レズリー・スティーヴン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
L.スティーヴン

レズリー・スティーヴン(Leslie Stephen、1832年11月28日 - 1904年2月22日)はイギリスの文学史家、思想史家。『英国人名辞典』の主幹。画家ヴァネッサ・ベル、小説家ヴァージニア・ウルフは娘にあたる。

生涯[編集]

植民次官を父としてロンドンに生まれた。幼時は健康が優れず、3度小学校を変えた。1848年ロンドンのキングズ・カレッジに入学して歴史の講義を聴き、翌年ケンブリッジトリニティ・ホールに入学し、1年で数学の奨学金を獲得した。1854年に数学の学位を取る一方、ケンブリッジ大学のフェローシップを獲得し、1855年に副牧師に任命されて1859年に牧師となった。

文学や哲学への志向が深まり、ミルコントカントを研究した結果として、キリスト教の歴史的事実に疑いを持つようになり、1862年の夏に学生監の職を辞し、牧師として説教をする義務から解放された。アメリカ南北戦争に興味を持ち、奴隷解放を支持していたスティーヴンは1863年にアメリカに渡り、詩人のジェームズ・ラッセル・ローウェル(James Russell Lowell)などと親交を結んだ。ホワイト・ハウスでリンカーン大統領と面会して従来の主張の正しさを確信し、帰国後もイギリスにおける南部支持を反駁する論陣を張った。

1864年にケンブリッジからロンドンに移り住み、『土曜評論』誌に寄稿し始め、1866年から1873年までニューヨークで発行されている「ネーション」誌へイギリスの政治に関する記事を寄せた。『コーンヒル』誌に文芸批評を書き、雑誌の主幹としてスティーヴンソントーマス・ハーディヘンリー・ジェームズなどと知り合う。1867年サッカレーの娘と結婚し、南ケンジントンに居を定めた。1868年に再びアメリカを訪問し、哲学者ラルフ・エマソンや法律家のウェンデル・ホームズと交わる。イギリスでは小説家のメレディスともっとも親しく、その小説『エゴイスト』の登場人物、ヴァーノン・ウィットフォードのモデルとされた。

1881年11月、『英国人名辞典 Dictionary of National Biography』の編纂主幹となり、1886年に第1巻が出版され、その後3ヶ月ごとに続刊が刊行された。第20巻まで公刊した1891年、激務による過労のため主幹を辞めたが、主要なる寄稿者としても378の記事(約1000ページの資料)を提供している。アディソンバーンズバイロンカーライルコールリッジデフォーディケンズドライデンゴールドスミスヒュームマコーリーミル父子、ミルトンポープスコットスウィフトサッカレーワーズワースなどがその主なる記事である。

1883年トリニティ・カレッジの講師として18世紀のイギリス文学を講義し、1885年にヘンリー・フォーセットの伝記を書く。1892年テニソンの跡を継いでロンドン図書館の館長となり、1902年にバス上級勲章士(K.C.B.)となった。

スティーヴンのもっとも大きな仕事は『英国人名辞典』の編纂だが、主著は『イギリス功利主義者』と『十八世紀イギリス思想史』である。後者の第1章(哲学的基盤)を夏目漱石が『文学評論』の巻頭で原文のまま詳細に紹介している。

主な著作[編集]

  • Essays on Free Thinking and Plain Speaking (1873年)
  • The History of English Thought in the Eighteenth Century (1876年)
    • 『十八世紀イギリス思想史 (上中下)』 中野好之
       筑摩書房:筑摩叢書、1969~70年、復刊1985年
  • An Agnostic's Apology (1876年)
  • The Science of Ethics (1882年)
  • Swift (1882年)
  • Social Science and duties (1896年)
  • The English Utilitarians (1900年)
  • Early Impressions (1903年)
  • English Literature and society in the Eighteeth Century (1904年)
    • 『十八世紀における英文学と社会』 岡本圭次郎訳 研究社選書、1956年
       小著で、旧版は1936年(研究社)、なお原文著書は数十冊上梓された。