスの王族。ケンブリッジ公

イギリス王ジョージ3世と王妃シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの七男として、バッキンガム宮殿で誕生した。家庭教師による教育の後、1786年に兄たちとともにドイツゲッティンゲン大学で学んだ。

1791年にハノーファー軍に入隊した。1803年に新設のキングズ・ジャーマン軍団(en:King's German Legion)の司令官となり、1813年には元帥に進む。1786年、父王によってケンブリッジ公、ティペラリー伯、カロドン男爵の称号を授けられ、1816年からハノーファー副王となる。

1817年、兄の摂政王太子ジョージ(のちのジョージ4世)の一人娘シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズが産褥で急死した。当時、ジョージ4世以外の6人の兄弟たちは全員独身であった。王位継承者を作るため、ある者は長年の愛人との関係を断ち、配偶者選びを始めて競うように結婚した。そんな中、末弟のアドルファスは、1818年にヘッセン=カッセル家のオーガスタ(アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル)と結婚した。

ケンブリッジ公は、ジョージ4世、ウィリアム4世の名代として副王を務めた。1837年、姪ヴィクトリア女王が即位すると、123年ぶりにイギリスはハノーファーとの同君連合を解消した(ハノーファー王国は女子の継承権を認めないため)。アドルファスの兄アーネストがハノーファー王となったことから、彼は家族を連れて帰国した。

1850年、アドルファスはピカデリーのケンブリッジ・ハウスで死去し、ウィンザー城内のセント・ジョージズ礼拝堂へ埋葬された。

子女[編集]