藤堂高治
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藤堂高治像 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝永7年8月19日(1710年9月12日) |
死没 | 享保20年8月2日(1735年9月18日) |
改名 | 小次郎・幸之進(幼名)→高治 |
戒名 | 長空院殿智風高達権大僧都 |
墓所 |
三重県津市の寒松院 三重県伊賀市の上行寺 |
官位 | 従五位下大膳亮、従四位下大学頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 伊勢久居藩主→伊勢津藩主 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 父:藤堂高明、母:貞性院 |
兄弟 | 高武、高治 |
妻 |
正室:宗義誠の娘 側室:上田氏、村瀬氏、田野氏 |
子 |
高般、岸 養子:高朗 |
藤堂 高治(とうどう たかはる)は、伊勢国津藩の第6代藩主。元は津藩の支藩である伊勢久居藩の第4代藩主、久居陣屋の主。藤堂家宗家6代、久居藩藤堂家4代。父は、津藩の藩祖・藤堂高虎の弟・高清の孫で、一門の藤堂出雲家第3代の藤堂高明。
生涯
[編集]享保8年(1723年)9月13日、伊勢久居藩の先代藩主である高陳が病のために隠居した。高陳には嗣子がなかったため、高治が跡を継いだ。同年10月1日、将軍徳川吉宗に御目見する。同年12月18日、従五位下・大膳亮に叙任する。
享保13年(1728年)4月、本家の伊勢津藩主・藤堂高敏が疱瘡が原因で死去した。同年6月11日、高敏にも嗣子がなかったため、久居藩主であった高治がその養嗣子となって本家の家督を継いだ。久居藩の家督は高治の甥で養嗣子の高豊(のちの高朗)が継いだ。同年7月1日、将軍徳川吉宗に御目見する。同年12月21日、従四位下に昇進する。享保15年12月15日(1731年)、侍従に任官する。
高治は津藩の荒廃した農村復興などに努め、さらに学問を奨励した。享保20年8月2日(1735年9月18日)、26歳で死去した。家督は久居藩主の高朗が継いだ。