野平匡邦
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野平 匡邦 のひら まさくに | |
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生年月日 | 1947年7月25日(77歳) |
出生地 | 千葉県香取郡[1](現・成田市) |
出身校 | 東京大学法学部卒業[1] |
前職 | 総務省職員、大学教授[1] |
所属政党 | 無所属 |
公式サイト | 野平匡邦 公式ウェブサイト |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
2002年8月 - 2006年8月 2009年5月17日 - 2013年5月16日 |
野平 匡邦(のひら まさくに[1]、1947年7月25日[1][2] - )は、日本の政治家、官僚、弁護士[3]。元千葉県銚子市長(2期)。父は外科医で俳人の野平藤雄[1]。
略歴
[編集]- 1947年(昭和22年) - 千葉県香取郡(現・成田市)に生まれ、翌年父の外科医院開業に伴い銚子市に転居[1]。
- 1966年(昭和41年) - 銚子市立銚子高等学校卒業
- 1967年(昭和42年) - 慶應義塾大学経済学部に入学するも中退し、翌年東京大学文科一類に入学。
- 1973年(昭和48年) - 国家公務員上級試験(法律職甲)に合格して自治省に入省。
- 茨城・岩手・広島などへ出向。
- 1989年(平成元年)4月 - 仙台市財政局長
- 1992年(平成4年)4月 - 公営企業金融公庫 経理部・資金課長(資金調達担当)
- 1994年(平成6年)7月 - 建設省 建設経済局建設振興課長(建設専門業〈ゼネコンに対するサブコン〉担当)
- 1996年(平成8年)7月 - 自治省 財政局指導課長(財政再建担当)
- 1997年(平成9年)4月 - 岡山県副知事(総務部・地域振興部・農林部・商工労働部・教育委員会担当)を務めると同時に岡山大学経済学部学外教授(地方財政経営論)。
- 1999年(平成11年)4月 - 自治省大臣官房会計課長
- 2000年(平成12年)4月 - 自治省 消防庁審議官
- 2001年(平成13年)1月 - 総務省 消防庁審議官
- 2001年(平成13年)4月 - 独立行政法人消防研究所理事
- 2002年(平成14年)
- 2006年(平成18年)7月23日 - 銚子市長選挙執行。元中学校長の岡野俊昭に敗れる。
- 2009年(平成21年)
- 2013年(平成25年)4月21日 - 銚子市長選挙執行。銚子市立病院の運営方針や議会内外での問題的な言動が批判され、元市議の越川信一に敗れる[5]。
- 2017年(平成29年)4月23日 - 銚子市長選挙執行。現職の越川、元市議の椎名亮太らとの争いとなるが次点で落選[6][7]。
- 2023年(令和5年)11月29日 - 紺綬褒章を受章[8][9]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j “プロフィール”. 野平匡邦 公式ウェブサイト. 2017年5月22日閲覧。
- ^ a b 市長プロフィール, 銚子市
- ^ 弁護士紹介, 真和総合法律事務所
- ^ 平成21年3月29日執行 千葉県銚子市長の解職投票開票結果 | 銚子市
- ^ “選挙:銚子市長選/銚子市議補選 市長に越川氏 「市政刷新」の訴えに支持 /千葉”. 毎日新聞. (2013年4月22日) 2014年4月2日閲覧。
- ^ “銚子市長に越川氏再選”. 産経新聞. (2017年4月24日) 2017年5月22日閲覧。
- ^ “越川氏、大差で再選 投票率52・57% 銚子市長選”. 千葉日報. (2017年4月24日) 2017年5月21日閲覧。
- ^ 『官報』本紙第1126号10頁 令和5年12月19日
- ^ “紺綬褒章伝達式を開催しました”. 東京大学基金. (2024年6月3日) 2024年8月16日閲覧。
外部リンク
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