葛山城 (信濃国)

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葛山城
長野県
葛山城跡の標柱
葛山城跡の標柱
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主
築城年 室町時代
主な改修者 落合氏
指定文化財 長野市指定史跡
位置 北緯36度40分16秒
東経138度10分0秒
地図
葛山城の位置(長野県内)
葛山城
葛山城

葛山城(かつらやまじょう)は長野県長野市にあった日本の城山城。長野市指定史跡[1]

概要[編集]

天文24年(1555年)、武田晴信に帰順した栗田氏旭山城に籠城したため、付城として長尾景虎が裾花川対岸のこの山上に築いた。

弘治3年(1557年)、武田氏により攻略された。真田幸隆の調略により、葛山城中腹の静松寺を通じて落合一族の落合遠江守、落合三郎左衛門尉が寝返った。また、水の手などを切られ馬場信春らの攻撃で城は落城。城将落合治吉(落合備中守)、援軍の将として入城していた小田切駿河守幸長は戦死した。武田軍のあげた城兵の首は夥しい数にのぼり、落城する火勢の中で逃げ場を失った女達は峯の上から北側の谷に身を投げ全滅したと伝えられる。 落城が伝えられた長沼城島津月下斎は北の大倉城に難を避け、戸隠山の人々も武田側と上杉方とに分裂し多くが遠く越後に逃れた。

籠城戦では水に苦労した城だけあって、米で馬を洗う水に見せかけたという白米伝説が残っている。

また、今でも落城の際の焼米が出土するという。

脚註[編集]

関連項目[編集]