笂井町
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笂井町 | |
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北緯36度22分13秒 東経139度8分25秒 / 北緯36.37028度 東経139.14028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 1.29 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,121人 |
• 密度 | 870人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2115[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
笂井町(うつぼいまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2115[2]。2013年現在の面積は1.29km2[4]。
地理
[編集]桃ノ木川流域に位置している。
平成27年の国勢調査における、群馬県の人口重心は当地に存在する[5]。
河川
[編集]- 桃ノ木川
歴史
[編集]町北部の字八日市では、水田跡や古墳など古代の状況を垣間見える遺跡が発見されている。
「木瀬村誌」によれば、上野国の守護、山内上杉氏所領目録『上州之内持分之事』(桐生市彦部家文書)に、「大胡庄之内」として宇坪井村の名がみえる。
室町時代頃からある地名である。江戸時代になると前橋藩領だった。
年表
[編集]- 戦国時代 - 「大胡庄之内・・・宇坪井村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える[6]。
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以降笂井村は江戸時代を通じて前橋藩領だった[7]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、笂井村は天川大島村、上大島村、下大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
- 昭和42年(1967年)5月1日 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市笂井町となる。
地名の由来
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
笂井町 | 418世帯 | 1,121人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立笂井小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道駅はない。
バス
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道路
[編集]国道は国道50号、県道は群馬県道40号藤岡大胡線が通っている。
施設
[編集]出典
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年07月17日閲覧。
- ^ 我が国の人口重心 − 総務省.2017年10月28日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 52–53.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 862.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 482.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1232.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。