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'''栗田氏'''(くりたし、くりたうじ)は、[[日本]]の[[氏族]]の一つ<ref name="ota2186">太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)2186頁以下参照。</ref>
'''栗田氏'''(くりたし、くりたうじ)は、[[日本]]の[[氏族]]の一つ{{Sfn|太田|1934|p=2186}}


== 信濃栗田氏 ==
== 信濃栗田氏 ==
信濃栗田氏は、[[北信地方]]の武家氏族のひとつ。[[本姓]]は[[清和源氏]]の一系統の[[河内源氏]][[源頼清|頼清流]][[信濃村上氏|村上氏]]の支流で、[[村上為国]]の子寛覚が[[戸隠神社|顕光寺]](延暦寺系山門派)別当となり[[信濃国]][[水内郡]](のち[[上水内郡#郡発足までの沿革|上水内郡]])[[栗田 (長野市)|栗田村]]に住居して栗田氏となった。[[鎌倉時代]]から[[室町時代]]までは[[善光寺]]([[園城寺]]系寺門派)[[別当]]職も世襲し、犬猿の関係にあった両社を支配下に置く有力[[国人]]となる<ref name="ota2187">太田亮前掲書(角川書店、1934年)2187頁以下参照。</ref>
信濃栗田氏は、[[北信地方]]の武家氏族のひとつ。[[本姓]]は[[清和源氏]]の一系統の[[河内源氏]][[源頼清|頼清流]][[信濃村上氏|村上氏]]の支流で、[[村上為国]]の子寛覚が[[戸隠神社|顕光寺]](延暦寺系山門派)別当となり[[信濃国]][[水内郡]](のち[[上水内郡#郡発足までの沿革|上水内郡]])[[栗田 (長野市)|栗田村]]に住居して栗田氏となった。[[鎌倉時代]]から[[室町時代]]までは[[善光寺]]([[園城寺]]系寺門派)[[別当]]職も世襲し、犬猿の関係にあった両社を支配下に置く有力[[国人]]となる{{Sfn|太田|1934|p=2187}}


* [[治承]]4年([[1180年]])9月7日に信濃国市原(現在の長野市[[若里]]、[[市村神社]]南面の[[犀川 (長野県)|犀川]][[渡河]]地域と考えられている)付近で[[市原合戦]]が行われた。[[平家]]に味方する信濃([[中野市]]笠原)の豪族・[[笠原頼直|笠原平五頼直]]が[[源義仲]]討伐のため、木曾への侵攻を企てた。それを察した源氏方([[信濃源氏]]の名門[[井上氏]]の一族)の[[村山義直|村山七郎義直]]や栗田寺別当大法師範覚(長野市[[栗田 (長野市)|栗田]])らとの間での戦闘だが決着がつかなかった。この後木曽方が参戦し笠原氏方には越後から[[城氏 (平氏)|城氏]]が大軍を率いて加勢に駆けつけて[[横田河原の戦い]]に発展した<ref name="ota2187"/>
* [[治承]]4年([[1180年]])9月7日に信濃国市原({{要出典範囲|date=2017年5月|現在の長野市[[若里]]、[[市村神社]]南面の[[犀川 (長野県)|犀川]][[渡河]]地域と考えられている}})付近で[[市原合戦]]が行われた。[[平家]]に味方する信濃([[中野市]]笠原)の豪族・[[笠原頼直|笠原平五頼直]]が[[源義仲]]討伐のため、木曾への侵攻を企てた。それを察した源氏方([[信濃源氏]]の名門[[井上氏]]の一族)の[[村山義直|村山七郎義直]]や栗田寺別当大法師範覚(長野市[[栗田 (長野市)|栗田]])らとの間での戦闘だが決着がつかなかった。この後木曽方が参戦し笠原氏方には越後から[[城氏 (平氏)|城氏]]が大軍を率いて加勢に駆けつけて[[横田河原の戦い]]に発展した{{Sfn|太田|1934|p=2187}}


* [[応安]]2年([[1369年]]) 信濃国守護でもあった[[関東管領]][[上杉朝房]]が善光寺([[横山城 (信濃国)|横山城]]?)に向けて出陣した。そして[[春山城]]から氷鉋(長野市川中島中氷鉋)、平柴(長野市[[安茂里]]平柴)へと陣を移して転戦したが栗田氏も従わないため攻められた。栗田氏は上杉軍を迎え撃って[[栗田城]]西木戸口での合戦となったが制圧された。
* [[応安]]2年([[1369年]]) 信濃国守護でもあった[[関東管領]][[上杉朝房]]が善光寺([[横山城 (信濃国)|横山城]]?)に向けて出陣した。そして[[春山城]]から氷鉋(長野市川中島中氷鉋)、平柴(長野市[[安茂里]]平柴)へと陣を移して転戦したが栗田氏も従わないため攻められた。栗田氏は上杉軍を迎え撃って[[栗田城]]西木戸口での合戦となったが制圧された。
* [[文明 (日本)|文明]]9年([[1477年]])8月に栗田氏は隣接する領主の[[漆田氏|漆田秀豊]]の館(長野駅付近)を攻めて漆田氏を打ち破ったとされている<ref name="ota2188">太田亮前掲書(角川書店、1934年)2188頁以下参照。</ref>
* [[文明 (日本)|文明]]9年([[1477年]])8月に栗田氏は隣接する領主の[[漆田氏|漆田秀豊]]の館(長野駅付近)を攻めて漆田氏を打ち破ったとされている{{Sfn|太田|1934|p=2188}}
* [[永正]]10年([[1513年]])[[越後]]で[[長尾氏]]が[[高梨氏]]の応援を得て[[守護]]の[[上杉定実]]と対立すると栗田氏は[[井上氏]]や[[海野氏]]、[[信濃島津氏]]らと共に守護方を応援して越後に侵入しようとした。
* [[永正]]10年([[1513年]])[[越後]]で[[長尾氏]]が[[高梨氏]]の応援を得て[[守護]]の[[上杉定実]]と対立すると栗田氏は[[井上氏]]や[[海野氏]]、[[信濃島津氏]]らと共に守護方を応援して越後に侵入しようとした。


[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期までは[[惣領家]]の村上氏に従っていたが、[[川中島の戦い]]では[[武田氏|武田方]](善光寺の里栗田)・[[上杉氏|上杉方]](戸隠神社の山栗田)に分裂した<ref name="ota2188"/>
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期までは[[惣領家]]の村上氏に従っていたが、[[川中島の戦い]]では[[武田氏|武田方]](善光寺の里栗田)・[[上杉氏|上杉方]](戸隠神社の山栗田)に分裂した{{Sfn|太田|1934|p=2188}}


* [[天文 (日本)|天文]]22年([[1553年]])、宗家の[[村上義清]]が[[武田信玄]]に敗れて[[越後国|越後]]に逃れると[[栗田永寿 (初代)|栗田永寿]](初代)は武田方に下る。そして武田方に属す60騎の足軽大将となっている。
* [[天文 (元号)|天文]]22年([[1553年]])、宗家の[[村上義清]]が[[武田信玄]]に敗れて[[越後国|越後]]に逃れると[[栗田永寿 (初代)|栗田永寿]](初代)は武田方に下る。そして武田方に属す60騎の足軽大将となっている。
* [[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]])、第二次[[川中島の戦い]]で栗田氏は武田方について[[旭山城]]にこもり、武田の増援兵3000人と弓800張、鉄砲300を得て[[横山城 (信濃国)|横山城]]の上杉謙信を牽制した。このため上杉方も[[葛山城 (信濃国)|葛山城]]を築いて対抗したとされる。今川義元の仲介で和睦した後、栗田氏は[[善光寺]]本尊を持ち出し、[[甲斐善光寺]]へ移った。そのため栗田城は破却された。
* [[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]])、第二次[[川中島の戦い]]で栗田氏は武田方について[[旭山城]]にこもり、武田の増援兵3000人と弓800張、鉄砲300を得て[[横山城 (信濃国)|横山城]]の上杉謙信を牽制した。このため上杉方も[[葛山城 (信濃国)|葛山城]]を築いて対抗したとされる。今川義元の仲介で和睦した後、栗田氏は[[善光寺]]本尊を持ち出し、[[甲斐善光寺]]へ移った。そのため栗田城は破却された。


[[江戸時代]]には、[[庄内藩]]、[[水戸藩]]、[[松本藩]]とそれぞれに仕えた。
[[江戸時代]]には、[[庄内藩]]、[[水戸藩]]、[[松本藩]]とそれぞれに仕えた。


=== 信濃栗田氏関連人物 ===
=== 信濃栗田氏関連人物 ===
* '''栗田寛覚'''くりた かんかく
*; {{読み仮名|'''栗田寛覚'''|くりた かんかく}}
*: [[村上為国]]の子で栗田氏初代。栗田寺別当大法師範覚とも。
*: [[源為国|村上為国]]の子で栗田氏初代。栗田寺別当大法師範覚とも。
* '''[[栗田永寿 (初代)|栗田永寿]](初代)'''(くりた えいじゅ、生没年不詳)
* '''[[栗田永寿 (初代)|栗田永寿]](初代)'''(くりた えいじゅ、生没年不詳)
* '''[[栗田寛久]]'''(くりた かんきゅう、[[天文 (元号)|天文]]20年([[1551年]]) - [[天正]]9年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]([[1581年]][[4月25日]]))
* '''[[栗田寛久]]'''(くりた かんきゅう、[[天文 (元号)|天文]]20年([[1551年]]) - [[天正]]9年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]([[1581年]][[4月25日]]))
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== 常陸国の栗田氏 ==
== 常陸国の栗田氏 ==
本姓は[[平氏]]。家系は[[桓武天皇]]を祖とする[[桓武平氏]]で、[[常陸国]][[那珂郡]]の名族。[[川崎氏]]の支流にあたり、[[下小瀬]]の[[城主|古城主]]・[[川崎次郎]]の後裔と伝える。[[茨城郡]]六地蔵[[過去帳]]に[[栗田又次郎]]の名を載せる。[[家紋]]は[[丸に二つ引き]]、[[女紋]]としては[[九曜の星]]を用いる。[[水戸藩]]の[[栗田寛]]もこの一族の末裔という<ref name="ota2187"/>
本姓は[[平氏]]。家系は[[桓武天皇]]を祖とする[[平氏#桓武平氏|桓武平氏]]で、[[常陸国]][[那珂郡]]の名族。[[川崎氏]]の支流にあたり、[[下小瀬]]の[[城主|古城主]]・[[川崎次郎]]の後裔と伝える。[[茨城郡]]六地蔵[[過去帳]]に[[栗田又次郎]]の名を載せる。[[家紋]]は[[丸に二つ引き]]、[[女紋]]としては[[九曜の星]]を用いる。[[水戸藩]]の[[栗田寛]]もこの一族の末裔という{{Sfn|太田|1934|p=2187}}
なお、[[佐竹氏]]の家臣としてもこの栗田氏の名が見える<ref>[[常陸太田]]史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、[[1982年]])192頁参照。</ref>
なお、[[佐竹氏]]の家臣としてもこの栗田氏の名が見える{{Sfn|常陸大宮市史編さん委員会編|1982|p=192}}


== 脚注 ==
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== 参照文献 ==
== 参照文献 ==
* {{オープンアクセス}}{{Citation|和書|last=太田|first=亮|author-link=太田亮|others=[[上田萬年]]、[[三上参次]]監修|chapter=栗田 クリタ クルスダ|pages=2186-2188|volume=第2|date=1934|title=姓氏家系大辞典|publisher=姓氏家系大辞典刊行会|id={{全国書誌番号|47004572}}|url={{NDLDC|1130938/187}} 国立国会図書館デジタルコレクション|ncid=BN05000207|oclc=673726070|ref=harv}}
* 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)
* {{Cite book|和書|author1=常陸大宮市史編さん委員会編|title=佐竹家臣系譜|date=1982-3|publisher=[[常陸大宮市]]|series=常陸太田市史編さん史料, 19|id={{全国書誌番号|82044499}} |ncid=BN12281310|oclc=673627572|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|9642582}} 国立国会図書館デジタルコレクション]
* 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)

== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[寛慶寺]]
* [[寛慶寺]]

2017年5月25日 (木) 13:38時点における版

栗田氏(くりたし、くりたうじ)は、日本氏族の一つ[1]

信濃栗田氏

信濃栗田氏は、北信地方の武家氏族のひとつ。本姓清和源氏の一系統の河内源氏頼清流村上氏の支流で、村上為国の子寛覚が顕光寺(延暦寺系山門派)別当となり信濃国水内郡(のち上水内郡栗田村に住居して栗田氏となった。鎌倉時代から室町時代までは善光寺園城寺系寺門派)別当職も世襲し、犬猿の関係にあった両社を支配下に置く有力国人となる[2]

戦国時代初期までは惣領家の村上氏に従っていたが、川中島の戦いでは武田方(善光寺の里栗田)・上杉方(戸隠神社の山栗田)に分裂した[3]

江戸時代には、庄内藩水戸藩松本藩とそれぞれに仕えた。

信濃栗田氏関連人物

常陸国の栗田氏

本姓は平氏。家系は桓武天皇を祖とする桓武平氏で、常陸国那珂郡の名族。川崎氏の支流にあたり、下小瀬古城主川崎次郎の後裔と伝える。茨城郡六地蔵過去帳栗田又次郎の名を載せる。家紋丸に二つ引き女紋としては九曜の星を用いる。水戸藩栗田寛もこの一族の末裔という[2]。 なお、佐竹氏の家臣としてもこの栗田氏の名が見える[4]

脚注

  1. ^ 太田 1934, p. 2186.
  2. ^ a b c 太田 1934, p. 2187.
  3. ^ a b 太田 1934, p. 2188.
  4. ^ 常陸大宮市史編さん委員会編 1982, p. 192.

参照文献

  • オープンアクセス太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 栗田 クリタ クルスダ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2186-2188頁。 NCID BN05000207OCLC 673726070全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/187 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 常陸大宮市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』常陸大宮市〈常陸太田市史編さん史料, 19〉、1982年3月。 NCID BN12281310OCLC 673627572全国書誌番号:82044499 国立国会図書館デジタルコレクション

関連項目