藤堂高武

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藤堂高武
時代 江戸時代
生誕 貞享元年(1684年
死没 享保12年2月26日1727年4月17日
改名 八之介(初名)→高武
別名 善兵衛、出雲(通称)、平蔵(字)
主君 藤堂高敏
伊勢国津藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高明、母:藤堂良忠の娘
兄弟 高任、高武、高能、高治
正室:梅原武厚の娘、継室:武田氏
高朗、星野織部室、高文、元資、高周、光敏
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藤堂 高武(とうどう たかたけ)は、伊勢国津藩一門藤堂出雲家第4代。第6代藩主藤堂高治の実兄。第7代藩主藤堂高朗の実父。

家系[編集]

藤堂出雲家は、藤堂高虎の異母弟高清に始まる。宗家の津藩主5代藤堂高敏で高虎の血統が絶え、高武の末弟高治が養子として6代藩主となって以降は藩主が出雲家の血を引くこととなる。 文武に秀でた人物を多く輩出している。藤堂高英陸軍中将は子孫。

略歴[編集]

貞享元年(1684年)、津藩騎将(番頭)藤堂高明の次男として生まれる。

正徳2年(1712年)10月、6代将軍徳川家宣が死去した際に、弔問の使者として江戸に遣わされる。

宝永8年(1723年)3月3日に父高明が隠居し、知行7000石、藤堂出雲家の家督を相続し、騎将となる。

享保12年(1727年)2月26日に死去。享年44。家督は三男の高豊が相続した。

子供[編集]

三男高豊(享保2年生) は、出雲家第5代。後に久居藩第5代藩主、次いで津藩第7代藩主となる。

次女見好は、尾張藩徳川宗春の寵臣星野織部に嫁ぐも、織部の失脚で離縁している。

四男高文(享保5年生) は、出雲家第6代で漢学者。

五男元資は、高武弟の高能(元宴)の養子となり藤堂所左衛門家を相続。

六男高周(享保9年生) は、出雲家第7代。

七男光敏(光模)は、藤堂数馬家を相続。歌人。

なお、公的には高武の四男とされる久居藩第6代藩主の藤堂高雅は、高武の子供ではなく実は弟高治の長男で、生年も享保6年(1722年)ではなく享保12年(1727年)が正しい。

参考文献[編集]