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{{Infobox 芸術家
'''木村 仲久'''(1938-1999没)日本の[[写真家]]。生前は[[二科会]]会員。[https://photo-kageboushi.com 写真集団「影法師」]創立主宰。[[アサヒカメラ]]審査員。
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| 出身校 = <!-- 芸術家が在籍した高等教育機関の名前(リンク付き) -->[[日本大学]][[工学部]]卒業
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| 代表作 = <!-- 最大5つまで -->『花と海の里』([[1984年]])<br />『富士秀景』([[1989年]])<br />『静岡の民家――<br />木村仲久写真集』([[1993年]])<br />『稲荷参道――<br />木村仲久写真集』([[1997年]])
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| 運動・動向 = <!-- 芸術家が関連している芸術運動や流派 -->
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<!-- 以下の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 -->
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<!-- 以上の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 -->
| ウェブサイト = <!-- {{URL|hogehoge.com}} -->
}}
'''木村 仲久'''(きむら なかひさ、[[1938年]] - [[1999年]])は、[[日本]]の[[公務員]]。


影法師主宰、写真集団山月会影法師主宰などを歴任した。
写真集「静岡の民家」で第三回[[林忠彦賞]]受賞。受賞作品は山口県[[周南市美術博物館]]林忠彦記念館に貯蔵。


== 概要 ==
長年に渡り富士山を撮影し続けた作品「富士秀景」は静岡県の写真集として静岡県庁より主に海外からの要人への贈呈品として選ばれ、1998年4月の[[エリツィン大統領|エリツィン元大統領]]来日時にも贈呈された。
[[静岡県]]出身の[[地方公務員]]である<ref name="hao2018_29">林忠彦賞事務局編集『林忠彦生誕100年――社会は心を撃つ写真をさがしています』林忠彦賞事務局、[[2018年]]、29頁。</ref><ref name="ha_sakushaProfile">「作者プロフィール」『[http://www.hayashi-award.com/rekidai_1993.html 周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト・第3回1994年受賞作品紹介]』林忠彦賞事務局。</ref>。静岡県の職員として勤務しながら、[[全日本写真連盟]]や[[二科会]]にてアマチュアの[[写真家]]としても活動した<ref name="hao2018_29"/><ref name="ha_sakushaProfile"/>。写真家のグループとして「影法師」を設立するなど<ref name="kageboshi">「ようこそ写真集団影法師公式ホームページへ」『[https://photo-kageboushi.com/?page_id=9 影法師の創立から・INTRODUCTION &#8211; 写真集団影法師]』写真集団影法師。</ref>、静岡県の写真界にて指導的な役割を担っていた<ref name="hao2018_29"/>。


== 来歴 ==
地元静岡を中心に写真界の指導的立場にあった。
=== 生い立ち ===
[[1938年]]([[昭和]]13年)、[[静岡県]]にて生まれた<ref name="hao2018_29"/><ref name="ha_sakushaProfile"/>。[[日本大学]]に進学し<ref name="hao2018_29"/><ref name="ha_sakushaProfile"/>、[[工学部]]の[[土木工学科]]で学んだ<ref name="hao2018_29"/>。卒業後は[[静岡県庁]]に入庁した<ref name="hao2018_29"/><ref name="ha_sakushaProfile"/>。


=== 写真家として ===
'99年(平成11)肝臓癌のため59歳で死去。
静岡県の職員として勤務する傍ら、アマチュア写真家としても知られており<ref name="ha_sakushaProfile"/>、[[全日本写真連盟]]や[[二科会]]にて活動した<ref name="hao2018_29"/><ref name="ha_sakushaProfile"/>。[[1971年]](昭和46年)、写真家のグループとして「影法師」を創立し<ref name="kageboshi"/>、その主宰者となった<ref name="kageboshi"/>。また、[[1996年]]([[平成]]8年)には「写真集団山月会」を発足させており<ref name="kageboshi"/>、影法師は「写真集団山月会影法師」となった<ref name="kageboshi"/>。地元である静岡県において、写真界の指導的な役割を担っていた<ref name="hao2018_29"/>。


[[1999年]](平成11年)、[[肝臓癌]]のため59歳で死去した。写真集団山月会影法師は、中村明弘が第2代主宰となった<ref name="kageboshi"/>。
実娘は歌手の[[ウィリアムス浩子]]
== 来歴 ==
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== 脚注 ==
=== 註釈 ===
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=== 出典 ===
== 作品 ==
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また、長年にわたって[[富士山]]を撮影し続けており、それらの作品をまとめた写真集として『富士秀景』を上梓した<ref>木村仲久『富士秀景』[[くもん出版]]、[[1989年]]。</ref>。同書は静岡県の写真集として、国外からの要人に対する県の贈呈品として選ばれている。[[1998年]](平成10年)[[4月]]、日ロ首脳会談のため静岡県[[伊東市]]を訪れた[[ボリス・エリツィン]]にも贈呈された。

== 家族・親族 ==
[[娘]]の[[ウィリアムス浩子]]は[[歌手]]として活動している<ref>[[ウィリアムス浩子]]「写真家木村仲久のこと。周南市美術博物館を訪ねました」『[https://ameblo.jp/hirogokoro/entry-12247621554.html 写真家 木村仲久のこと。周南市美術博物館を訪ねました | ウィリアムス浩子ブログ]』[[サイバーエージェント]]、[[2017年]][[2月14日]]。</ref>。

== 略歴 ==
* [[1938年]] - [[静岡県]]にて誕生<ref name="hao2018_29"/>。
* [[1971年]] - 影法師創設<ref name="kageboshi"/>。
* [[1996年]] - 写真集団山月会創設<ref name="kageboshi"/>。
* [[1999年]] - 死去。

== 賞歴 ==
* [[1994年]] - [[林忠彦賞]]<ref name="ha_kimuraNakahisa"/>。

== 著作 ==
=== 単著 ===
* 木村仲久著『花と海の里』[[くもん出版]]、[[1984年]]。{{ISBN2|4875762062}}
* 木村仲久著『富士秀景』くもん出版、[[1989年]]。{{ISBN2|4875764545}}
* 木村仲久著『静岡の民家――木村仲久写真集』[[静岡新聞社]]、[[1993年]]。{{ISBN2|4783809186}}
* 木村仲久著『稲荷参道――木村仲久写真集』光村印刷、[[1997年]]。{{ISBN2|4896157524}}

=== 共著 ===
* 高倉清雄著・撮影『ブルーインパルスファイナル写真集』高倉清雄、[[1981年]]。{{全国書誌番号|88047968}}
* [[浜田けい子]]作、木村仲久・北原教隆写真、由谷敏明絵『たんぽぽの花は野に山に――子どもにゆめをはこんだ〈劇団たんぽぽ〉と小百合葉子の40年』[[くもん出版]]、[[1985年]]。{{ISBN2|4875762178}}

=== 編纂 ===
* 木村仲久編『静岡の四季』[[国書刊行会]]、[[1981年]]。{{NCID|BA52266671}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
{{empty section|date=2021年2月}}
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[静岡県庁]]
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Webcat|157208|木村 仲久}}


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* [https://www.amazon.co.jp/富士秀景-木村-仲久/dp/4875764545?language=ja_JP 富士秀景]
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* [https://www.amazon.co.jp/写真集静岡の民家-木村-仲久/dp/4783809186 静岡の民家]
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* [https://www.amazon.co.jp/稲荷参道―木村仲久写真集-Bee-books-木村-仲久/dp/4896157524 稲荷参道]
[[Category:20世紀日本の写真家]]
* [https://www.amazon.co.jp/花と海の里-木村-仲久/dp/4875762062 花と海の里]
[[Category:地方公務員出身の人物]]
* [https://photo-kageboushi.com/?cat=5 木村仲久回顧展「木村仲久の世界」]
[[Category:工学士取得者]]

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2021年2月27日 (土) 06:12時点における版

木村 仲久

木村 仲久(きむら なかひさ)

ja
誕生日 1938年
出生地 日本の旗 静岡県
死没年 1999年
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
芸術分野 写真
出身校 日本大学工学部卒業
代表作 『花と海の里』(1984年
『富士秀景』(1989年
『静岡の民家――
木村仲久写真集』(1993年
『稲荷参道――
木村仲久写真集』(1997年
受賞 林忠彦賞1994年
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木村 仲久(きむら なかひさ、1938年 - 1999年)は、日本公務員

影法師主宰、写真集団山月会影法師主宰などを歴任した。

概要

静岡県出身の地方公務員である[1][2]。静岡県の職員として勤務しながら、全日本写真連盟二科会にてアマチュアの写真家としても活動した[1][2]。写真家のグループとして「影法師」を設立するなど[3]、静岡県の写真界にて指導的な役割を担っていた[1]

来歴

生い立ち

1938年昭和13年)、静岡県にて生まれた[1][2]日本大学に進学し[1][2]工学部土木工学科で学んだ[1]。卒業後は静岡県庁に入庁した[1][2]

写真家として

静岡県の職員として勤務する傍ら、アマチュア写真家としても知られており[2]全日本写真連盟二科会にて活動した[1][2]1971年(昭和46年)、写真家のグループとして「影法師」を創立し[3]、その主宰者となった[3]。また、1996年平成8年)には「写真集団山月会」を発足させており[3]、影法師は「写真集団山月会影法師」となった[3]。地元である静岡県において、写真界の指導的な役割を担っていた[1]

1999年(平成11年)、肝臓癌のため59歳で死去した。写真集団山月会影法師は、中村明弘が第2代主宰となった[3]

作品

1989年(平成元年)頃、静岡県の職務として歴史的な建築物や街並みを撮影することになり[4]、静岡県内の民家神社仏閣など100か所を回った[4]。その際に心ひかれた民家を厳選し[4]1993年(平成5年)に『静岡の民家――木村仲久写真集』として上梓した[5]。同書には、安直楼[6]正雪紺屋[6]黒田家代官屋敷[1][6]加茂荘など[6]、計34か所の作品が収録されている[4]。これらの作品は、優れた記録性だけでなく[4]歴史の重みを再現するカメラアイが特徴である[4]。拡張高く端正な構成で[1]、人の暮らしとの関わり合いから重厚な佇まいが表現されており[1]、単なる建築写真ではないと評価された[1]。その結果、1994年(平成6年)に第3回林忠彦賞が授与されることになり[4]、受賞作は周南市美術博物館に収蔵された。

また、長年にわたって富士山を撮影し続けており、それらの作品をまとめた写真集として『富士秀景』を上梓した[7]。同書は静岡県の写真集として、国外からの要人に対する県の贈呈品として選ばれている。1998年(平成10年)4月、日ロ首脳会談のため静岡県伊東市を訪れたボリス・エリツィンにも贈呈された。

家族・親族

ウィリアムス浩子歌手として活動している[8]

略歴

賞歴

著作

単著

  • 木村仲久著『花と海の里』くもん出版1984年ISBN 4875762062
  • 木村仲久著『富士秀景』くもん出版、1989年ISBN 4875764545
  • 木村仲久著『静岡の民家――木村仲久写真集』静岡新聞社1993年ISBN 4783809186
  • 木村仲久著『稲荷参道――木村仲久写真集』光村印刷、1997年ISBN 4896157524

共著

編纂

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 林忠彦賞事務局編集『林忠彦生誕100年――社会は心を撃つ写真をさがしています』林忠彦賞事務局、2018年、29頁。
  2. ^ a b c d e f g 「作者プロフィール」『周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト・第3回1994年受賞作品紹介』林忠彦賞事務局。
  3. ^ a b c d e f g h 「ようこそ写真集団影法師公式ホームページへ」『影法師の創立から・INTRODUCTION – 写真集団影法師』写真集団影法師。
  4. ^ a b c d e f g h 「木村仲久――写真集『静岡の民家』」『周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト・第3回1994年受賞作品紹介』林忠彦賞事務局。
  5. ^ 木村仲久『静岡の民家――木村仲久写真集』静岡新聞社1993年
  6. ^ a b c d 「第3回――1994年」『周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト・第3回1994年受賞作品紹介』林忠彦賞事務局。
  7. ^ 木村仲久『富士秀景』くもん出版1989年
  8. ^ ウィリアムス浩子「写真家木村仲久のこと。周南市美術博物館を訪ねました」『写真家 木村仲久のこと。周南市美術博物館を訪ねました | ウィリアムス浩子ブログサイバーエージェント2017年2月14日

関連項目

外部リンク